第5話 見えないプレッシャー
昭和61年7月某日、私たち簿記部員は目標を全国大会連覇に定め、日夜練習に励んでいました。
「いよいよ明日、地方予選があるわけだが、こんなのはただの通過点だ。軽くパスして、全国大会へ行くぞ!」
「「「はい!!!」」」
先生に言われるまでもなく、私たちは地方予選など眼中にありませんでした。
翌日、私たちは昨年の全国大会優勝校として他校から注目される中、予選に挑みました。
結果は予想通りの圧勝。
他校の生徒たちのため息が漏れる中、私たちは得意満面で引き揚げて行きました。
「ここで圧勝したからといって、いい気になるなよ。全国にはお前らレベルの人間なんてゴロゴロいるんだからな」
先生は恐らく、私たちを引き締めるつもりでこんなことを言ったのでしょうが、私は心の中で(俺たちレベルの人間がそんなにいてたまるか)と思っていました。
多分それは、他の部員も一緒だったと思います。
そんな私たちも、全国大会が行われる8月7日が近づくにつれ、次第にナーバスになっていきました。
「お前、今、負けるって言葉使っただろ。縁起でもないこと言うんじゃねえよ」
「あなたたち、さっきアイドルがどうとか、くだらない話してたよね。練習中はちゃんと集中してよ」
「ねえ、そのシャーペンをカチカチするのやめてくれる? イライラするんだよね」
普段ならまったく気にならないことに、これほど過剰に反応するほど、当時の私たちは自分でも気付かないうちに相当プレッシャーがかかっていたんでしょうね。
そんな私たちは、広島県人にとって特別な日である8月6日に、全国大会連覇に向かって、東京へと旅立ちました。
──明日は俺たちにとっての集大成だ。明日優勝するために、この一年頑張ってきたと言っても過言じゃない。連覇は簡単なことじゃないかもしれないけど、とにかく全力を尽くそう。
私は新幹線の中で、そう自分に言い聞かせていました。
翌日、大会が行われる会場に訪れた私たちは、何の前触れもなく堂本先生からはちまきを渡されました。
「それを付ければ、自然と心が引き締まる」と言って、先生は部員全員に配ったのですが、ただでさえ前年の優勝校として注目されているのに、これ以上目立つようなことはしないでくれと、全員が思っていたことでしょう。
私たちは渋々そのはちまきを頭に締め、競技に臨みました。
最初の計算部門は、これまで練習してきたものより遥かに量が多く、私は面食らいました。
手付かずの問題が結構あり、この時は正直終わったと思いました。
次の応用部門は、前の失敗がいい方に作用したのか、スラスラと解けました。
今思えば、失敗したことでプレッシャーを感じなくなっていたんでしょうね。
競技を終えた私たちが、控室でお互いの出来を言い合っていると、大会関係者から場所の移動を促されました。
私たちは一様に緊張した顔で立ち上がり、他校の生徒ともに表彰式の行われる場所へ移動しました。
「みなさん、お待たせしました。少し採点に時間が掛かってしまいましたが、先程終わりましたので、今から結果を発表します。第六回全国高等学校簿記選手権大会優勝校は──」
「広島県立子丸商業高等学校に決まりました!」
「やった!」
「よっしゃ!」
「マジで!」
「信じられない!」
自分たちの校名が呼ばれた瞬間、前回とは違い部員全員が喜びを爆発させていました。
それだけ、みんなプレッシャーに打ち勝ったことが嬉しかったのだと思います。
この後、個人成績が発表されたのですが、結果から言うと、小島が一位、部長の黒田理恵が四位、私こと丸子稔が五位、六位~八位も我が校の生徒で、なんと十位以内に六人が入るという快挙を成し遂げたのです。
「みんな、よくやった。お前らならやってくれると信じてたよ」
先生は心底ホッとしている様子でした。
今思えば、先生も相当プレッシャーを感じてたのでしょうね。
この後、小島は11月に受けた検定試験に合格し、見事一級を取得しました。
今は結構いるみたいですが、当時は高校生で一級を取得するのは大変珍しく、新聞に載るほどでした。
思えば、前に二級に合格した時、ばかみたいに喜んでいた私に対して、小島はいつもと変わらない様子でした。彼はその時から先を見ていたのでしょうね。
小島の合格を聞いた時、私は不思議と悔しいという感情は起こりませんでした。
それは多分、私の中で彼の位置づけがライバルから戦友に変わっていたからだと思います。
彼とは高校卒業後、一度も会っていませんが、今後もし会う機会があれば、この時のことをじっくりと語り合いたいものです。
了
全国高等学校簿記選手権大会(通称簿記の甲子園)二連覇の軌跡 丸子稔 @kyuukomu
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