沈黙や艱難辛苦を乗り越えた先にある、まだ見ぬ栄光を胸に。

 親父が亡くなって二日後。通夜の日の夜。


 親戚一同が酒を呑みだし、喪主家族を代表して私もそれに参じなければいけなくなった。


 翌朝起きたらもう、寝不足と二日酔いの相乗効果で遠い。何もかもが遠くに感じられるという錯覚に襲われた。


 お陰で朝からホールに訪れた弔問客を出迎える時でさえも、まったく身が入らなかった。



 なぜかは知らないが、菩薩の境地を疑似的に到達したのだと思いこんだため、もしかしたら本気を出せば悟りさえも開けるのではないかと妄想を膨らませた私。


 葬儀の喪主挨拶は結局覚えられなかったため、そのままカンペを読みながらのアナウンスと相成った。


 予想に反して親戚連中からは好感触だったあたり、どれだけ私が軽んじられてきたかが火を見るよりも明らかである。


 葬儀の後はそのまま斎場へと移動。棺に菊の花をいれて親父に対し皆して最後の別れの言葉を交わす。


 ちょうどその時。ふと親父が生前ある自慢話をしてたなと思い返す。


☆☆☆☆☆☆


 遡ること二十五年前、一九九八年の十一月。第百十八回天皇賞(秋)。快速の大逃げが持ち味で競馬ファンから大人気だった栗毛馬がいた。その馬の名は——————“サイレンススズカ”。


 サイレンススズカは旧四歳時のクラシックでは、いまいちパッとしなかったものの年が明けて旧五歳を迎えてから嘘みたいに覚醒を果たした。同年二月のOP戦の勝利を皮切りに、それまで届かなかった重賞を立て続けに五連勝。その内のひとつがGⅠ・宝塚記念で、晴れてグランプリホースとしてその年の主役候補に躍り出た訳である。秋に入り前哨戦のGⅡ・毎日王冠にて、エルコンドルパサーやグラスワンダーといった怪物級のライバルたちを蹴散らして圧勝。誰がどう見てもこう思ったに違いない。


“————次の天皇賞(秋)、勝つのはサイレンススズカだ!”


 ……ただ一人、その結果に眉を潜めていた親父はともかくとして。


 運命の日当日サイレンススズカの枠番は絶好枠とされる最内一枠①番。鞍上は、武豊騎手。前走毎日王冠に引き続きサイレンススズカの背中を任せられている。パドックも申し分なし、当日のオッズは一・二倍圧倒的一番人気。


 今回ばかりはサイレンススズカのタダ貰いになる。誰もがそう思った。


 レース開始直後から大逃げを仕掛ける最内の一人と一頭。みるみる内に後続を引き離して、中継のカメラでさえも被写体たる馬たち全頭を捉えきれなくなる。一〇〇〇メートルの通過タイム五十七・四秒は、並みの逃げ馬であれば壊滅必至の超ハイペース。しかし、その馬がタダモノではないということは既に大多数の競馬ファンたちの知るところであった。


 向こう正面からスタートしたレース展開は、最先頭サイレンススズカが第三コーナーを過ぎ府中名物・大ケヤキに差し掛かり、そのはるか後方にてその他大勢の馬たちがいる。


 三・四コーナー中間にて、態勢がビクともしない様子を目の当たりすれば勝負はこのまま決着するだろうと誰もが考えるはずだ。


 だが競馬の世界の掟には、こんな言葉がある。「競馬に絶対はない」、と。


 大ケヤキを通過しボルテージも最高潮に達したまさに、その瞬間。

 

 異変が起こる。


 サイレンススズカがみるみる加速を落としていき、それどころかつい先ほどまで後塵さえ拝させないほど差を広げていた後続たちに差し迫られる。他馬連中が追い抜いたその時、もうその馬の脚は止まっていた。


 サイレンススズカに、故障発生。


 圧勝を予感させた期待で満ち満ちた喝采は、瞬く間に暗転を遂げ悲鳴と阿鼻叫喚に取って代わる。陣営たちが手塩にかけて育て上げた稀代の名馬だったはずの小柄な栗毛馬は、その計り知れないほど幾重にも織りなされる期待の重さに耐えきれず悲劇の名馬と化してしまったのである。


 ……しかし、なおもレースは続く。


 サイレンススズカ不在のまま踏み切られる府中の長い直線。坂を登りきって先頭に立ったのは、ある意味では悲劇を超えた悲劇の馬。


 かつての同期であるシャドーロールの怪物は引退して種牡馬入りこそしたが、すでに若くして非業の死を遂げてしまった。そうでなくても己自身は屈腱炎という一度でも発病すれば競走馬生命にかかわる重篤な病を、これまで三度引き起こしては三度とも退けさせて今ここにいる。


 けして諦めはしなかった馬とその陣営。最後まで諦めないものにこそ勝利の女神は微笑んでくれる、それだけを信じて。


 見事勝利の栄光に輝いたその馬の名は——————“オフサイドトラップ”。この勝利が初のGⅠ制覇でもある彼は、当時で旧八歳。まさに不撓不屈という言葉にふさわしい存在である。


 ……なお、このレースは後に競争中止・予後不良のため安楽死したサイレンススズカにあやかって沈黙の日曜日と称され、同競走にて勝利した馬の存在感が薄くなってしまうのだがそれはまた別の話である。


 また、このレースで勝利したオフサイドトラップは当日六番人気の四十二・四倍。何を隠そうこの単勝馬券を握っていた一人は私の親父である。例の日曜日は大多数からすれば悲劇そのものだったが、親父からすれば実に笑いが止まらない最高の日曜日であったのだ。


 かんらかんらと気持ちよく話していた親父の顔が今でも目に浮かぶ。それを切っ掛けに、サイレンススズカよりもオフサイドトラップという馬がとても気になりだした私。


 気が付けば度重なる不運を都度跳ね返して栄冠を賜った姿と、子供のころから度が過ぎた理不尽を親父により強いられてきた自分の人生とを無意識の内に重ね合わせていた。


 例えばどんな時でも、例えばどこでも、例えば何が何でも、諦めなければきっと夢はかなう。


 そんな、不確定要素にまみれながらも岩を穿つほどの信念を求められるという、ひりつく程のギャンブル性と鉄火場地味た狂騒にすっかりと魅せられてしまっていた。

 “逆境にいても快活”——————それこそ、まさしくあの天皇賞(秋)にて度重なる逆境を跳ねのけてみせた、あのオフサイドトラップ号のような。


☆☆☆☆☆☆


 火葬を目前に控え、ついに私に順番がまわってきた。四角い窓の外から綺麗な死に顔をさらす親父と相対して、私はこう言った。


「『俺の息子のおむつ代を稼がせてくれてありがとう』って、オフサイドトラップに伝えておいてくれ。ついでにその同期、ナリタブライアンにもよろしく。……さようなら、馬鹿なお父さんだらぶつ親父


 間もなく蓋が閉じられ、父は業火にて燃え上がる。焼きあがって骨だけになったころ、すでに私の中で親父に対する蟠りもまた灰も同然であった。


 もしもあの世で運よく名馬たちに会えたとしても、高潔なる気高いGⅠ級競走馬たちが揃い踏みなので何の気なしに触れようものならどうなるだろう。少なくとも一回くらいは噛みつかれたり、最悪自慢の蹄とトモが火を噴いて蹴飛ばされること請け合いだろう。


 いっそ馬に蹴られて情けない嘶きでもあげてしまえば尚のこと面白いはずだと、お骨上げも終わって骨壺を抱えてひとりほくそ笑む私なのであった。

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だらぶつ親父にさよならを はなぶさ利洋 @hanabusa0202

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