• エッセイ・ノンフィクション
  • 現代ドラマ

御大・谷川俊太郎に捧ぐ。

つい先日のことであった。
詩編の巨人、谷川俊太郎氏が齢九十二で亡くなられたという報せが私の元にも舞い込んできたのである。老衰だった。
作詞家、翻訳家などの顔も併せ持つマルチな才能で満ち満ちた詩人。谷川俊太郎氏の作品群は、私自身の中高生時代において切っても切っても切れない関わりをもたらした。
中学三年生の頃、恒例だった校内合唱コンクールにて指定された曲目は「春に」。作詞者の欄を見、そこに控える御大の存在感が思春期真っただ中の私にとってとても印象的であった。
「信じる」の歌詞にも言えることだが、二面性というものが谷川氏の合唱曲における主だったテーマに強く思えてならない。
裏と表。陰と陽。善と悪。美と醜。生と死。
心の内なる世界で反発と攻防そして矛盾、その末にて待ち受ける感情同士の反駁しあうような二律背反の定理。
多感な時期にて、そんなエキセントリックな空気に触れたことがきっかけで、合唱の魅力に取りつかれた私。今にして思えば、私にとっての合唱に対するモチベーションの根源とはそんな御大の作品群から発せられる目に見えぬエネルギーから来るところが大きかった。そうして、私は高校進学と同時に合唱部へとスムーズに入部を果たしたのである。
高校入学後、小規模なレクリエーション程度で催された詩の発表会。そこにて、当時担任だった古典の男性教師から勧められたことがきっかけで私含め数名の生徒で夏頃の北信越らへんで詩の遠征を敢行することと相成った。各地域の他校の生徒たちと各々自作した詩を読み合い、切磋琢磨しあったのを経て、「詩のボクシング」の実行委員会から全国大会出場の要請が私たちの元に届いた。その年の秋ごろに開催される大会を見据えて、研鑽するべく「詩のボクシング」の映像アーカイブを見てみたところ、液晶画面の向こう側にて躍るその光景に思わず目を見張る。
薄暗い舞台上に出張る年配の男性、および白文字のテロップにて取り上げられる「谷川俊太郎」という五文字の漢字。
恥ずかしながら、私はその時になり初めて御大の実在性をありありと認識できたのだった。タイトルは忘れてしまったが、内容はひたすらイモを食べて放屁、放屁、という極めて滑稽という他ない詩であったことを覚えている。
そして、それらを鑑賞し終えて、次のような結論に行き着いた。

「詩とは、オールオッケーなアートなのだ」と。

かくして全国大会本戦当日に、団体戦の部にて中二病じみた独特の世界観と楽屋オチのようなメタネタ。そして、唐突に流れをぶった切る小気味いいアドリブという馬鹿の積み木戦法で着実に勝ち進めて行って、最終的には初参加にして「声と言葉のボクシング(詩のボクシングの団体戦バージョンの別名)」大会・第三位という輝かしい成績を残すに至ったのである。
際限という名の枷をぶっ壊してくれた偉大なる先達こと谷川俊太郎氏には、頭が上がらないとしか言いようがない。
詩を通して、「創作」そのものの楽しさに気づくことができたといっても過言ではなくて、それによって今日に至るまで己の小説執筆に対する原動力となっているのだ。
いくら歳を召そうと、心は若々しく保ち明日への活力とすべし。
御大の生きざまからは、そのようなメッセージを受け取ったように思えた。どんな時でも、常に頭の片隅にて創作のことをとどめておけるようにしていきたい、というのが現在の私のテーマとなったのである。
最後に、永遠の巨匠に対し哀悼と感謝の意を表して、この報告の締めとさせていただこう。

谷川俊太郎先生。お疲れ様でした。そして、誠にありがとうございました。

合掌。

1件のコメント

コメントの投稿にはユーザー登録(無料)が必要です。もしくは、ログイン
投稿する