龍の娘 セラ

鈴音

プロローグ 異形の娘

 よく晴れた冬の日のこと。積もった雪がきらきらと輝いて、美しい銀世界を作る山の麓に、一人の異形の娘がおりました。

 彼女には、太く捻れた一対の角、ぼろぼろでふしくれだった翼、一糸まとわぬ肢体には、てらてらと光る黒い鱗が点々と生えていました。

 口の周りに、べったりと血をつけた彼女は、ぼーっと空を眺めたり、自分の足元にある雪を食べたり、特にすることも無いようで、雪を放り捨てて、後ろにあった洞窟に戻っていきました。

 洞窟の中は殺風景で、ごつごつとした岩があるだけ。他にあるものは、少し臭う、ハエのたかる肉塊だけです。彼女は、ぐぅとお腹を鳴らしながら、その肉を食べ始めました。

 言葉も何も知らない彼女にわかるのは、この赤くて柔らかいものを食べると、何だかほっとする。それだけです。

 たまに白くて硬いものもありますが、気にせずぼりぼりと食べ進めて、お腹がいっぱいになったら、また外に出ます。そんな生活を繰り返して、もう三ヶ月。肉は、すっかり減っていました。

 彼女に名前はありません。家族もいません。あるのは、この肉塊だけ。たまに、心の奥がきゅうっと苦しくなりますが、その理由もわかりません。

 ぼふっと雪の中に倒れ込んで、目を閉じた彼女は、そのまま眠りにつきました。まだ何も知らない、産まれたばかりの無垢の白の中で。

 ――どれほど眠ったのでしょうか、空には月が浮かび、きゅるきゅると寂しげな音がお腹から鳴り響きます。彼女は、変わらず洞窟に戻って、お肉を食べました。

 そうして暮らすこと、数ヶ月。外の雪はすっかり溶け、肉は無くなり、彼女はお腹を空かせて、洞窟の近くを歩き回っていました。

 そんな時です。向こうの方から、何かがやってきます。本能的に木の影に隠れると、それは彼女によく似た生き物でした。でも、彼女は自分の姿を見たことがないので、それがなんなのか、わかりません。

 どんどんと近づいてくるその生き物に、少女は酷く怯えました。慌ててその場から逃げようと、彼女が考えた時、その生き物が棒状のものを持ち上げ、少し動くと、遠くの方で、別の四足歩行の生き物が、ばたんと倒れました。

 その生き物には、木の枝のようなものが刺さり、よく見慣れた赤いものが溢れていて、彼女は、自分の食べていたものがああやって出来ることを知りました。

 よく見れば、自分の隠れる木には、大きな傷がついています。自分の爪に触れると、赤いものが出ました。

 なので、彼女は、二足歩行の生き物にこっそり近づいて、引っ掻いてみました。

 そうしたら、二足歩行の生き物は赤いものをいっぱい出して、動かなくなりました。

 そのお肉と、近くに落ちていた四足歩行の生き物のお肉は、どちら美味しくて、彼女は喜びました。

(こうすれば、お肉が食べられる)

 もちろん、こんなこと考えていません。ただ、本能で理解しました。

 それから彼女は、何度も同じようにしてやってくる生き物を食べました。

 昔よりも、お腹が減ることが減った彼女は、三日眠ったら一週間をかけてお肉を探して食べて、また眠って。そんな生活を始めました。

 あの二足歩行の生き物は、定期的にやって来ることがわかりました。いつもは一体で、たまに何体かまとめてやってきます。

 その生き物は、彼女の持つ爪のように鋭い武器を持っていて、たまに痛い思いもしますが、傷はすぐ治るので、気にせず引っ掻いて、食べました。

 さて、そうして山で過ごしてきた彼女は、見た目はすっかり成長しました。相変わらず、食べては寝て、食べては寝てと過ごしていた彼女なのですが、最近問題が出てきました。それは、あの生き物がやってこない事です。

 まとめてやってきた生き物を殺して、洞窟の奥に残しておけば、後で食べられるからと、貯蔵はしていたのですが、もうすっかり減ってしまって、そろそろ新鮮なお肉が食べたいと感じていた時のことです。彼女の住む洞窟近くに、新しい二足歩行の生き物がやってきました。

 でも、様子が変です。今までの生き物と違って、武器を持っていません。足元を見ながら、時々立ち止まりながら、歩いていました。

 何より、怖くありません。今までの生き物はみんな、びりびりとした雰囲気があって、気づかれれば襲われたのに、そんな感じが全くしません。

 じっと眺めていると、その生き物はどこかへ去っていきました。彼女は、初めて、その生き物を見逃しました。

 それから数日後。また、あの時と同じのが来ました。今度は、何かを手に持っています。それに、手に取ったものをどんどん入れていって、しばらくしてから木の傍に腰をおろして、休み始めました。

 彼女は、その生き物に近づいてみました。すると、その生き物は飛び上がって、何も持たずに逃げてしまいました。

 残されたものを、そっと持ち上げてみると、中には草と、薄いぺらぺらしたものが入っていました。

 薄いぺらぺらに触れてみると、それはとても柔らかくて、きっと彼女が触れると、ぼろぼろになってしまうでしょう。どうしてか、その事を嫌がった彼女は、何も手をつけずに、その場を離れました。

 その次の日。あの生き物が、恐る恐るやってきました。彼女は、その様子を木の影からじっと眺めていました。

 でも、彼女には大きな翼があります。もちろん、バレました。

 あの生き物は、彼女に気づいて、そっと近づいてきました。

 お互いに警戒しまくりの、望まない接触ではありましたが、彼女は手を出すことが出来ず、生き物も、何かを伝えようと、必死でした。

 彼女は、その鳴き声の意味がわからなくて首を傾げましたが、どうしてか、その音が懐かしくて、泣き始めてしまいました。

 彼女の目から溢れる涙を、生き物は拭いながら、ぽんぽんと頭を撫でて、自分を指さしながら、

「わたしは レリア」

 何度も、何度も繰り返し口にする、レリアという音を覚えた彼女は、

「レリア……レリア、レリア!」

 意味もわからず、その言葉を繰り返しました。

 それから、レリアは周りのものを指さしながら、彼女に言葉を教え始めました。今まで一度も喋らず、ものを知らなかった彼女は、きらきらと目を輝かせ、言葉に彩られた世界を楽しみ始めました。

 でも、その時間は長く続きません。空が鮮やかな茜に染まる頃には、レリアは帰ってしまいました。でも、別れ際の、また明日。という言葉は、彼女の胸に、深く残り続けました。

  

 

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龍の娘 セラ 鈴音 @mesolem

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