第109話 第三部 最終話
僕の通報により誘拐犯はすべて逮捕された。
クレアは眠ったままなのでガンダルシア島のオーベルジュに連れてきたよ。
ベルッカの屋敷よりこちらの方が近かったからね。
僕ももうクタクタだよ。
シャルの脱皮も終わっていなかったので、僕らはベッドでぐっすりと眠ってしまった。
「坊ちゃま」
メアリーに体を揺すられて目が覚めた。
「おはよう、メアリー。もう朝?」
「日はだいぶ高くなっております。お休みのところ申し訳ございませんが、クレアお嬢さまがお目覚めになりました」
クレアの目が覚めたら呼んでほしいと頼んでおいたのは僕だ。
聞きたいことはいろいろある。
シャルはまだ眠っていたので、僕はそっとベッドを抜け出してオーベルジュへ向かった。
オーベルジュの食堂でクレアは不貞腐れた態度でカフェオレを飲んでいた。
僕が入っていってもチラッと見ただけで無言を貫いている。
「おはよう、クレア」
「おはよう」
まるで何事もなかったかの態度で済ませようとしているな。
「いろいろと聞きたいことがあるんだけど」
「私は話したいことなんてないわ」
僕はクレアの言葉を無視することにした。
「どんなふうに誘拐されたの?」
「それは……、屋敷を抜け出したら馬車があって、そこに連れ込まれたのよ」
「なんで屋敷を抜け出したの?」
「遊びに行こうと思っただけよ」
「クレアの旅行鞄には数日分の着替えが入っていたそうだけど?」
クレアは音を立ててコーヒーカップを置いた。
「うるさいわね! セディーのところへ泊めてもらおうと思っただけ! これで満足⁉」
「オーベルジュに泊まりたかったの?」
「そうだって言っているでしょっ! もうすぐ学校も始まっちゃうし、その前にガンダルシア島へ泊まりたかったのよ」
それで屋敷を抜け出したのか。
「でも、ロッシェルが裏切って……」
「うちに泊まるのはいいけど、きちんとアレクセイ兄さんに許可を取らないと」
「許してくれるわけないじゃない! セディーたちが喧嘩しているのが悪いんだからねっ!」
責任転嫁!
そもそも、これは兄弟喧嘩ですらないぞ。
アレクセイ兄さんが一方的にごねているだけだもん。
だけど、あのわがまま伯爵を説得するなんて至難の業か。
「まあ、気持ちはわからなくもない。だけど、アレクセイ兄さんはクレアのことをとても心配していたよ。本当に辛そうで気の毒だった」
「それは……」
「僕も心配したんだ」
「ごめんなさい……」
クレアが素直に謝った⁉
僕はクレアが謝るのをはじめて聞いたかもしれない。
ガンダルシア島が沈没してしまうかも……。
彼女が謝るなんて去年までなら考えられないことだ。
クレアも十三歳になって少しは成長したのかなあ。
「お父さまには?」
「屋敷にはドウシルに行ってもらっている」
早朝にルールーのボートで向かったようだから、とっくについているだろう。
そろそろ戻ってくる頃合いだ。
「食事は?」
「これからよ」
「じゃあ、僕もここで一緒に食べようかな。いい?」
「好きにしたら。ここはセディーの島なんだから」
遅めのブランチを食べていると足を踏み鳴らしながらアレクセイ兄さんがやってきた。
単身、馬を飛ばしてきたようだ。
「クレア! 心配をかけおって!」
アレクセイ兄さんは声に怒りをにじませていたけど、胸をなでおろしているようでもあった。
そして僕の方を向いてばつの悪そうな表情になる。
「このたびは苦労を掛けたな。礼を言う」
アレクセイ兄さんが礼を言うなんて信じられないよ。
謝罪なんて、この父と娘には本当に縁のないことだもん。
本当にガンダルシア島最後の日⁉
冗談はさておき、ロッシェルという侍女も捕まったそうだ。
シャイロックに買収されていたらしい。
「本当に許せないわ。侍女の分際で主人を裏切るなんて!」
裏切られる主人にも問題があると思うけどなあ。
「クレアがもう少し大事にしてあげていたら、裏切られることもなかったんじゃないのかな?」
「…………」
クレアは憮然としている。
「もうよいではないか。こうして無事に戻ったのだ」
アレクセイ兄さんがこのように甘やかすからいけないのだ。
兄さんも気をつけた方がいいと思うけどな。
そもそも、シャイロックから賄賂をとったアレクセイ兄さんがいけないのだ。
もっとも、賄賂をとらない貴族なんて聞いたことはないけどね。
たぶん、この国では僕一人だけだろう。
「セディーには今回の褒美をやらなければならないな」
アレクセイ兄さんがまたまた驚きの発言をしてきた。
自分の利益しか考えないしみったれ伯爵が?
「それはありがたいのですが……」
「うむ、今回の働きに免じて、お前の言う条件で魔導鉄道を開通させよう」
つまり、シンプソン伯爵のところと同じ内容で契約を結ぶってこと?
それ、ご褒美でも何でもないですから!
でも、エマさんとの商売を考えれば悪くない話か。
今後は貨車で出荷できるぞ。
それに、ポリマー ― ルボン ― ガンダルシア島 ― ベルッカが線路でつながれば、フィンダス地方の人々はおおいに便利になるだろう。
アレクセイ兄さんがこちらの条件を飲むというのならそれでよしとするか。
僕らはその場で正式な契約書を取り交わした。
「よし、屋敷に帰るとしよう」
兄さんは満足そうな顔でクレアを連れて外に出た。
契約も取り交わしたし、お見送りくらいはしておくか。
「少し散歩をしていきましょうよ」
クレアが提案したので三人で少し歩いた。
なんだか妙な気分だなあ。
この親娘と散歩をすることになるなんて、これまで考えたこともなかったよ。
「私、デザートにメロンソフトクリームが食べたいですわ」
「ほう、美味そうだな」
「向こうの海の家で売っておりますわ。いきましょう」
仲がよろしいようでけっこうなことだ。
「ふむ、これがそうか。メロンソフトクリームとやらを二つもらおう」
見ているとアレクセイ兄さんはケモンシーに金貨を渡そうとしている。
「ダメですわ、お父様。このようなところで金貨なんて。こういったところでは小銭を使わないと」
「おお、クレアは物知りだな」
「当然ですわ。おーほっほっほっ!」
だからってどうして大銀貨を出すかな。
5万クラウン銀貨を使うなんて迷惑千万だぞ。
まあ、おつりはありそうだけど……。
僕は困った親子を島のかけ橋まで見送った。
誘拐事件から数日後、ポール兄さんがコテージにやってきた。
「いらっしゃい。今日はどうしたの?」
「兄貴から頼まれたんだ」
アレクセイ兄さんの依頼でやってきた?
一体なんだというのだろう?
兄さんは大きな木箱を抱えている。
「シャルロットはどうした?」
「脱皮の時期で体が動かないんだって。もう少しで終わるみたいだけど」
「そうか……」
僕は兄さんを中へ招いた。
「今日は兄貴から頼まれて、大切なものを持ってきた」
「なんだろう? アレクセイ兄さんからプレゼントなんて初めての経験だけどなあ」
「プレゼントではない。これは本来セディーの所有物になるはずだった品々だよ」
「どういうこと?」
「この箱の中はセディーが本来受け継ぐはずだった遺産の品々なのだ」
僕の遺産って、ガンダルシア島以外の?
「それはアレクセイ兄さんが着服したはずの?」
「兄貴はうっかり渡し忘れていたらしい」
ポール兄さんはそう言って苦笑した。
まあ、着服したとは言えないか……。
よりにもよって遺産を渡し忘れるかね?
父上がお亡くなりになってもうすぐ一年が経ってしまうよ。
「でも、どうしてアレクセイ兄さんは今頃……」
「それはおそらくクレアのことがあったからだろう。兄貴は本当に感謝しているようだぞ。それに、親としてものを考えるようになったのかもしれないな……」
「親として?」
「俺も隠匿された遺産の中身までは知らなかったんだ。だが、その内容を見てなんとなく納得したよ。まずは箱の中を見てみるがいい」
大きな箱を開けると、清潔な布に包まれた板のようなものが現れた。
「これは……」
「丁寧にな。大切な絵だからな」
僕の遺産が絵画?
ファー・ジャルグが取り扱うような贋作でなければいいけど……。
絵を取り出した僕は思わず息を飲んだ。
だってそれは懐かしい母上の肖像画だったから。
「メルサーラ・ダンテス伯爵夫人。モウラ二一七年、ラショール・ゴーンによる肖像画だ。メルサーラ殿が二十五歳のときの姿だな」
ラショール・ゴーンは後に宮廷画家にもなる卓越した絵師である。
宗教画と肖像画を特に得意とした。
絵画の中の母上は優美に微笑んでこちらを見つめている。
僕の中で薄れつつあった記憶の輪郭が急にはっきりとしてきた。
この絵は実にしっかりと母上の特徴をとらえている。
「素晴らしいだろう? ゴーンの肖像画の中でも傑作中の傑作と言われているんだ。生前の父上はこれを密かにしまわれ、自分だけが見ていたらしいよ」
「どうして?」
「これは俺の憶測だが、父上はメルサーラ殿を自分一人のものにしておきたかったのかもしれないな。父上は心の底からメルサーラ殿を愛していたからな」
「でも、父上はこの絵を僕の手に渡るように遺言状をしたためておいてくれたのですよね?」
「絵だけじゃない。箱の中を見てみろ。生前、メルサーラ殿が身に着けていた品々が残っている。それもセディーのものだ」
よく見ればどれも記憶にあるものだった。
指輪やネックレスをはじめとしたアクセサリー、化粧道具を入れておく箱、細工を施した手鏡など、どれも母上の思い出と結びつくものばかりである。
「でも、ひどいじゃないですか。どうしてアレクセイ兄さんはこれらのものを着服しようとしたのですか? そりゃあ、金銭的な価値も高いでしょうけど、ダンテス家の財産の中では微々たるものじゃないですか!」
僕は怒りに身を震わせていた。
これが現金や債券などであれば僕もここまで腹は立たなかっただろう。
だけど、母上の想いでの品となれば話は別だ。
アレクセイ兄さんにとっては他人でも僕にとってはたった一人の母なのだ。
ポール兄さんは僕の肩にそっと手を置いた。
「セディーの怒りはよくわかるよ。兄貴は本当に勝手な人間なのだ」
兄さんは母上の肖像画を見て目を細めた。
「メルサーラ殿は本当に優しい人だったよ。継母ではあったが、俺たち兄弟にも等しく愛情を注いでくれた。まあ、俺と兄貴は反抗期でな、いまから思えばよそよそしい態度をとったこともしばしばだ。思い出すと恥ずかしくなる」
「そんなことが?」
「正直に言えば、素直に甘えているお前に嫉妬していたほどだ」
そのせいだろうか?
屋敷では僕と兄さんたちの間でほとんど接点がなかったのは。
「兄貴の嫉妬は俺よりも激しかったかもしれないな」
「それで遺産を着服したの?」
ポール兄さんは何とも言えない顔で首を横に振った。
「それだけじゃない。これも俺の憶測だが、兄貴は……、おそらくメルサーラ殿は兄貴の初恋の人だ」
「そんな……」
「きっと父上と同じ心境だったのではないかな。メルサーラ殿を誰にも渡したくなかったのだろう。だが、今回のことで兄貴の中で親としての何かが目覚めたのかもしれない。それで、子から母を取り上げた自分の行いを反省した、と俺は考えている。兄貴はなにも言わなかったがな」
「話はわかりました……。ふぅ、うまく考えがまとまらないな。紅茶を淹れるよ。兄さんも飲むでしょう?」
「ああ、ミルクと砂糖も頼む」
ふっと横を見るとテーブルの絵の母上が僕ら兄弟を見てほほ笑んでいた。
(打ち切りになってしまったので、第三部をもってこの物語は完結です。ここまで読んでいただき、ありがとうございました)
アイランド・ツクール 転生したらスローライフ系のゲームでした。のんびり島を育てます 長野文三郎 @bunzaburou
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