姫に振られたら竜と仲良くなりました

星見守灯也(ほしみもとや)

姫に振られたら竜と仲良くなりました

 とある王国、とある時代の話。王がひとつの布告を出した。


「竜を倒したものに姫を嫁がせる」


 最近、鉱山に竜が出たもので、鉱夫が怖がって逃げ、採掘が進まない。元手になる資源がなければ交易もストップしてしまう。これは鉱山だけでなく、この国の一大事! そういうわけで、王は竜討伐の募集をかけた。


 報酬はフォンテーネ姫との結婚! この布告に国中がざわめいた。姫は若く美しく優しいかただったから。




「え、本当に?」


 エルツは布告を聞き、しばらく頭が働かなかった。公示人にこづかれて、ようやく後ろの人の邪魔になっていたことに気づく。鉱夫のエルツは今年で二十三、そろそろ結婚を考える年の男である。もちろん独り身。


「姫さまと結婚……」


 それは十五から山にこもって仕事をしてきたエルツにとって、夢のような話だった。


「そうかあ……」


 エルツも鉱夫として竜をなんとかしたいと思っていた。実際、鉱山で同僚が竜と出くわして逃げてきたのも見ている。竜は恐ろしい声で吠え、その声が坑道に響き、まるで悪魔の呼び声のようで肝が冷えたと言っていた。


 事故ならともかく、竜に食われて死にたくはない。鉱夫としても収入がなくなるのは困るので、それでもと働く者も多かったのだが、こないだ採掘を始めたばかりのところで竜のうなり声が聞こえた。そこにいた鉱夫たちはみんな縮み上がって戻ってきた。


 逃げたときに怪我を負ったものもいて、これはさすがに耐えられなかった。なんとかしてくれと鉱山管理者に詰め寄ったが、彼だって竜をなんとかする手段は持っていない。


 坑道に入りたがらない鉱夫が増え、トロッコも止まり、管理者は頭を抱えて地方長官に泣きついた。地方としても重要な産業が止まるのは避けたく、かと言って鉱夫に行けとも言えない状況だ。こうなると鉱山街は仕事にならない。鉱夫や選別人だけでなく、そこで働く食堂や酒場、床屋、用品店だって、丸ごと困ってしまったのだった。


 羽振が良かった街はいまやひっそりとしている。家族とともによそに移る鉱夫もいれば、節約しようと家にこもって内職を始めた者もいる。ともかく、活気が消えた街を見ていると、エルツはなんとかしたいという気持ちになった。それは、なんとかしないと仕事がなくなるという危機感でもあった。鉱夫以外の仕事をできる気がしなかった。


 それに……エルツは体も丈夫で力も強いほうだ。竜を倒して、もしかしたら、なんて考えたりもする。


「姫さまかあ……」


 以前、鉱山に慰問に来たことがある。歓迎したエルツたちの手を取って……そう、傷や汚れの多い、このゴツい手を取って、「ありがとうございます、すてきな手ですね」と言ってくれたのだ。それ以来、エルツはこの姫のことを好ましく思っていた。


 あのおきれいなフォンテーネ姫と俺が結婚。王には後継の王子がいるから、うちに連れてきたっていいだろう。鉱山から帰ってきたら、毎日「おかえりなさい」って迎えてくれて……。そんな日々が、もし叶うとすれば。


「いくか、竜退治」




 城に集まってきた腕自慢の男たち(と数人の女性)は、まず木剣で力比べをさせられた。こんなもの、ハンマーの重さに比べればたいしたことはないと、エルツは挑んできたやつらの腕をひょいひょいとひねり、放り投げた。


「勝者、エルツ!」

「次は誰だ!」


 やってきたのはエルツより三つばかり下の男だった。エルツより細いが、しっかりとした体格だ。彼は剣を腰に直し、深く礼をしてみせた。エルツも急いで剣先をおろし、礼を返す。


「どうも、おれ、ヴァイツです。よろしくお願いします」

「あ、これはどうもご丁寧に。俺はエルツです」


 むむ。いいやつだな、こいつ。顔も悪くない。姫もこんなイケメンと結婚した方が……いや、だめだ。俺だって姫さんと結婚したいんだい! 相手が誰だろうと、手加減はなしだ。


「いきます!」

「お、やるなあ……」


 手加減はなしだと言ったが、この男、なかなかやる。攻撃が的確で、ひとつひとつにちゃんと腰が入ってる。先ほどまで相手していたような、そこらの暴れ者とは雲泥の差があった。重いハンマーに慣れたエルツのほうが、軽い剣を扱いかねる場面もあり、勝負はなかなかつかなかった。


「強い!」


 ヴァイツが剣の腹で受け、ぎっと歯を食いしばる。エルツも剣を逃し、脇を締めなおして横から殴りにいく。


「いくぞ!」


 渾身の振り下ろしを避けられ、逆に膝裏に蹴りがきた。エルツはたまらず体勢を崩す。そこに追撃がくる。くそ……俺の姫さまへの想いはこんなもんじゃねえ……! とっさに立ち直って、払いをさばいた。早い! だめだ、それ以上続かねえ。


「くっ……!」

「そこまで。ヴァイツ、エルツ、選抜突破だ。こちらへ」


 そこでの説明によると、技量十分の八人が選ばれて討伐に行くらしい。ヴァイツに押されたのはくやしいが、俺にもチャンスがあるということだ。よし、竜を倒して姫さまと結婚するぞ。



 玉座の間は、しんと静まり返って、エルツはいるだけでそわそわした。王の声だけが広い空間に響く。俺、こういう場苦手なんだけどな。チラッと隣を見ると、エルツは厳粛な面持ちでまっすぐ立っていた。そうだ、姫と結婚するのなら、このくらいできなくてどうする。エルツは腹に力を入れて、王の話を聞いた。


 王から直接命じられて討伐に行くという形を取った後のこと。


「……道がわからない!」


 エルツはトイレに寄ったところ、城の中で迷ってしまった。坑道だと迷わないのになんでだろうなあ。城は鉱山くらい広く、しかも各代の王が増築を繰り返していると聞いた。大理石の白い壁が続き、あちこちに別れ、まるで迷路。城門前に集合しなければならないのに、今どこにいるのかもわからない。


「ん?」


 すると人の目から隠されたような、中庭らしき場所に出た。見覚えのある影。あれは……ヴァイツじゃないか? あいつも迷ったのか。エルツがその後ろ姿に声をかけようとした時、会話が聞こえてきた。誰かいたのか! 思わず植え込みに身を隠す。


「こんなことしなくても、おれは竜を倒してきます」

「私は……あなたに無事でいて欲しいのです。受け取ってください、竜殺しの剣を」


 この声は……フォンテーネ姫じゃないか! なんでヴァイツと……。


「昔の王が作った、竜の牙で鍛えた剣だといいます。あなたの助けになってくれるはずです」


 対するヴァイツは、なにかを、たぶん剣を受け取ったようだ。


「身分が合わないと反対されそうで、父には言えずにいます。けれど、竜を倒せば十分な実績になります」

「大丈夫です。おれは――竜を倒して、あなたのもとに戻ります」


 ヴァイツの声は、泣きそうなほどに切実だった。それに応える姫の声もまた。


「私はあなたと結婚したいのです。どうか、どうか……!」


 エルツはそっとその場を離れた。とぼとぼと白い廊下を引き返す。なんだよ……こんなの出来レースじゃないか……。




 エルツは衛兵に道を聞きながら、なんとか城門にたどり着いた。よかった、まだ時間には余裕がある。少し経ってヴァイツも戻ってきた。ヴァイツの腰にはさっきまでなかった剣がある。つい、ちらちら見てしまう。気まずいのは、エルツだけだ。


「どうしました、エルツさん」


 ヴァイツは心配そうに聞いた。これじゃあ、俺ばかりが不審人物じゃないか。あわてて大きく手を振ってごまかす。


「ん、ええと……緊張しますね! そういえば、どうしたんです? その剣? 先ほどは持ってなかったようですが」


 おい、俺! もっとましな聞きかたはないのか!?


「ええと……大事な、お守りです」


 言いにくそうにヴァイツは答える。


「……竜に効くかはわかりませんが」


 そうかあ……。お守りかあ。この言いかたからして、姫からもらった剣を使うのは不本意なのだろうと思う。


「出発だぞ!」


 やってきた兵士が叫んだ。エルツはそれ以上、ヴァイツに何も聞けなかった。




 がたごとと荷馬車が揺れる。鉱山までの長い道のり、居心地悪そうにヴァイツが話しかけてきた。


「ええと、エルツさんは強かったですね。なんのお仕事を」

「鉱夫をやっていますが、竜のせいで仕事にならないんです。ヴァイツさんは?」

「ただの農民ですよ。毎日、くわを振って……」


 まじめな仕事ぶりなのだろう。自然に鍛えられるほど、体を使ってきたのだから。それどころか、身のこなしも的確で鋭く、相手の隙に飛び込む度胸もある。例えば、戦士になったとしても、存分に活躍することだろう。


「姫様がご病気をされたとき、おれの田舎が療養先になったんです。そこで知りあって……ご自分もつらいだろうに、まわりのことを気づかう姿を見て――いい方だなって思いました」

「……そうだな。俺が会ったときも、優しい方だった」


 ヴァイツにも、姫を好きになるきっかけがあったようだ。そうだよな、姫に惚れたのは、俺だけじゃない。それだけ、素晴らしい方なのだ。でも、その姫自身はこのヴァイツを好いているようだ。そう思うと、胸が重くなる。


「……もし、もしですよ。おれなんかが竜を倒したとして、本当に……」


 言葉に詰まったヴァイツは、首を横に振った。


「いえ、実績があれば王様は認めるでしょう。賢明な王様です、いまさら、なかったことにはしないと思います」


 そうだなと思いながら、エルツはうなずいた。王は約束を違えることはしないだろう。でも、姫はそれでいいのか? エルツは声を落とし、前から恐れていたことを聞いた。


「……もし、姫さまが嫌なやつと結婚することになったら、どうする?」

「それは……」


 ヴァイツは言い淀んで、力いっぱい昼食の硬いパンを割る。


「あまり考えたくないですね。……どうぞ」




 丸一日後、例の鉱山についた。鉱山の入り口で馬車から降り、八人は進むことになった。すぐそこに大きな岩山がある。風に木々が揺れ、うめくような音が鳴り、これからの不安を煽りたてる。しかし、さすがは選ばれた人たちだ。恐怖を腹の底に押し込め、入り口の前に立った。


 みんなで協力して倒せばいいのにとも思うが、姫様が重婚するわけにも行くまい。当然、エルツも譲る気はなかった。もちろんヴァイツも。わざわざ足を引っ張る気はないが、協力もしていられないのだ。


「エルツさんは、ここの鉱夫ですよね。どこに竜が出るか知ってるんですか?」

「ん? この前、鳴き声聞こえたのは、南の第二号坑道で……」


 エルツが言うなり、みんなそっちに走っていってしまった。ここに残ったのはエルツとヴァイツの二人だけ。


「でも、その前は西だったし、なんか山全体を見回っている感じがするんだけどなあ……」


 坑道図を見ていたヴァイツは、多くの坑道とつながっている入り口を指した、


「エルツさん、おれはこっちから行きますよ。あなたは?」

「うーん、俺は……まあ、向こうから行ってみるかな」


 同じところを行ってもしかたない。こればかりは運もある。エルツはいつも使っている坑道を選ぶことにした。地の利があれば、見つけやすいし、万が一があっても逃げられるだろう。ヴァイツはなにを考えているのだろうか……?


「ねえ、エルツさん」

「うん?」

「竜が倒せて、姫様が幸せなら、おれじゃなくてもいいって思うんです」

「……そうか。そうだな」


 こいつはいいやつだ。姫と結婚させてやりたい。姫だって、こいつと結婚したいんだろう。でも、エルツだって姫と一緒になりたい。


「あ、でも、もちろん、竜に出あったら倒しますよ。ちゃんと」

「ああ。俺もそうするよ」




 エルツにとっては慣れた坑道だが、鉱物を採るためではないというのはおかしな感覚だ。濡れた岩盤がツルツル滑るのを踏み締め、下へと降りていく。竜の気配に全身で耳を澄ませる。……奥で鳴き声がしたとかどうとか。岩盤に反響してそれはそれは恐ろしい音だったとか。


 カンテラが坑道を照らす。採掘されていない坑道は灯りが落とされていて真っ暗だ。自分の影だけがついてきている。どこまで行っても何も出てきそうにない。この道はハズレだったか?


「おーい、竜、いるかー?」


 思わず大声で呼んでしまった。すると……。坑道の奥に、キラッと光るものが見えた。あれは……! エルツはカンテラの火を背に隠し、しゃがんだ。竜か? だとしたらまだこちらに気づいていない。このまま近づいて……。


 エルツは腰の剣に手を伸ばした。こんな剣、役に立つのか? 竜は硬い鱗に覆われている。しかし酒が好きで、喉には逆鱗があると言われている。ここは竜の弱点であり、剣で突けば一撃で死んでしまうのだ。もちろん、一撃で倒せなかった場合、竜の怒りに触れ、命はないそうだが。


 ズシン、と地面が揺れた。何かが近づいてくる……! エルツは身をかがめ、それを待った。


「やあ! 人間さん、どうしたんですか!?」


 その声は、わああん……わああん……と反響した。耳が痛い! 坑道で叫ぶな、バカ! ……え?


 暗闇でもピカピカ光る赤い鱗。鼻や、鱗の隙間から噴き上がる熱い蒸気。金の目は大きく、これを掘り出したとすれば一生遊んで暮らせるだろう。カパッと開いた大きな口には、水晶のような牙が並んでいる。


「竜……いや、ええと……」

「はい! エッセンといいます、どうも。で、どうしたんです、そんな怖い顔して」


 エルツは言葉が出てこなかった。あ、これダメだ、死ぬかも。体が凍ったように動かないエルツを見て、竜は首を傾げ、爪先でつんつんと突っついたのだった。その爪は、ちょっと引っ掻いただけでミンチになりそうなほど鋭かった。


「ぎゃあああああああ!?」




「あー、人間さんは私に驚いたんですか。それでエルツたちが倒しにきたんですね」


 坑道に丸まった竜の隙間に収まり、エルツは話を聞いていた。死ぬほど驚いたが、どうやら話の通じる竜らしい。爪だって先端を当てなかったから、怪我一つしなかったし。


「挨拶だったんですけどね。ほら、人とばったり会うとびっくりしちゃうでしょ?」

「そうだったんだな……。いや、エッセン、おまえは声だけでも怖いから」


 どうも人間側の勘違いだったらしい。とって喰う気はないようだ。


「それでおまえを討伐すれば、姫さんと結婚できることになっててな」

「ふーん、ほうびに使われるなんてかわいそうですねえ。自分で相手さえ選べないなんて」

「……そうかもなあ。姫さまはさあ、ほんとにきれいで優しい人だからなあ」

「ほうほう。それで?」


 エッセンはふんふんと鼻を鳴らして聞いた。熱い鼻息でエルツは吹き飛ばされそうになる。おまえ、討伐されそうになってるのに気楽なやつだな。


「視察に来た時、汚れた俺の手をとって『すごい仕事ですね』って言ってくれたんだ……」

「優しい姫さんなんでしょう? たぶん、誰にでも言ったと思いますよ」

「そうだろうけどさ! いや、でも、姫さまが好きなのは俺じゃねえもんなあ……」

「へえ? 恋ですか。それは誰です?」


 興味津々とばかりに首を突っ込んでくる。こいつと話してると気が抜けるなあ……。


「姫さまは……ある男が好きなんだろうなあって。竜殺しの剣を渡してたんだ」

「ふむ? 竜殺し?」

「竜の牙で鍛えたとかいう……ほんとかなって思うけど」


 エッセンはふーんと考えた後、気楽に言った。


「それ、私の牙かもしれませんね」

「なんて?」

「昔、虫歯で抜けた歯を人にあげたことがあるんです。そうかあ、竜殺しかあ、どんな伝わりかたしたんだろ」

「あれ、竜殺しじゃ無いの?」


 なんだか聞いていた話と違うぞ。


「まあ、殺せることには違いないですけど、急所を刺されれば普通の剣でも死にますって」


 あっけらかんと言ったエッセン。そりゃあ、逆鱗を刺せば死ぬとは聞いてたけど! もっとこう、すごいパワーでやっつけるとか、そういうものと思ったのに! どうやら普通の剣と大して変わらないらしい。


「でも人間は大事に取っておいてたんですねえ。ちょっと嬉しいかも」


 ご機嫌なエッセンとは反対に、ぼんやりと期待していたエルツががっくりと肩を落とす。竜はそんなことは知らないとばかりに、話題を変えた。


「しかし、エルツはずるいと思わないんですか。ひとりだけひいきとは」

「姫さまだって好きな人と結婚したいだろうしな。でも、農民だから、王……親父さんには言い出せなかったんだろうさ」

「あー、そういうあれですか。人間には身分がありますからね」


 わかったようにエッセンがうなずく。


「ああ。でも、あいつはいいやつだからなあ……」

「そうなんですか?」


 エルツはここに来る道中を思い出した。強いけれど丁寧で、優しい男だと思った。


「城からここまで来る時、いろいろしゃべったんだけどさあ……あいつ、いつもパンを俺たちの方に多く分けてくれるんだよな」

「そりゃあ、いいやつですね!」

「だろ? んで、竜殺しの剣は……使うつもりないんだと思う。自分の力だけで結婚したいんだ」


 姫が好きになるのも納得の好青年だと、エルツはため息をついた。俺だって自信がなかったわけじゃない。でも、彼なら姫と結婚したって、心から喜べる気がした。


「……エルツは私を倒さず、ここでぐだってていいんですか?」

「まあ、エッセンは危険というわけでもないし……」


 確かに《挨拶する》と怖いけれど、人に危害を加えるわけではない。人間が勝手に怖がっていただけだ。


「エッセンはどうする? ここから逃げるか?」

「……エルツは困らないんですか?」

「ん?」

「姫さんと結婚したくないんですか?」


 エルツは彼と打ち合った木刀の重さを思い出した。竜殺しの剣を受け取った時の思い詰めた声も、馬車の中で分け合ったパンの硬さも、「姫が幸せであればいい」と笑った顔も。――そうだ、姫が幸せなのが、一番いいじゃないか。そして、そのためにこの竜が痛い目見るのも違うと思う。


「竜を倒せば英雄になれる。でも、俺は嫌だ」


 エッセンを倒さなくてもなんとかなりそうな気がする。問題はどうやって他の人にそれを伝えるかだが……。




「竜だ!」

「竜がでたぞ!」


 のっしのっしとエッセンが近づいていくと、討伐にきた男たちは、ようやく気づいたようで騒ぎ出した。どうやら坑道が繋がっているところで、他のやつと合流していたらしい。慌てふためき逃げ出す中、ひとりで竜に立ち向かう男がいた。


 逃げるやつらをかばうように、剣を構え、まっすぐに立ち、竜を威圧する。それは殺気といっていい。竜を前に臆しない、ヴァイツは本当に強い男なのだ。姫を守るだけの力があることは十分にわかる。竜を倒すだけの力があることも。


「姫さんが惚れるのもわかりますねえ」

「だろー?」


 ヴァイツは竜に剣を向けているが、攻撃はしない。じっと様子を伺っている。そりゃそうだ。エルツがエッセンの手に乗っている。人質だと思っているのだろう。ここでもろとも切るようでは姫はおまえに渡せない(エルツにそんな権限はないが)。


「こんにちは! わたしはエッセンです」

「竜がしゃべ……!?」


 ヴァイツはあやうく剣を取り落とすところだった。そうだよな、信じられないよな。


「おお、あなたはあんまり驚かないんですね」

「ヴァイツ。ちょっと話を聞いてくれるか?」


 ヴァイツは剣から手を離さず、竜の手の上にいるエルツを見た。


「……おれは竜を倒しにきたわけだが」

「人間だって鉱物資源が必要でしょう? わたしは鉱物が好物でして……あ、ここ笑うところです」


 ヴァイツは笑わない。そのかわり、きょとんとした表情になる。


「鉱物を食べて魔力を取り入れて、残りを精錬して外に出す。その……うんこです。人間が掘ってる鉱脈はわたしのうんこなんですね!」

「うんこ……」


 ヴァイツは目を丸くして、それから考えこんだ。竜が鉱物の純度を高めていたのか。それが時間をかけて鉱脈となり、人間が掘り出し、国を潤していたらしい。


「そうか、人間のうんことは違うが、そうなのか……」

「そういうことなんで、倒したら困ると思うんだ」


 エルツが言い添えると、ヴァイツはますます悩んでしまう。竜を倒すためにここに来たというのに、竜は国の資源を作っている存在だという。


「じゃあ、あの恐ろしい声というのは……」

「挨拶です。たまに人間にぶち会ってしまうこともあって、みんな驚いてしまうんで」

「そ、そうか」


 毒気を抜かれたように、ヴァイツは剣をおろした。エルツは、彼はもう戦う気はないのだとわかった。


「だから、そういうことを王様に報告できないかな」

「うん。そうだな」


 いや、納得が早い。よかった、頭もいい男だ。


「だって、人を襲ったわけじゃないんだろう?」

「そうですね」

「王には危険性はないと報告します。お騒がせしてすみません」


 ヴァイツは礼儀正しく頭を下げて見せた。一方、焦ったのはエッセンのほうだった。


「で、でも、姫さんとケッコンできなくなるんじゃないんですか?」

「倒して欲しいのか、欲しくないのかどっちだよ、エッセン」

「倒して欲しくはないですね」


 エッセンが言うと、ヴァイツは困ったように顔を歪めた。


「なら、いいです。姫さまは……うん、それは……」


 おまえはそれでいいのか。諦められるほどの思いだったのか。エルツは腹がかあっと熱くなるのを感じた。


「あきらめんなよ!」

「うおっ!?」


 エルツは思わず叫んだ。


「姫さんのこと好きなんだろう!? 諦めてんなよ!」

「う、うん……いや、でも、エルツさんだって」


 あきらめる悔しさはエルツにもある。ほんとうに、苦しい。俺だって、姫の柔らかい手を握りたかった。それでもエルツは、一番いい決着の方法を知っている。


「バカやろう! 『自分が幸せにする』くらい言え! 俺だって姫さまに幸せになってほしいんだよおおおおお……!」


 坑道に、エルツの泣き声が響き渡った。




「ほう、竜は特に害がないと……被害は多くが竜におびえて逃げた時のものか」


 ヴァイツが代表して報告すると、王はふむと頷いた。


「そうです。竜は山々を巡り、鉱石や宝石を精錬して排出しています。竜のおかげでこの国は潤っているのです」


 そう言いながら、石の欠片を見せた。竜は鉱物を食べ、体内で純度が高くなった鉱石を出す。これが積み重なることで、長い年月をかけて鉱脈となる。王はふむとヒゲをなでた。石を見ながら、若者の言うことはもっともだとうなずく。


「とはいえ、竜のそばでは人も落ち着かないでしょう。竜も同じことです。鉱山と竜の間に仲介者を置くのがいいと思います」

「なるほど」

「それで、竜とも話したことがあり、鉱山にも顔がきく、ちょうど良い人材に心当たりがあるのですが」


 こうして……竜は山を歩くとき、首に大きな鈴をつけることになった。竜の鈴が鳴れば人は採掘を止め、休憩に入る。エルツは竜との折衝役として山の近くに暮らし始めた。優しい気質の竜ではあるが、人とばったり出会ってしまわないように。


 これ以来、この山で、竜の声に人が驚き、慌てふためくことはなくなった。竜はたまにエルツを訪ね、酒を飲むそうだ。




 そして、姫はというと。


「この剣、お返しします。竜を倒したわけではないので、婚姻の話はなしになりました」


 さっとフォンテーネ姫の顔が曇った。ヴァイツはそれを引き止めるように、急いで言葉を続ける。


「でも、おれは一介の農民ですが、立派な男だと示せたと思います。だから、一生をかけて、姫をお守りしたい」


 姫は息をのむ。震える姫の手を取り、ヴァイツは力強く握った。姫からも期待するように握り返す。


「王様には……すぎた願いですが、自分から申し上げます。ですので竜とは関係なく……失礼ながら、俺と……その……」


 ヴァイツが絞り出すように言うと、姫の頬に真珠のような涙がこぼれた。せつなげな声で答える。


「大事な人がいると、父に言えなかった私が臆病だったのです。どうか、私とともに、父を説得してください……!」

「それでは、俺と……付き合ってもらえますか?」


 返事は当然OKだった。




「チックショー、振られたぜ!」

「コクッてもいないクセにぃー!」


 鉱山から少し離れたエルツの家、エッセンが入れるように大きく建てたばかりだ。なにせ、このでかい竜は元のエルツの家の入り口につっかえ、簡単に破壊してしまった。そういうわけで、竜と人間の窓口として、新たに家を建てたのだった。


 エルツは奥から酒樽を持ってきた。このめでたい日のための、とっておきのビールだ。


「二人とも、おしあわせにな!」

「飲みましょ飲みましょ、人間さんの酒は美味しいので」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

姫に振られたら竜と仲良くなりました 星見守灯也(ほしみもとや) @hoshimi_motoya

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ

参加中のコンテスト・自主企画