私は罪を侵しました。
鈴ノ木 鈴ノ子
わたしはつみをおかしました。
夏真っ盛りの真昼のことだ。
駄々広く背丈を超えるくらいに育っていた向日葵畑の中を、友軍兵士と一緒に警戒しながら進んでいた。
敵勢力圏でもなく、かと言って味方勢力圏でもない、そんな不安定な場所だった。
「敵!2時方向!」
戦友がそう叫んだ直後、彼の頭は綺麗に咲いた。周囲の向日葵に赤い血が肉片とともに前衛芸術的の絵の具のように飛び散る様をその場に倒れ込む時に見た気がする。
「撃て!撃て!」
若い下級貴族上がりの小隊長の金切り声が暫く続いたがやがて途切れる。周囲の連続して響く銃声もやがては敵味方ともに消え失せていた。
そして後には呻き声があちこちから聞こえてくる。助けてくれ、まだ死にたくない、やり残したことがある…。悲痛な断末魔が敵味方双方から、さながら地獄のオーケストラの演奏のように奏でられ、やがてパートを終え始めてゆき、それらはやがて消えていった。
必ず、最後にはママと言って…。
私はその場に伏せたまま、その双方の聞こえてくる音を聞き流していた。動けないではなく動かない。動いてはならないことを私はよく知っている。
生きる屍を演じながら、周囲に触覚を伸ばすかのように全感覚を張り巡らせた。全ての声音が消え去るまでじっと待ち、向日葵が風に揺れる音のみになった頃、私はゆっくりと身を起こし、そしてこっそりと持っていた無線機のスイッチを入れて秘密裡に指定されていたチャンネル回線を開いた。
「カンターレより司令部へ、カスタネット軍団の処理を完了、送れ」
「司令部よりカンターレへ、高高度より処理の完了を確認した。コンプリートと判断する。よくやってくれた。コンダクターはお喜びだ。これでマエストロが処理を進めやすいことだろう。帰投せよ。迎えを差し向ける。集合地点に向かえ、送れ」
「了解した。終わり」
無線機のスイッチを切って私は立ち上がった。
やがて穴だらけの向日葵の先に敵国の兵士が立っているのが見えたが、互いに下げている銃も、下げている刀も、一切に手を触れることはない。
ただ、互いに残念そうに首を振り合い、互いの苦労を共有するように労う。
「アルフォリヤ!(また会おう!)」
「ごめんだ、これっきりだぜ!」
敵国語でそう言ってやると、母国語で流暢な返事が返ってきた。互いに背を向けあい、その場から立ち去ろうとした時だ。
パン!とはぜる音がした。
訓練通りに体は反応して、すぐにその場に伏せる。向日葵の揺れる音の間に拳銃の射撃音が連続して鳴り響いていく。
やがて、銃声は止んだ。
その後には啜り泣くような女の声が聞こえてきた。
真夏の太陽の日差しと、向日葵の揺れる音、温かな空間であるべき場所なのに、周囲には、肉片と血、硝煙と空薬莢、女の絶望した啜り泣きがある。
天国と地獄を描くならこうなるのだろうか…。
暫く動かすに身を潜めて、そんなことを考えていたが、やがて怒りが沸々と湧いてきた。それはこの作戦に指名されるにたる、冷静さと一種の病とも思える客観性を備えた心の押し込んでいた硬い感情の鍵を揺らす。
なにをもって啜り泣いているのだろうか。戦場で泣く意味はなんなのだ?
私達はオペレーションフィナーレを奏でるオーケストラの一員として志願し、そして患難辛苦の果てにこの演奏を終えたところだと言うのに。最後の最後で素敵な別れとなるはずだったというのに。と恨み辛みが心の金庫の鍵穴より滲みだしてくるとあっという間に鍵を腐らせていく。やがて膨張した怒りが扉を吹き飛ばした。自動小銃を持つ手に力が入る。いや、こんなもので簡単には殺してやることは無い。それを地面へと投げて腰の拳銃を抜いた。それは古風極まりないリボルバー拳銃で、ずっと苦楽を共にしてきた相棒である。
「仇を取ってやるよ」
そう、小さく呟くと私はそのすすり泣く声の元へ、灼熱の太陽と黄色でむせ返りそうなほど温かな世界に怒りに身を任せて進んでいった。やがて、視界に入ったのは先ほど手を振り合った同志とその横で両ひざを地面に着き、顔を両手で覆ってすすり泣いている敵国士官の服装をした女だった。拳銃を構えたまま、私は一歩、また一歩と近づき、やがて彼女の後頭部に銃口を押し付けるように当てた。
「おい、なぜ殺した」
喉を突いて出たのは滑稽な言葉だった。
この場所がどんな場所であるかを十二分に知っているというのに。
「我が家を滅ぼした男だからよ」
突拍子もない返答が帰ってきて私は思わず狼狽してしまう。てっきりこの裏切り者をなどという簡単な理屈を並べ立てるかと思っていたし、そういう場所でそう言う人種が揃っているだから、そんな馬鹿らしい返答しかないと踏んでいたのに。
「どういうことだ」
押し当てていた銃口を少し後ろへと下げると、素早い身のこなしで女はこちらへと姿勢を変えた。慌てて銃口を押し当てようとするものの、今度は後頭部ではなく、額に押し付ける形となった。女から反抗の意志は感じ取ることができなかったが、その代わりに見つけてしまったのは2つの泥沼のように濁った眼であった。
「駄犬とはね」
「ああ、駄犬さ」
女の口が淡々とそう言った。駄犬、は敵国の馬鹿どもが我々に名付けた素晴らしいネーミングだ。まったくと言っていいほど的を射すぎて反吐が出るほどに素敵な言葉だと私は思っている。
「あなた、なにも感じないの?」
その罵りの言葉に普通の兵士ならば、殴るなり、蹴るなり、唾を吐きかけるなりするだろう。戦火で街を焼き、住民を惨殺し、敵国語で「番犬もできない駄犬」と住民の血文字で罵った言葉を書き連ねた敵国軍の姿は世界に驚きを持って紹介されていた。
もちろん、その陰で我が軍もそれに負けず劣らずの行為をおこなっていたことは確かだが。
きっと女は私がそう言えば逆上して殺すだろうとでも考えていたのだろう。
「なにを感じればいいんだ?感じさせてやることならできるぜ」
下品な笑みを浮かべてそう馬鹿にしてやると、女は突然、クツクツと不気味な笑い声を上げた。
「やってごらんなさいよ。あんたのじゃ、私を見て縮みあがって不可能よ」
そう女が吐き捨てるように言い放つと、歴戦の汚れの目立つ自らの服の胸元に手をかけて、左右へと引きちぎるように開いた。
女の闇がそこに納められていた。
右の右肩から胸、腹へと何かが流れて皮膚を焼いた跡。どす黒く変色し、まるでリバーシの駒のように対を成している。真っ白い皮膚はナイフやその他何かで切られたり叩かれたりしたのだろう、戦場の町の煉瓦造りで崩れた家のように酷い有様だ。
「どう、抱いてみる?ちなみに処女よ」
絶望では軽すぎる、この世のすべての憎悪を練り込んだ微笑みを見せて女は私を誘う。
「ああ、さらにおまけしてあげる。グレーヌ伯爵家の長女、リエスタといえばどうかしら」
その名前は敵国の私でも知っていた。
グレーヌ伯爵家のリエスタと言えば社交界の花と詠われるほどに知性と美貌に溢れた女性だった。同時に軍人家系である伯爵家で反戦派としても名を知られていた。わが国でも慕うものが出るほどに聡明な女性として名高い、だが爵家を含む「交戦派」の屋敷などはオーケストラが襲撃してすべて葬り去ったはずだ。
オーケストラは双方の戦力をできるだけ削いだのだ。
「どう?できないでしょ、この臆病者!」
更なる罵りと罵倒の言葉が続く、私はリボルバーをホルスターにしまう。そして、リエスタを無理やり押し倒した。初めてその表情に恐れが漲るが、やがて諦めの表情へと変化していく。
「最後の最後に屑に散らされて殺されるなら本望よ…」
最後にそう短く呟いたリエスタをじっと見つめていると、一吹きの風が辺りを吹き抜けていく。その風が悪戯好きの旋風となり、私の被っていた戦闘帽が連れ去られた。
頭と顔全体を覆い隠していた帽子とスカーフが落ち、私の顔面は日の光の下にさらされることとなった。
「ヒッ…」
リエスタの目が初めて光を宿した。
「怖いか?面白いだろう?、顔の左の半分はこうなんだよ」
私の顔は左に歪んでいる。
皮膚はケロイドとなって固まりそして左目は闇を宿した空洞だ。むろん、髪の毛などは一切ない。無事に残っている顔面は右半分だけ、それ以外はオーケストラの作戦の折りに戦闘相手の薬品を浴び、それからこのような容姿へとなり下がってしまった。
「どうだ、気持ち悪いだろ」
私が引き攣った微笑みを湛えるとリエスタの両手が伸びてきて、私の頭を本当に大切なものを包み込むように両手で抱き、固く、それでいてとても柔らかな、小春日和の風のような香りのする胸中へとゆっくりと抱きしめられた。
「どうして…こんなになるまで…貴方は戦うの?」
場違いな問いがリエスタの口から私へと囁かれる。
トクン、トクンという規則正しい心臓の音が抱きしめられて押し付けられた耳から聞こえた。それは生きているということを知らしめる最も素晴らしい音だ。
そして胸元で抱きしめられることは、人が生きてることを、もっとも感じやすく、もっとも理解しやすい。
人間が人間として生まれて以降、ずっと営まれ育まれた、最も簡単で、最も難しい行為だ。
「この守れない世界を終わらせたい」
「守れない世界?」
「集団で、銃を取って、ナイフを取って、拳を取って、敵と呼ぶ相手を害してしまう、ことをだよ」
「皆がこう言うわ、敵から守るため、って」
リエスタが、どこでもありふれて、どこでも聞きなれた、言葉を、まるで単語を話すように口にした。
「ああ、守ることは正しい。大切なものを守らなければならない。それは人間として当たり前のことだ。失ってはならない物、者、モノ。それは確かにあって必ず死守しなければならない。それが個人ならばいい。だが、それが大きくなってしまうと守るべきものが守れなくなる」
「詩人ね、軍人をするべき人じゃないわ」
「ああ、するべきでないことは分かっているつもりだ。だからこそ、この任務についた。卑劣な裏切りも、卑劣な行為も、なんにでも自らの手を汚した。幼い子供から老人まで手に掛けることも、屋敷の一族を根絶やしにもした」
それを聞いて頭を包む両手に力が入る。だが、その力もしばらくするとゆっくりと抜けていった。
「私の家を襲撃した時、アイツは命令するばかりで何もしていなかった、それなのにあなたは…」
「自らが動かないでどうする。手を汚してこそ、その罪を背負えるんだ。すべては終わらるためなのだから」
そしてこの戦闘の真の意味をリエスタに語る。
交戦状態となった両国間の軍人同士が秘密裡に協定を結び設立した機関がある。
それがオーケストラだ。
軍事ホットラインのラストチャンネル要員で構成されたオーケストラは、戦争を停戦させ講和させることを目的にし、それぞれの国内で「交戦派」の軍人や政治家の暗殺や殺害を始めた。双方の国は互いの特殊部隊員によって殺されたと主張して戦争を激化させようとしたが、政権の中枢にいる人物は、周りの取り巻きの顔触れが急速に変化してくると、徐々に、徐々に、戦争継続を唱えることが難しくなっていった。そして今回のラストミッション、国防省から参謀本部、末端の部隊に至るまでの「交戦派」を誘導し、志願させ、この制御された戦場へと派兵したのだ。
声高々に交戦を叫びながら、日和見を決め込もうとした連中に対しては「偽善者」や「臆病者」と煽り立て、戦場へと引きずり出した。
約3個師団の人員にできうる限りの殺傷性の高い兵器を持たせて広い平原で戦わせた。そして逃げ延びたり生き延びた四肢の揃った連中を束ねて最後の戦闘に誘導投入したのだ。
結果、ようやく全滅させることができた。
オーケストラの求めた平和はもう間もなく完成する。すでに関係を取り持った両国政府によって終戦交渉が大詰めを迎えている。
両国の「交戦派」部隊が滅びることによってそれは完成する運びとなっていた。
「そんなことをしていたのね…」
「リエスタ、君が家族を失ったのは、私達のせいだ。恨んで貰って構わない、その恨みで私を殺す権利さえある」
「ええ、心の底から恨むわ、だって、どんな人間であったとしても大切な家族だったんですもの…。でも、それをしてしまったのなら、私は連中と一緒になってしまう。だからといって貴方を許すことはできない…。私はもっとも残酷な方法で貴方を殺すわ」
抱きしめる手に力が籠る。両腕が再びしっかりと私の頭を包み込むと顔の傷跡を片手がゆっくりと撫でてゆく。
「まずは、あなた達が傷つけたすべてのモノに、慈しみを分け与えて。誰一人、欠けることなく、誰一人、取り残すことなく」
「それは…、我々が背負わねばならない十字架だ。約束しよう、必ず仲間に伝える」
リエスタは私の頭を撫でながらさらに言葉を紡いだ。
「貴方はずっと私の傍にいて、そして約束を一緒に見守りなさい」
「それは…。いや、分かった。そうしよう」
私はリエスタに抱きしめられたままそう答えた。
向日葵の揺れる音と鼓動だけが支配する世界で、温かな温もりに抱かれながら、その優しさに感謝する。
私は罪を侵しました。
永遠に許されざる罪を。
私は罪を侵しました。 鈴ノ木 鈴ノ子 @suzunokisuzunoki
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