化身

京野 薫

第1話

 天の配剤。


 散り行く夜桜を見るたび、その言葉を連想する。


 夜の黒と桜の桃色。そして外灯がいとうの光。

そこに見るのは悲しさ、優しさ、恐ろしさ。

それらをわしづかみにして、グチャグチャに混ぜてしまうほどの暴力的な美。


 人の生み出す芸術も好きだけど、自然の美はもっと好き。

私と言う存在を歯牙しがにもかけず、虫けらのようにつぶしていくほどの圧倒的美しさが好きだ。

自分を無価値だと、決して足元にも寄れないと思うほどの敗北感を感じる快感。

自分の存在さえもゴミみたいに蹂躙じゅうりんされる快感。


 これからの時間を思うと、私の心は時間の止まった水面のように澄み渡る。

この澄み切った心を、彼女はどんな風に踏みにじってくれるんだろう。


 通いなれたマンションのチャイムを鳴らす。

ドアを開けて出てきたあなたは、まるで可愛い子犬のように丸い目を細めて笑う。

すると、私の心に灯がともる。

愛されている、求められていると感じる心地よさ。

彼女の手を握って、その柔らかさを感じる。

ドアを閉めると、お互い待ちきれずに抱き合う。


 不思議。

何で愛する人からはこんなにいい香りがするんだろう。

首から、耳から、髪の毛から。

「好き」

お互いにもらしたその一言に心地よい鳥肌が立つ。

脳の奥がしびれるような快楽。

恋愛って、お互い心地よさをどれだけ渡せるかの行為だ。


 彼女の耳を優しくくわえる。

小さく声を出す彼女。

ぞくぞくする。

軽く歯を立て唇で何度もなでる。

恥ずかしがる彼女に、私は薄く笑みを浮かべて髪にキスをする。


 夜は長い。

お互いの肌を触りながら、1秒と言う時間を飴玉のようにゆっくり味わう。

愛する人の肌はまるでシルクのように、ビロードのように。

汗ばむ肌のその香りは、目の前が桃色に染まるほどの魔力。

理性がゴミのように軽くなる、この時間が好き。

あなたの普段隠れているところに、わざと歯形をつける。

眺めていると笑みが浮かぶ。

そんなやましさが与えるのは、更なる快楽と欲望。

あなたの全てが欲しい。

とてもエゴイスティックな気持ち。

時に女王。

時に奴隷。

役割を入れ替えながら。

色々言葉を尽くしたけど、最後に行き着くのはこれだけ。


 あなたは私のもの。


 夜の黒と桜の桃色。

そして地面の茶色と肌色の身体と真っ赤な血。

その非現実的な景色に呆然としていた意識に血がめぐる。

私から離れようとしたあなた。

その肌と汗のにおい。

転がる鈴のような声。

誰に聞かせようとしたの?

誰に見せようとしたの?

ねえ、凄く寒い。

あなたの言葉が。目が。肌さえも。

なんであなたの香りを感じないの?


 私への拒絶は私の全てを殺す。

全てを奪う。

ぬくもりも、光も、香りも、欲望も。

そして、どこかの誰かにそれは与えられる。

それは嫌だ。

私ではない誰かがぬくもりに包まれて、私はぬくもりを奪われる。

私の景色はずっとモノクローム。


 あなたの身体を横たえる。

美しい夜の桜の木の横に。

美しくて、妖しい香りが鼻腔びくうをくすぐる。


 肌と血の赤の美しさ。

最後の時になって気付くなんて。

やっぱり自然の美は暴力的だ。

圧倒的な美は全てを蹂躙じゅうりんする。

そんな景色を眺めながら、私も自分の首から流れる血を見る。

これはそんなに綺麗じゃないよね。

寒いし気持ち悪いし痛い。

せめて、美しいあなたと夜と桜の木に寄り添おう。

その美しさに。


私と言う存在を歯牙しがにもかけず、虫けらのようにつぶしていくほどの圧倒的美しさが好きだ。

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化身 京野 薫 @kkyono

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