広告天国

蟹場たらば

天国か地獄か

「――ようございます」


 耳元で大きな声が響いて、俺は目を覚ました。


「『家電で毎日を明るく』のイレックカンパニーが、午前七時をお伝えします」


 寝ぼけまなこで布団から起き上がると、すぐにヘッドボードの携帯電話に手を伸ばす。早く画面をスワイプしないと……


「おはようございます。『家電で毎日を明るく』のイレックカンパニーが、午前七時をお伝え――」


 携帯電話を操作すると、ようやく


 しかし、まだまだ眠気は強い。洗面所で顔を洗って、それでようやく本当に目が覚める。


 ダイニングでは、先に起きた妻が朝食を用意してくれていた。トーストにサラダ、それからコーヒー。いつも通りのメニューである。


 またトーストの表面には、こちらもいつも通りに、俺へのメッセージが書かれていた。


米戸べいこ乳業「牧場味の牛乳」大好評発売中!』


 焼き印を押すことで、食パンに濃茶色のげ跡をつけているらしい。そのせいで、トーストにしたというのに、まだ文字は残ったままだった。


 見ているだけで食欲がせる。ジャムをたっぷり使って、塗りつぶしてしまいたいという衝動に駆られる。


 だが、そういうわけにもいかなかった。あまり使い過ぎると、「もったいないからやめてよ」「病気になったら医療費までかかるでしょ」と妻に怒られてしまうからである。宣伝を見たくないなら、結局さっさと食べるしかないのだ。


 もっとも、この抵抗にもほとんど意味はなかったが。


『お口のケアにはムンド社の製品を!』


 食べ終えたところで、今度はそんなメッセージが浮かび上がってくる。


 宣伝はトーストの下の皿にも印字されていたのだ。


 まだ中にコーヒーが残っているからだろう。コーヒーカップと一緒に片付けるつもりらしく、妻はトーストの皿を下げようとしない。しかし、俺が飲みかけのままにしているのは、カップの底にも宣伝が載っているからだった。


 食器から目を背けたくなって、俺はテレビのリモコンを手に取る。


「お腹が痛い……」


「頭が重い……」


「吐き気がする……」


「でも、今日は大事な日だから休めない……」


「そんな時も大丈夫! 『オールナオール』を飲めば全部解決!」


 流れてきたのは、医薬品のCMだった。


 そういうのを見たくないからテレビをつけたんだよ。俺は苛立ちを覚えながら、他局にチャンネルを変える。


 最近よく見る若手芸人の顔が映る。バラエティ番組がやっているようだ。


「次のコーナーはこちら! 『クイズ・売り切れ5メン』!」


「おー!!」


「これから皆さんには、10個の選択肢の中から、ハース社の売れ筋商品トップ5を回答していただきます」


「はいはい」


「もし間違った商品を選んでしまった場合、罰ゲームとして自腹で買い取っていただきます」


「ちょっと勘弁してくださいよ~」


 こういう企業のPRをするようなコーナー自体は、俺の子供時代にもあるにはあった。面白かったり、参考になったりする場合もあった。しかし、最近はあまりにも数が増え過ぎて、さすがに宣伝くささの方が鼻につく。


 件の若手芸人は、早速誤答してしまったらしい。掃除機を買わされると、使用感についてコメントを求められていた。「これも全然いい商品ですね」「本当にトップ5に入ってないんですか?」「むしろ不正解でよかったかも」……


 なかなか気に入っている芸人だが、いや気に入っている芸人だからこそ、とても見ていられない。俺は再びチャンネルを変えることにした。


 別の局では、ドラマが放送されていた。


「なんか嫌なことでもあったか?」


「なんでそう思うの?」


「前に仕事でミスした時も、丹雅堂たんがどうのプレミアムレアチーズケーキ買ってただろ」


「……うん、自分へのご褒美ならぬ自分への慰めなんだ」


 プロダクトプレイスメントといって、ドラマの小道具に実際の商品を使ったり、舞台に実際の店舗を使ったりすることで、さりげなく宣伝を行うという手法は以前から存在している。けれど、近頃はそれが露骨になって、登場人物がメーカーや商品名などにいちいち言及するまでになっていた。


 もちろん、なかには露骨なプロダクトプレイスメントを排した、自然なセリフ回しを重視したドラマや映画もある。しかし、そういう作品は大抵、『○○開発物語』とか『××を生んだ者たち』とかいう風な、実在企業の裏側を描いたものだった。


 また別の局では、ニュースが放送されていた。


「ウートの新型自動車が異例の大ヒット。国内大手自動車メーカー・ウートが今年三月に発売した、次世代KVエンジンカー『アーゲン』。その世界販売台数が、早くも100万台を突破したことが今日発表されました」


 アナウンサーは続けて、新型車のどの部分が優れているのかを語った。また、コメンテーターは、売れた理由を世相や世代論を交えて分析した。


 そんな新商品関連のものと比べると、殺人事件や交通事故のニュースはほとんど一瞬流れるだけだった。いや、それでも報道があるだけマシかもしれない。企業の不祥事に関しては、一切触れない場合さえあるからだ。


 これでは、CMと番組を流しているのではなく、短いCMと長いCMを流しているようなものだろう。俺は溜息とともにテレビを消した。


 無意味にザッピングを繰り返している内に、出社時刻が近づいてきてしまったようだ。早くスーツに着替えないといけない。


「ネクタイ古くなってたから」


「ああ、ありがとう」


 妻からの思わぬプレゼントに、つい口元が緩む。金の使い道にうるさいくせに、こういうことには出し惜しみしないでくれるらしい。


 しかし、俺の笑顔は一瞬で消え去っていた。


「なんだよ、これ」


『家具を買うなら孟辺もうべ家具!』


 ネクタイにはそんな文字が入っていたのだった。


「広告付きの服なんて今時珍しくもないでしょ」


 確かに、企業のロゴや宣伝文句がプリントされたTシャツだのセーターだのの存在は知っている。なんなら何枚か持っているくらいである。


「でも、ネクタイは初めて見たぞ」


「外で着てもらわないと宣伝にならないってことみたいね」


 妻の説明に、俺は思わず納得してしまった。人前で着るのはみっともないからと、広告付きセーターは部屋着にしていたからだ。


「他にもっとなかったのか?」


「仕方ないじゃない。それが一番安かったんだから」


 テレビ番組を無料で見られるのは、テレビ局の主な顧客が視聴者ではなく企業だからである。テレビ局は視聴率の高い番組を作って、間に流すCMをたくさんの人の目に触れるようにする。すると、企業は自社製品の宣伝のために、局に大金を支払ってでもCMを流してもらおうとする……というのが基本的な収益構造なのだ。


 これは新聞やプロスポーツ、動画サイトなど、他の多くのサービスについても同じようなことが言える。企業が収入(の一部)を他社からの広告宣伝費で賄っているから、利用者は無料あるいは割安でサービスを受けられるのである。


 朝食に出た食パンもそうだった。表面に宣伝が記されているため、無地のものよりも安い値段で買うことができる。


 電話料金だってそうだ。アラームを企業からのメッセージに設定することで、月々の料金が値引きされる仕組みになっている。


 しかし、食パンもアラームも、使うのはあくまでも家の中に限った話である。広告付きのネクタイなんてつけて出社したら、金に困っていると自分から言いふらすようなものだろう。


「これなら古いのを使う方がマシだ」


「そんなことないでしょ。今時は広告付きの方がオシャレだって、若い子が街頭インタビューで言ってたもの」


「どうせ一部の連中が強がってるだけだろ」


 俺だって薄給に悩んでいるのだから、俺より若い世代はもっとだろう。それで広告なしの服が買えない惨めさを、「自分の意思で買ってないだけだ」と自他に言い聞かせることで誤魔化そうとしているに違いない。


「そうなのかしらねえ。スーパーでもカフェでも、着てる人をよく見かけるけど」


「じゃあ、着させるために、業界がむりやり流行らせたんじゃないか」


 ファッション誌などに、「今年の春は○○色がトレンド」とかいう文言が載ることがあるが、あれは実際の流行を見て言っているわけではないらしい。何色を流行色トレンドカラーにするのか、ファッション業界の間であらかじめ決めておいたものを発表しているだけなのだという。つまり、流行色というのは流行っている色のことではなく、流行らせる色のことなのだ。


 これは極端な例だとしても、テレビや雑誌、SNSのようなメディアを使って、影響を受けやすい性格の人たちを扇動すれば、架空のトレンドを本物のトレンドにすることもある程度は可能なはずである。広告付きの服の人気も、そういう作られた人気に過ぎないのではないか。


「仮にそうだったら何なの?」


「え?」


 戸惑う俺とは対照的に、妻の態度はあまりにも平然としたものだった。


「安物でも恥ずかしくないなら、ありがたいことじゃない」



          ◇◇◇



 マンションを出ると、俺はバス停に向けて歩き出す。


 その道すがら、視界に飛び込んでくるのは、行き交う人々でも街路樹でもなかった。


『大人気ファンタジー漫画「エイアーツ物語」ついにアニメ化!』


『水回りのトラブルなら、ワーサ社にお電話を』


『いらなくなったブランド品はクライドンで売ろう!』……


 そんな看板や壁面広告があちこちに出ている。従来のようにビルはもちろんのこと、一般住宅にまで設置されるようになったからだ。当然、俺の借りているマンションの壁にも、『携帯電話はヘンドが一番!』という宣伝文句が書かれていた。


 かといって、バスの中に逃げ込んだところで、見える景色はほとんど変わらない。天井からは吊り広告が下がっているし、背もたれの裏にも広告が貼り出されている。


 それどころか、「ノンストップアクション映画『カイノー』大好評上映中です」などとアナウンスで耳にまで訴えてくるという意味では、車内の方が宣伝の量が多いくらいかもしれない。


 しばらくして、バスは停留所に到着したものの、それでもアナウンスによる宣伝は止まらなかった。


「あなたの毎日に彩りを。エーデルス松野台、エーデルス松野台です」


 エーデルスは宝飾品メーカーの名前で、本来の地名は単に松野台だけである。スポーツ場などの施設の命名権ネーミングライツを売るという商売は以前からあったが、最近は自治体が地名のネーミングライツを売りに出すようになっていた。そのせいで、市内はヴァッシュム長岡とか、テンコ電機山北とかいう風なゴテゴテした地名であふれかえっている。


 しかし、俺はそのことを不快には思っても、クレームを入れようとまでは思わなかった。


 マンションの家賃が安いのも、バスの運賃が安いのも、市の住民税が安いのも、どれもこれも企業が広告を出しているからである。広告をなくす代わりに値上げをされたら、その方がよほど困ってしまうだろう。


 結局、妻の言う通りなのかもしれない。


 広告があるから、いろいろなものが割安で手に入る。広告があるから、いろいろなものが無料で利用できる。


 俺がなんとか生活できているのは広告のおかげなのだ。広告が当たり前の存在になればなるほど、俺のような低所得者にはありがたいことなのではないか。


 つらつらとそんなことを考えていると、バスが最寄りの停留所(ウォヌーク滝本)に到着した。会社まではもう少しだ。


「よう」


 後ろから、スーツ姿の男に声を掛けられた。同期である。部署は違うものの、新人研修の時に仲良くなって以来、彼とはずっと交友が続いていた。


「どうしたんだ、そのネクタイ?」


「いや、これは妻が」


「なんだ。まぁ、お前は流行りとか気にする性格じゃないもんな」


 皮肉る様子もなく、彼はそう言った。どうやら若者の間で流行っているという妻の話は本当だったらしい。


 やはり、今はもうそういう時代なのだろう。いい加減、俺も広告の氾濫を受け入れなくてはいけない。いや、むしろ生活を楽にするために、今より広告の量を増やすよう推奨していくべきだ。そう決心を固める。


 けれど、そんな俺の胸中を知らない彼は、早々に次の話題に入っていた。


「そういえば聞いたか? 今度のボーナス減るかもしれないってよ」


「本当か!?」


 大した額ではないから、もともとあてにはしていない。だが、悪いニュースには変わりなかった。


「そんなに業績落ちてるのか?」


「どっちかというと、悪化を防ぐために先行投資しようってことみたいだな」


 彼の説明に、俺は「そうか」と一息つく。ひとまずクビや倒産の心配はしなくていいようだ。


「しかし、何にそんなに金を使うつもりなんだ?」


「広告の量を増やすんだとさ」




(了)

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