ヒロシマ断章

オキタクミ

ヒロシマ断章

 「同級生に胎内被爆したひとがいてね」

 と祖母。

 「そんなわけあるかい。計算が合わんじゃろ」

 と祖父。

 「あれ。そうじゃったっけ」

 「あんた原爆のときにはもう生まれとったじゃろうが」

 「あーそうか、そうじゃね。じゃあ被爆しとるわ」

 食卓の上には、調理師の祖母がこしらえた料理が、色とりどりに並んでいる。使われている食材のいくつかは、祖父が定年後に始めた畑から採ってきたものらしい。ふたりとも八十前後のはずだが、かくしゃくとしていて、私の子どものころの記憶と比べてもあまり印象が変わらない。

 「それでね、そのひとが、最近よう、語り部になりませんかーって勧誘されるらしいんよ。ほら、語り部のひとも最近どんどん減ってきてるけんね。けどそのひとは、被爆はしとるけど子どもじゃったけえ、なんにも憶えてなくて。そりゃ語り継ぐのは大事じゃと思ってるけど、憶えてないのに憶えてるみたいに喋るのもそれはそれで違うからって、断ったらしいんよ」

 はあ、とかなんとか、私は言う。

 「おばあちゃんも原爆のときはまだ子どもじゃったし、呉におったから、なんも憶えとらんのよね」

 「きのこ雲くらいは見とるはずじゃろ」

 「呉からだと見えるんじゃったっけ。小っちゃかったから憶えとらんわ」

 レタスと紫玉ねぎと生ハムのサラダ。かぼちゃの茶巾。鶏ささみのフライのトマトソース添え。ほうれん草のポタージュ。きゅうりと人参と大根の糠漬け。食事とともに会話は進み、話題は私の旅程へと流れていく。

 「明日はどこ行くん」

 私は、原爆ドームとか平和記念資料館とか観ていこうかなと応える。


——


 壁面にでかでかと折り鶴の描かれた商業ビルの一階のショップで二十分ほどお土産を物色し、外へ出る。目の前の道路を渡ってすぐが原爆ドームだ。原爆ドームの横を通り過ぎて、旧相生橋碑のわきの階段から、元安川のほうへと降りる。幅数メートルの階段はそのまま川面の下まで潜っていっていて、私はそのぎりぎりの段で足をとめる。八月の猛暑日の陽射しが川面に反射して眩しい。小石のごろごろと転がる河原に目をやる。その小石のうちのひとつが動いたような気がする。沢蟹だ。ひとたび気づくと、一匹どころか、あちこちに何匹もいるのが目に入る。

 額の汗を拭い振り返ると、視界の真ん中に原爆ドームが聳えている。階段を昇って道路に戻り、原爆ドームを囲う冊の周りを一周する。課外学習かなにかだろう、制服をきた日本の学生たちやら、国内外からの観光客やらが目につく。学生たちはだいたい一様の可もなく不可もない真面目さを保っていて、海外からの観光客は、ドームを背景にモデルのようなポーズで写真を撮っているひともいれば、神妙な面持ちで掲示板の解説を読み込んでいるひともいる。

 冊の内側で作業をしているひとがいるのを見つけて、立ち止まる。清掃員と思しき格好のひとが、原爆ドームの前の芝生に散らばっている白くて丸っこいものを、いくつもいくつも、拾ってはビニール袋に入れていた。なにがそんなにたくさん落ちているのだろうと良く目を凝らし、しばらくしてやっとわかる。地面からにょきにょき、きのこが生えているのだ。


——


 暗い展示室の一角。重々しい石の塊が鎮座している。幅は人ひとりよりも少し広く、高さは目線よりもいくぶん低い、中途半端な大きさの石の壁面。目線を下げると、手前には平たい段が二段だけ積み重なっていて、その白っぽい表面の真ん中あたりだけが、うっすらと楕円形に黒ずんでいる。「人影の石」。もとは銀行の入口の一部だったその石段の表面は、原爆の爆発の瞬間、熱線によって白く変色した。しかし、そこに腰掛けていた人に遮られた部分だけは、もとの色のまま残った。

 しばらく進むと、「死の斑点」に関する展示が並んでいる。被爆した一部のひとびとの肌に出た、無数の斑点。斑点のあるひとの写真や、斑点に覆われた舌のレプリカ。

 少し離れたところで、ごっ、という小さな鈍い音がして、そちらを振り向く。ひとが床に屈み込んで、辺りをきょろきょろ見回しながら、なにかしゃべっている。そのひとの目の前に長い金髪の女の子が横たわっている。屈み込んでいるひとが、スタッフの方いますか、と繰り返しているのだと気づいて、私はのろのろと走り出す。

 展示の入り口近くまで遡ったところでやっと見つけた警備員に事情を説明し、ふたりして走ってもとの場所まで戻ると、すでに十人前後の人だかりができている。その真ん中にいる女の子は意識を取り戻し、半身を起こしているが、目の辺りは濡れていて、呼吸は荒く、肩は微かに震えている。三十代ほどの白人の男性が、流暢な英語と日本語を交互にしゃべりながら、最初に気づいて警備員を呼んでいたひとと女の子の保護者のあいだを通訳している。断片的に聞き取れる言葉から、その女の子が十四歳で、オーストラリアから旅行でやってきたらしいとわかる。


——


 三日目は一日目、二日目にもまして暑い。日傘を指し、汗をだらだらと流しながら、ぐねぐねとした急な坂道を登っていく。とうとう丘の頂上に、目指す建物が見える。横に広がった階段の先には、手前に切れ込みの入った白い丸屋根のファサード。黒川紀章の設計になる、広島市現代美術館。

 先にコレクション展のほうを見る。広島と関係した現代美術の作品が並ぶ。そのなかには、イヴ・クラインの《人体測定》シリーズのひとつもある。戦後、広島で見た「人影の石」に「感動」したクラインが制作したシリーズ。それは、彼自身が調合した青い塗料を全身に塗った女性のヌードモデルたちが、巨大なキャンバスに体を押し付けることで描かれる絵画だった。自らはきっちりしたスーツに身を包んだまま、裸体のモデルに塗料を塗りたくり、キャンバスの前で指示を出す、クラインの写真が残っている。

 特別展のほうは、同時代の作家の個展である。ネオン管や蛍光灯、飾り気のない写真や映像で構成されるスタイリッシュなインスタレーション。切り詰められた無機質なビジュアルで、戦争や紛争、生と死に、言葉少なに言及する。

 ある壁には、小さな円形の電光掲示板が数メートル四方の正方形に敷き詰められている。それらがいっせいに「9」を表示する。「8」に変わる。「7」、「6」、「5」、「4」、「3」、「2」、「1」、「0」。画面いっぱいの「0」がばらばらと崩れ落ちるようにして下へと消えていき、全ての画面が真っ暗になる。一拍置いて、左からひとつずつ、文字が表示される。


 生 ま し め ん か な


——


 かくて暗がりの地獄の底で

 新しい生命は生まれた。

 かくてあかつきを待たず産婆は

 血まみれのまま死んだ。

 生ましめんかな

 生ましめんかな

 己が命捨つとも


——


 大学生の頃だったと思う。私はリビングの食卓でラップトップを出し、レポートかなにかを書いていて、その横で、母はソファに座り、録画していた『この世界の片隅に』を観ていた。確か、実写ドラマのほうではなく、アニメーション映画のほうだったと思う。私は特にテレビへ意識を向けていなかったのだが、ふと顔をあげたとき、こちらを見る母と視線がかち合った。母は普段通りのにこやかな表情を顔に浮かべて、言った。

 「ひいばーばが赤ちゃんのばーば抱えて爆弾のした必死に逃げ回ったおかげで、あなたがいるんだよ」


——


 原爆小頭症の被爆者とその家族の会の名は、「きのこ会」という。きのこ雲のしたで生まれた命が、きのこのように逞しく育って欲しいと。

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