憧れのおやつ
青樹空良
憧れのおやつ
棚の中に無造作に置かれたチョコレートやポテトチップスなどのお菓子の中から、その日の気分で好きなものを食べる。そうすれば、なんとかお母さんが帰ってくるまでは空腹をしのげる。
そうやって一人で食べるお菓子が、いつもの私のおやつだった。
今思うと、お菓子があっただけ幸せだったんじゃないかと思う。
だけど、
「今日はお母さんがホットケーキ焼いてくれるんだー」
「あ、うちのお母さんもこの前焼いてくれたよ!」
「私のお母さんはクッキーが得意なんだよ」
学校帰りのみんなの会話に入っていけないのがなんだかさみしかったのを憶えている。
他のことを話してくれないかな、なんて思っていた。
お母さんが仕事をしていたから、おやつの時間にいなかったことはちゃんとわかっていた。
だけど、おやつを作ってもらえる友だちをうらやましいと思っていたのは確かだ。漫画でもアニメでも、主人公の家であたりまえのようにおやつが出ることすらうらやましかった。
子ども時代にそんなことを思っていたからか、大人になってもなんだかお母さんが作ってくれるおやつには特別な憧れがある。
久しぶりにおやつのことなんか思い出してしまったのには訳がある。
通りすがりに見つけた喫茶店の前に置かれた看板のせいだ。
看板にはこう書かれていた。
『午後3時からおやつサービスあります』
休日に仕事で疲れた頭をのんびり休めようと、特に目的もなくぶらぶらと街を歩いていたら見つけてしまった訳だ。
中途半端な時間に目が覚めて、昼前にシリアルをかきこんで出てきてしまったから昼食も取っていない。
時計を見ると時間はちょうど午後3時を過ぎたところだ。
微妙なお腹の具合にもおやつは魅力的だ。
ごくり、と私は唾を飲み込む。
モーニングサービスならよくあるけれど、おやつはなかなか見ない。
しかし、目の前にあるのは常連ばかりが店の中にいるようなイメージの喫茶店で、なんだか入りづらい。
ガラスの窓越しにちらりと店の中をのぞく。
人影はまばらだ。
カウンター中には、マスターと呼びたくなるようなおじさんがいる。かと思いきや、エプロンを着けた優しそうな女性が立っていた。
お母さんと同じくらいの歳だろうか。
目が合ってしまう。
彼女が微笑んだ。
笑顔に惹かれるように、私は喫茶店の中に足を踏み入れた。
そして、今まさに目の前に置かれているのは子どもの頃に夢に見てたおやつだ。
店内の黒板に書かれていた手作りドーナツ。
その横には子ども時代には飲まなかったけれど、コーヒーが置かれている。
コーヒーの値段だけでドーナツまでついてくるのは嬉しい。
わくわく感が本当に子どもの頃のおやつみたいだ。
少し緊張しながら、まんまるなドーナツを手づかみで口へ運ぶ。
もふっと頬張ると、素朴な甘さが口の中に広がる。
チェーン店では味わえない優しい味だ。
お母さんの作ったドーナツはきっとこんな感じなんだろう。
夢が叶ったような気分だ。
子どもみたいに夢中で食べ進めてしまう。
喉に引っかかって、慌ててコーヒーで流し込む。
甘くなった口の中に、コーヒーの苦みが心地よい。
だけど、なんだか少し物足りない。
何かが足りない気がする。
「ドーナツ、おいしかったです」
会計の時にレジで伝えると、エプロンの女性はにっこりと微笑んでくれた。
「ありがとうございます。子どもたちに作るおやつみたいなものだけど」
謙遜するように彼女が言う。
彼女があのドーナツを作っていたらしい。
「そういうのが食べたかったんです。私!」
思わず、ずずいと前のめりになってしまった。
恥ずかしい。
「そう言ってもらえるとありがたいです。大人だって、子どもみたいにおやつは食べたいですよね。だから始めたんです。気に入ってもらえて良かったわ」
お母さんみたいに優しく、彼女が笑う。
「あの。また来ますね」
「お待ちしています。ありがとうございました」
カラカラとドアベルが鳴る。
◇ ◇ ◇
その夜、久しぶりに私はお母さんに電話を掛けた。
「あ、もしもし、お母さん?」
『急にどうしたの?』
電話の向こうからお母さんの声が聞こえる。
「あのね、今度こっちに来たら一緒におやつ食べよう」
『おやつ?』
「うん。素敵な喫茶店を見つけたんだ」
そう、おいしいおやつを食べても一つだけ足りないものがあったことに気付いてしまった。
憧れの手作りおやつ。
でも、そうじゃなかった。
私は、お母さんと一緒におやつを食べたかったんだ。
「だから、今度一緒に行こうよ」
『しょうがないわね』
やれやれとお母さんが苦笑している。声だけでわかる。
「約束だよ」
『はいはい。楽しみね』
「うん!」
わざと子どもみたいに、私は答えた。
憧れのおやつ 青樹空良 @aoki-akira
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