甘き幻想に「サヨナラ」を

想兼 ヒロ

灰かぶりの章

 そろそろ寝よう。そう促しても、娘は首を縦には振らなかった。どうしても気になるのだ。

 ハッピーエンドの、その先が。


「お姫様はその後、どうなったかって? 」

 父は苦笑いを浮かべながら、愛する愛娘の機嫌を損ねないように再び本棚へと向かっていった。


「そんなのを知ってどうするだい? 期待したような話じゃ無いかもしれないのに」

 そして、一冊の本を取り出した。見るからに古そうな装丁の、歴史を感じさせるものだ。


 いつからそこにあったのだろう。娘は、この本棚が大好きだ。それなのに、一度も目にした覚えが無い。

 あんなに格好いい本ならひと目見ただけで覚えるのに。娘は不思議そうに首を傾げた。


「そんなに知りたいのなら教えてあげるよ。でも、面白いとは限らないぞ」

 父は本を開いて語りだした。


 それは、とある姫様のその後のお話。

 


 ガラスの靴によって見いだされた妃の瞳は、暗く濁っていた。

「……退屈」

 彼女は真っ白な天井を眺めてつぶやく。


「何か、面白いことはないかしら」


 城内の生活は、きらびやかで外から見ていれば綺麗なものの、中に入ってみると堅苦しくて仕方がない。あれだけ愛を誓いあった王子も、最近は実父との政権争いに躍起になって会いに来てもくれない。

 あの舞踏会での逢瀬おうせも、遠い記憶になってしまった。


 そして、友人らしい友人もいない。自分がここに来た経緯が経緯だから、仕える者も妬みやひがみをもって自分と接しているのを妃はありありと分かってしまう。


 これでは、まだ『灰かぶり』と揶揄やゆされて、直接いじめられていた時の方がましだったのではないか、とまで思ってしまうのだ。

 あの時は持ってもらっていた関心すら、今の彼女にはない。


「ああ、そうそう」


 昔、自分が呼ばれていた名を思い出すのと同時に、姉や継母達の絶望に青ざめる顔も頭に浮かんできた。


 あれは痛快であった、と。


 自分達の悪行を考えれば招待されるわけがない結婚式にのこのことやってきて。貴族連中の目に止まりたかったのか、身の丈に合わないドレスで着飾って。


 それで大勢の人の前で、彼女らがこれまで妃にしてきたことを、断罪してやったのだ。

 周囲の人間は、ここぞとばかりに継母達を口悪く罵った。


 その後のことは、風の噂で聞いた。継母は、あまりの非難に心砕け、自ら命を絶ったという。こんなに面白いことはない、と妃は思う。

(……あれ?)

 そこで、妃は違和感に首を傾げた。何か、思考の片隅にモヤッとした塊ができているのだ。

 その歪みは小さいものの、確かな質量を持って心に残り続ける。


 果たして、自分は、人の不幸を面白いと思える人間だったのであろうか。確か、もっと、小さなことに幸福を見出す人間じゃなかっただろうか。


(きっと、ここが退屈すぎるからよね)


 しかし、その疑問は、もっと強い声によってかき消された。

 あれだけ長い間、耐えたのだ。その相手が死んだことくらい、喜んだっていいはずだ、と。


(そうよ、まだ足りないわ)

 ニヤッと笑う。下卑げびた笑みだ。そんな妃の顔に、昔の面影は残っていない。


「とりあえず、姉さん達を雇ってあげようかしら。誰とも結婚できず、露頭に迷ってるらしいし。そうだ、あんなに履きたがってたガラスの靴を履かせてあげましょう。そうね、かかとを切り落としでもしたら入るわよ」


 愉快な気持ちになってきた妃は、思いついたことを実行に移そうと立ち上がった。


「そんなの止めといたら?」


 そこに、彼女はいた。


「だ、誰!?」


 いつのまに、部屋に入ったのか。椅子に腰掛け、背もたれに体重を預けながら少女は妃を見つめていた。

 そのぼんやりとした瞳に感情の色はない。灰色がかった目には、生気すら感じられなかった。


 エプロンドレスを身に着けているが、こんな子は城の使用人として見たことがない。そもそも、こんな幼い子は妃の周辺に一人もいない。


「本当のあんたは、あたしみたいに狂いたくはないだろうしさ」


 狂っている、と彼女は言う。確かに幼子だというのに、堂々とした立ち振舞は妃の思考をおかしくさせる。彼女がここにいること、それそのものが狂っているように感じた。


 そうだ、異質な存在なのだ。自分にとっては異物なのだ。


 それならば、排除するしかあるまい。


「無礼者! ここをどこだと思っている。すぐに人を呼んで、牢屋にでも行ってもらうわ」

 権力を振りかざし、妃は少女を威圧しようとする。


「ふ~ん、そうくるんだ」

 しかし、少女は動じない。表情も変えず、目の色も変えず、ただただ妃を見つめている灰色の瞳。


「そう。あんた、あたしの言霊ことだまが効かないくらいに毒されちゃってるんだ。じゃあ、仕方ないよね」


 すっと、右手を上げる少女。その手首を、宙でくるりと回した。


 刹那、妃の横を風が通り抜けた。

「えっ」

 妃は絶句する。その途端、ふっと糸が切れたように彼女は昏倒した。


「があっ」


 代わりに妃の背中から声が聞こえた。胸から息と一緒に吐き出されたようなこもった声だ。女性のようで、男性のよう。そして、若くもあり、年老いてもいる。


「貴様……、なぜ私が見えている!?」

 そんな、様々な人の声が混じった音が、少女に対して驚きを伝えている。


 妃の背後にいたもの。それは、白い鳥であった。

 しかし、白かったのは先程まで。今はどす黒く変色し、その体さえも変化させて人を思わせる姿に変貌している。

 その顔にあたる部分は影になって見えてこない。しかし、少女の灰色の眼はその姿をしっかりと捉えていた。


「同業者。それしかないでしょ」


 抑揚のない声で少女は答え、エプロンドレスの裾をひらりとひるがえして立ち上がった。

「さぁ、その子から離れて。嫌だって言うなら、もう一発いっとく?」

 彼女は右手にキラリときらめく銀色の得物を握っていた。それは影に突き刺さったものと同じものである。


 少女が手にしているのはいわゆるバターナイフと呼ばれる代物、当然刃物ではない。しかし、影にしっかりと突き刺さっている。じくじくと、本来感じないはずの「痛み」を影に伝えていく。


「貴様、貴様も『魔女』か!?」

 魔女、という単語に今までピクリとも動かなかった少女の眉が額に寄る。


 魔女、それは災厄の存在。その名は様々な語られ方をしているが、こと少女の中で定義は決まっている。


「ええ。あんたは、そうね、壊すことが幸福ハッピー ってとこかな。その子に許容量を超す幸福ハッピーを与えてから、壊す。うん、たちが悪い」


 魔女とは、人智を超えた魔法を扱う者。そして、同時に、とあるものに執着的な喜びを見出す者だ。

 その喜びは、少なくとも大衆の秩序を乱すもの。それ故、どの土地でも魔女は災厄の存在と呼ばれるのだ。


「その子、もうほとんど魔女になってるじゃない。間に合って良かった」


 そして、魔女にはもう一つ厄介な特質がある。それは、己の仲間を増やそうとすることだ。対象者を絶望させ、他の者の絶望を糧とする新たな魔女へと変貌させる。

「ほんと、たちが悪い」

 今は、糸が切れた人形のように倒れ込む妃。少女の前に対峙している魔女は、彼女を毒牙にかけ、新たな魔女にしようとしていた。


 魔女とはこの世界を破滅へと導いていく、人の心に巣食う伝染病のようなものだ、と少女は認識している。


「そうだ、私は魔女のエラ。貴様は何だ、他の魔女の邪魔をする魔女など聞いたことがない」

 あと少しで、幸福な終わりハッピーエンドを迎えた者を絶望に叩き落とすことができたのに。この目の前の小さな魔女に、逆に幸福感を吹き飛ばされた。

 エラは表情が分からないというのに、声に怒りが混ざっているのが明らかであった。


「そう、本当に聞いたことない?」

 エラとは対象的に少女の声の調子は平坦なままだ。


 じりっ、と少女はエラとの距離をつめる。

「別にいいけど。有名になりたいわけじゃない。あんたらに警戒されるのは、あたしにとって不幸アンハッピーなの」


 バターナイフを再び少女はエラに向かって投げつける。エラは、それをゆらりと右にぶれて避ける。しかし、それは少女の思惑通りの行動であった。


「あたしの幸福ハッピーはね」


 少女の灰色の眼が金色に光り、彼女の表情が初めて変化する。

 エラはその顔を、酷く醜いものだと思った。


 少女の感情は、愉悦ゆえつだ。

 この状況、少女は楽しくてしかたない。歯を見せ、口を歪ませる彼女は足元の絨毯を蹴り飛ばす。


「あんたらみたいな魔女を、み~んな食い破ることよっ!」


 回避に意識を回したエラの虚をついて、一気に少女はその距離をつめた。


 少女はちらりと妃を見る。別にエラが彼女を盾にしようと、少女は気にしない。妃を助けたくもあるが、優先順位がはっきりとしていた。

 エラもそれが分かっているから、先程まであれだけ執着していた妃を視界の外に置いている。本能的に危機を察したエラは、この場から離脱しようと空間を歪ませた。


 しかし、少女の左手が消えかけようとしたエラの存在ごと掴み取った。


「だ~め、おとなしく食われなさいな」

 ぎりぎりと、強く締め上げる。少女は、エラの口にあたる部分を握りつぶそうと強く圧をかけていた。

「ぐ、ぐ」

 くぐもった息が漏れる音がする。


 そこで、少女はもう一度倒れている妃を見る。その間も、左手の力は緩めない。いや、確認したことで、さらに力が増している。


幸福な終わりハッピーエンドだろうが、悲しき終わりサッドエンドだろうが、残念な終わりバッドエンドだったとしても、そのお話はその人のもの。他の者が壊していいものじゃない。特に、この子のような幸福な終わりハッピーエンドは譲れない」


 空いた右手で、少女は自らの腹をなでている。


 少女が思い出すのは深く暗い森。その奥で会った一人の魔女に、少女は狂わされた。

 魔女に騙され、彼女の求めるままに、唯一愛してくれていた存在を食してしまった時、少女は魔女になった。


「ね、ヘンゼル。あなたも、そう思うでしょ?」

 そこにいるはずの、存在を感じた時、少女はかつての己と同じ表情で微笑んだ。


 少女が口にした名前で、エラは思い出した。

「まさか、貴様、『魔女殺し』のグレ……」


「『壊れた幻想は夜の淵で眠るグッナイ、フェアリーテイル』」

 少女が口にした言霊と共に、エラは虚ろな体ごと、少女の手によって握りつぶされてしまった。


 その後、しばらく眠ったままだった妃が目覚めるまで少女は側にいた。そして、意識を取り戻した妃が最初に口にしたのは謝罪の言葉だった。


「私、お母様が亡くなったこと、なんであんなに嬉しそうに……」


 そんな妃を、少女は再び感情のない瞳で見つめている。


 少女は妃が眠っている間、少しだけ記憶を覗き込んだ。その結果、妃の継母は、彼女が嘆くような人物ではないと認識している。

(あたしが、両親に期待していないせいか)

 その点を抜いてみても、あんな継母の死を悲しめるのだ。少女が思っているよりも、妃は幸福ハッピーを見つけ出す才がありそうだ。


「まぁ、いいや。魔女もいなくなったし、あたしも退散するかな」

 まだ腹は満たされない。きっと、これからもずっと満たされることはないのだろう。


 少女は愛する者をほふった絶望を糧に魔女となった。その時、感じていた怒りが、魔女化によって転じたことで幸福ハッピーの源泉となる。

 それは、己自身への怒り。なぜ、こんなことになったのかと自身を責めるいきどおり。自分が魔女となった時、その対象は魔女そのものになった。


 だから、常に飢えている。このうえは、全ての魔女を食い、そして最後に己を食うまで止まることはない。


「……あれ、あの子は?」

 妃が気付いた時、もう、そこに少女の姿は跡形もなくなっていたのであった。



「ねぇ、その子はどうなったの?」


 娘はらんらんと目を輝かせている。残酷な部分を抜いて話したのが悪かったのか、単純に冒険譚のように感じてしまったらしい。

「はい、今日のお話はここまで!」

 父は失態を反省し、無理やり、本を閉じた。


「ちえっ」


 娘はベッドの中で目を閉じる。自分の物語の日付を進めるために。


 願わくば、それが幸福な終わりハッピーエンドであるように。父は、我が子の寝顔に向けて祈るのであった。

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