何度でも思い出せるなら

青樹空良

何度でも思い出せるなら

『今から帰るね』


 いつものように妻へLINEを送る。毎日職場を出るときには必ずそうしている。

 妻からはすぐに返信があった。


『気をつけてね』

 

 可愛らしいキャラクターのスタンプだ。ハートなんかも飛んでいる。

 これだけ見ているとラブラブな夫婦みたいだよなぁ、と我ながら思う。

 もちろん、仲が悪いわけでは無い。一年前に子どもが生まれたところで、二人目も考えようか、なんて言っているところだ。

 だけど、と思う。

 最近、妻は子どものことや家事にかかりきりだ。一日中子どもの面倒を見ているのは大変なことらしい。帰ってもずっと子どもの話ばかり。あんなことやこんなことが出来るようになったとか。

 僕はその話を聞きながら子どもの相手をしたり、細々したことを手伝ったり。

 結婚して子どもも出来たのだから、今は幸せなはずなんだ。

 だけど、何かが足りない。何かが、変わってしまったと思う。

 職場を出ると、むっとした空気が僕を包んだ。夕方になってもまだ暑い。

 ちょうど周りのオフィスも勤務時間が終わったところなので、会社前の歩道は人通りが多い。

 いつもと同じように地下鉄の駅へと歩き出す。たまには一人で飲んでいこうか、などと思う。だが、子どもと一緒に待っている妻のことを思うとなんだかそれも躊躇ってしまう。

 幸せなのに不自由を感じるなんておかしな話だ。

 ふと、目の前の女性の後ろ姿が目に入る。

 スーツの群れに紛れた、夏らしいさわやかなワンピース。デートの帰りだろうか、それとも、今から待ち合わせだったりするのだろうか。

 うちの妻も前はあんな格好をよくしていた。二人でデートしたときのことを思い出す。そんなことをしたのは、もう、ずっと昔の話な気がする。

 妻は最近動きやすい服ばかりで、あんな可愛い服を着ることは無い。子どもを連れて動くのにはちょうどいい、なんて言っていた。

 仕方ないとは思う。

 だけど、あの頃に戻りたいと、少しだけ思う。

 ワンピースの女性の、相手の男が羨ましい。その男も、いつか今の僕と同じような気持ちを味わうのだろうか。

 ワンピースの女性が振り向いた。なんだか、顔まで昔の妻に似ている。ずっと一緒に居たいと思って、勇気を振り絞ってプロポーズした頃の。


「よかった!」


 ワンピースの女性は僕を見て満面の笑みを浮かべると、こちらへ駆け寄ってきた。その声には聞き覚えがある。顔まで似ていて声も同じ、ということは。


「ママ!?」


 思わず大声で叫んでしまった。


「ちょっとー、こんな町中でママとか大声で言わないでよ。恥ずかしいでしょ。今は子どもも連れていないのに」


「あ、ごめん」


 ワンピースの女性は、紛れもなく毎日会っているはずの妻だった。


「その格好どうしたの!? なんでここに?」

「久しぶりに着てみたんだけど変かな?」

「そ、そんなことは無いよ」


 僕はぶんぶんと首を横に振る。


「お母さんが孫の顔が見たいって家に来てね。面倒見ててあげるから、たまには二人で食事でもしてきたらって。それで、びっくりさせようと思って、会社の前で待ってるつもりだったんだけど、どの建物かわからなくてちょっと迷子になってたの。会えてよかったぁ。久しぶりに街に出るとわからなくなるね」


 微笑む妻の顔は、最近いつも見ているようなすっぴんではなかった。子どもが出来る前のように、きちんとメイクをしている。


「なにじっと見てるの?」

「いや、綺麗だなと思って」

「え!」


 妻の顔が赤くなる。


「ちょっと! 最近そんなこと言わなかったくせに、いきなりそんなこと言われたら……、もう!」


 照れたようにむくれる姿は、昔と全然変わらない。


「でも、嬉しい。たまにはこういうことしないと駄目だね。最近、ずっと生活に追われてるって感じだったし」


 にっこりと妻が笑う。どうやら同じことを考えていたみたいだ。


「あのね、外で見るあなたのスーツ姿、やっぱりかっこいいよ」

「……!」


 さっき自分が言ったことと同じことを返されたようなものなのに、どうしていいかわからなくなる。


「お返し~」


 妻が笑った。

 僕はわざとらしく咳払いしてから言った。


「……夕飯、どこで食べてく?」

「二人で歩きながら考えようか」


 恋人だったときと同じように、僕らは並んで歩き出す。手を握ろうか、どうしようか、などと考えてしまう。思考が中学生にでも戻ってしまったんだろうか。妻相手に緊張するなんて。 

 でも、そんな感覚が心地いい。


「こういうの、いいもんだね」

「ね!」


 妻は嬉しそうに頷いて、僕の手を取った。どきりとしてしまう。

 そういえば、最初に食事に誘ってくれたのも妻の方からだった。僕の方は、ずっと気になっていたのになかなか一歩が踏み出せなかったんだ。


「デートみたいだね」


 幸せそうに笑うその顔は、昔と何も変わってなんかいなかった。

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