最終話

 12月25日。ささやかながら、我が家でクリスマスパーティーを開いた。由美子との再会は感動的であった。私を見るなり、熱い抱擁をうける。

「由美子、く、苦しい……」


 この1か月間、毎日のように電話で話していたけれど、リアルな再会は格別だった。由美子の夫、雅人君も一緒に来てくれた。

「え? ……歩いてる?!」

雅人君は、杖をつきながら、ゆっくりと歩いていたのだ。もう、二度と自立も歩行もできないと言われていたはずなのに……。


 雅人君は、アメリカで『脳と足の連携を回復させる(脳波の信号を直接足に送る)仕組み』を研究をしており、このほど、脊髄損傷により下半身不随になった人が自力歩行できる成果があったようで、自らも、短時間なら歩行が可能になったそうだ。

「すごい!!」

「ホント、すごいテクノロジーだよ」

由美子が誇らしげに、雅人君を見つめる。幸せそうな由美子を見て、私も顔がほころぶ。何気なく、雅人君が持っている杖に目をやる。

「え? どうして? その杖……私の……?」

「ん? 杖? 杖がどうかした?」

二人が私を不思議そうに見つめる。

「ううん……。何でもない……」


 雅人君が使っている杖が、私が『』に変身した時に購入したものと同じだったのだ。杖は最近、アメリカで購入したものらしかった。


『杖なんて、似たようなのが、どこにでもあるわよね……』


 クリスマスパーティーは大いに盛り上がり、ご馳走を食べながら、みんなで近況を報告し合った。

 達也は、先日、AO入試で合格が決定し、春から東京での暮らしが始まる。智也の家で同居することになっており、立派に育った息子たちを誇りに思う。

 悠紀は、1月中旬から産休に入るのを機に、東京の家を解約し、うちにしばらく戻る。年明けにはお腹の子の父親が私に挨拶をしに来て、手続きなどのために、東京に一度戻ることとなった。

 由美子は、悠紀とも頻繁に連絡を取ってくれていて、海外での生活や人間関係など、色々な相談にのってくれているらしい。


 悠紀がタブレットで、海外での活動の様子や近況がわかる写真をたくさん見せてくれた。その中の1枚に目が留まる。


「ちょっと! その写真!?」

「ん? この写真がどうかした?」


10名くらいの外国人が集まってパーティーをしている写真だった。


「この黒人の女性は……?」

「この人? この人は、キワナって人で、一緒に海外支援の活動をしてる人だよ。私がしばらくシンガポールに帰れないからって、日本に戻る前に、みんなが集まってパーティーを開いてくれたの」


「そう……」


 その女性は、まさに私が変身した黒人女性で、服装もあの時買った、蛍光ピンクのキャミソールを着用していたのだ。


「この写真……、このキワナさん?の写真って、お母さんが事故に遭う前に見せてくれたことある?」

「うーん、ないと思うよ。キワナと出会ったのも、まぁまぁ最近だし。どうかしたの?」


 心配そうな顔でみんなが私を見ている。


「ううん、何でもない。何だか、前に見たことある気がしただけ」


 みんなに余計な心配をかけたくなかったし、どうせ言っても信じてもらえないだろうし、私もどう説明すればよいかわからず、適当にごまかした。でも、今までにあった記憶が、あのリアルな夢?変身?を作り出したのではないということだけはわかった。予知夢……デジャブ……、やはり説明はつかないけれども……。


***


 新しい年が明けると、悠紀の夫が来訪し、挨拶も終えた。みんなそれぞれの場所に帰り、いつもの日常が戻ってきた頃に、悠紀が再び帰ってきた。東京の家の荷物も搬入され、出産・育児に必要なものを買い揃え、出産する病院での健診も太鼓判を捺してもらい、準備万端。

 2月20日、出産予定日通りに、元気な女の子が誕生し、『陽菜ひな』と名付けられた。


 陽菜が生まれ、また、私の忙しい毎日が始まった。

 朝、目が覚めて、朝食と弁当を二つ作る。夫を玄関まで見送り、ほっぺにチュッ、後から支度が出来た達也を見送る。二人を送り出したら、洗濯をまわし、朝食の後片付け。悠紀と陽菜はまだ、静かに眠っているようだから、そっとしておく。つけっぱなしのテレビからは朝の情報番組が小音量で流れている。汚れた食器を洗いながら、見るともなく見る。次の瞬間、持っていたお皿をガシャンと落としてしまう。


『春の新作リップ—―”hanasaku”リップ——あなたに合う色は何色?――』


 大画面にアップに映し出された松島菜々緒が手にしているリップは、あの時の深紅のリップだった。

「どういうこと……」


 その時、陽菜の泣き声と共に、悠紀のキャーっという叫び声で我に返る。急いで、階段を駆け上がる。

「どうしたの?!」

「陽菜がうんちしてて、おむつから漏れて、布団がぐちゃぐちゃ……」


悠紀が今にも泣きそうな顔をしている。


「びっくりするじゃない。なら、何でもないわよ。はいはい。シーツ外すよ。おっぱいは?」

「さっきあげたばかり。夜中に何度も泣いて起きるし、眠たいのに寝させてくれないし、寝不足で限界だよぉ……」


「陽菜ちゃん、ママが泣いちゃいそうだよ。ママちゃん頑張れーって、言ってあげて。陽菜ちゃんは、お尻が気持ち悪いから、ばーばと一緒にきれいきれいしにいこうかねぇ」

「ごめん……お母さん。お母さんって辛いししんどいんだね……。私……自信ない……」


 そういえば、私も悠紀が生まれた時、初めての育児で不安だったし、おっぱいは張って痛いし、眠たいしで、きつかったな。


『あれ……、こんなこと私もあったな。そういえば、あの時、母はこう言ったんだ……』


「『大丈夫だよ。世の達は、みーんな、通ってきた道だからね。(美奈子)悠紀も、少しずつ慣れて、少しずつお母さんになっていくから、心配いらないよ。今が一番寝不足で、しんどい時期だから、休める時はとにかく休みなさい。体力が戻ったら心も元気になるからね。』」


無意識に母と同じセリフを言っていた。


「スマホいじらず寝るのよー」(ここは、つけたしね!)


 陽菜を抱っこしてリビングに降りる。お尻を綺麗に拭いて、着替えを済ませると、また、さっきの松島菜々緒のCMが流れてきた。でも、もう気にもならなかった。テレビの電源を切り、静かな音楽を流す。陽菜を抱き上げ、柔らかな日差しが差し込む窓際に立ち、鼻歌を歌いながら、ゆっくりとあやす。


 今日は小春日和。いや……暦ではもうとっくに春だ。怒涛の数カ月のお蔭で、月日の流れも、季節の巡りも味わう暇がない。母とは、なんと生き物だと、つくづく思う。自分がいくつになっても、子がいくつになっても、母をやめられないし、母の前では、いつまでも『こども』なのだ。そして、母をやめられない、やめたくない自分がいるのも、また事実だ。


 陽菜の心地良い重量感とミルクの香り、腕に伝わる温もりが、私の多幸感を満たしてゆく。ぷっくりふくらんだほっぺと唇が、時々ちゅくちゅくと動く。陽菜の心地よい呼吸音が聞こえる。

『ずっと見ていられるわ。これは、ならではの心の余裕かしらね。』

鼻歌を歌いながら、陽菜と一体となった我が身をゆっくりと揺らす。


『さーて、今日の夕飯は何にしようか。悠紀の好きなもの、精がつくもの……。何がいいかなぁ』


 今日も今日とて、私はただただ、愛する家族のために夕飯の献立を考える。






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朝、目が覚めたら… いしも・ともり @ishimotomori

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