第三十三話 先読みと味覚
◇
次の日、俺は倉庫の屋上に腰を下ろし、レイとリウが小屋の改築をする様子をぼんやりと見守っていた。二人は古びた壁を次々と外して、手際よく作業を進めている。その姿を眺めながら、俺はふと拳を握りしめた。
(強くなったのは僅かに実感した……でも、この程度じゃまだ……)
数日前から特訓を始めたが、実感するのは力不足ばかりだった。仮面の男との再戦を思うと、全身の血が冷たくなる。このままじゃ……また誰かを守れない。
「……ん?」
ディザイアータワーの先端に、赤い光が一瞬揺らめくのが見えた。まるで誰かが合図でもしているかのように、遠くから不気味に輝いている。
「何だあれ……」
「レヴァンさん?」
その時、下からレイの声が聞こえ、俺は視線を変えた。
「そこで何を?」
「あっ、いや……」
再びタワーを見上げるが、赤い光はすでに消えていた。ただ、確かに見えた。赤い光の中に……翼のようなものが。
「……翼?」
それが何を意味するのかは分からなかった。ただ、その違和感は心に小さな刺を残していった。
◇
昼頃、俺は木の上に登り、紙袋から取り出した小さなパンをかじっていた。下ではレイが木刀を振りながら、一人で特訓をしている。全身を使って振るうその動きには、どこか必死さが滲んでいた。
「レイ、怪我は大丈夫だし、もう良いだろ?」
俺が木の上から声をかけると、レイは木刀を下ろしてこちらに視線を向けた。
「言いましたよね、乱暴に動かすことだけが特訓じゃないって」
「そんなこと言われても、こっちは暇なんだよ」
「……でしたら、良い案があります」
レイの言葉を耳にして、俺は木の上から飛び降りた。
「何だ?」
◇
俺は岩の上に腰掛け、ゆっくりと息を吐いた。その直後、俺の後頭部に石が命中し、俺は頭を押さえた。
「いてっ!」
「全然読めてませんよ」
「いや無理だろ! 背中から飛んでくる石を受け止めろなんて!」
振り返ると、レイが少し離れた位置から石を抱えて、涼しい顔で立っていた。
「相手の動きの二手三手先を読むんです。考えるのでは無く、心で感じて下さい」
「できたら苦労しねぇって言ってるんだよ」
彼女は俺の文句を気にも留めず、指先で小さな石を弄びながら真剣な目で俺を見据えていた。その視線には、妥協を一切許さない厳しさが漂っていた。
「駄目だと思っても、鍛える必要があるんですよ。以前、私もアクアマリンの背面からの奇襲に対応できず、攻撃を受けてしまいました。どんな手を使って攻撃してくるか分からない以上、直感鍛錬は鍛えなければいけません」
「そんな所まで考えないといけねぇのかよ……」
「当然、生半可な努力で手に入るようなスキルではありません。ですが、体を動かすことが必須では無いので、楽といえば楽です」
「上手く行ったらの話だろ」
「まぁ、悪く言えば、一番つまらない特訓ですね」
レイは苦笑いを浮かばせながらそう話した。生半可な努力で得られる力じゃ無いのは、他の特訓でも同じだと思うが、明らかにこれは違う類だった。俺は岩に座り直し、レイに背中を向けた。
「……続けてくれ」
しばらくして、再びレイが石を投げ飛ばしてきた。しかし、飛んできた石を全然受け止められず、伸ばした腕や頭に何度もぶつけられた。
「いたたた! ちょ、タイム!」
「コツは相手の行動パターンと殺気を読むことです。次は私はどこを狙ってくるのか、五感を使って捉えて下さい」
レイの冷静な声が響く中、俺は再び彼女に背を向け、目を閉じた。周囲に漂う空気を感じ取ろうと、集中する。
(見えなくても感じろ……風、音、気配……)
何度か石を受けるうちに、微かな風の変化を意識することができるようになった。次にレイが投げた石が飛んでくる直前、俺は身体を捻りって右手を伸ばした。直後に、右手に痛みが走った。
「いっ……!?」
しかし、俺の右手には石が収まっていた。その瞬間、俺は思わず小さく拳を握り締めた。
「取った……! 取ったぞ!」
「その調子です。偶然であっても、今の感覚は忘れないで下さい」
そう言って、レイは両手に更に多くの小石を抱えており、俺は思わず後ろに下がった。
「おい、まさか……」
「連続で行きますよ。現実の戦闘では、一度避ければ終わりではありませんから」
そう言うと、レイは次々に石を投げ始めた。俺は目を閉じ、全力でその連続攻撃に対応しようとしたが、やはり全てを避け切るのは難しかった。何度も石に当たりながら、それでも少しずつ動きが洗練されていくのを感じた。
夕方になるまで、俺はこの地味な特訓を続けた。頭や腕がヒリヒリするが、相手を読むことの大切さを学ぶことができた。
「ど、どうだった?」
「面白かったです」
「お前の感想じゃねぇよ」
「えへへ」
レイは照れたように頭をかきながら笑った。
「まだまだと言わざるを得ませんが、遅れながらも体は付いてきてます。何度も繰り返せば本能的に動けるようになりますよ」
「本能的に? 無意識にってことか」
「そうです。デストロイヤーに対抗するには、肉体以外に鍛えないといけません」
レイは土が付いた手を払いながら、木刀を拾い上げた。
「結晶でできているデストロイヤーも、元は願いを失ったエクリプス、つまり人間です。彼らも私達のように特訓を積み重ねれば、更に脅威的な存在になると思われます」
「あいつらが特訓か……想像できないけど、本当にそうなったらマズいな……」
「ですから、私達も人間の潜在能力を極限まで引き出さなければいけません。現状、人間が勝っている箇所は、味覚くらいですしね」
レイの話を聞き、俺は疑問を抱いた。
「味覚くらいって、どういうことだ?」
「デストロイヤーは人間の願いを狙う戦闘特化生物。彼らはそのために不必要な五感の一つ、味覚を持っていません」
「味を感じない……なら、食事を作っていたリウはやっぱり人間じゃないか」
「そうとは限らないんです」
レイは岩の上に腰掛けた。
「デストロイヤーが人間に化けることができるようになったのは、いつからか分かりません。それまでの間、デストロイヤーは人間界に住み着き、食材の調達方法、調理の勉強、調理器具の使い方などを学びます。当然、その情報は仲間と共有します」
「……デストロイヤーが人間に成り代わろうとしているのか……?」
「私だって、キョウジさんやリウさんと出会って、あの方達を疑いたくないし、関係を大切にしていきたいです。でも、もし私が原因で犠牲となる方がまた増えたりしたら……」
レイはレッドウェザーのトラウマを抱えていた。それで生まれた複雑な感情を、制御できないでいたのだ。
「レイ、キョウジさんも言っていただろ。過去を振り返るのは良いが、悪いことばかりに目を向けるなって」
「……」
「……レイ?」
しかし、レイの視線は震えており、まるでこちらの話を聞いていなかった。彼女の視線は地面に向いており、俺は地面に注視しした。
目の前には、大きめのサイズの蛇がいた。
「きゃああああ!!」
レイは悲鳴を上げ、俺に飛び付いてきた。首を引っ張られたり腕を捻じられたりして、全身激痛が走った。
「いででで! いてーよ! 離れろ!」
「蛇! 蛇ですよ! 何とかして下さい!」
「蛇如きでギャーギャー言うな! ちょっと本当に首が……!」
「追っ払って! お願いですから本当に!」
俺達が騒いでいる間、蛇はこちらに近付いてきた。レイは俺の体に更にしがみつき、もはや子供だった。
「本当にお願いします……! 一生のお願いです……!」
「こんなことで一生の願い使うなよ……!」
その時、蛇は口を大きく開いて、俺達に威嚇を始めた。
「きゃああああ!!」
「うるせー!!」
俺は慌てて木刀を拾い、蛇の近くの地面を叩いた。蛇は驚きながら、森の奥へ消えていった。
「おい、どっか行ったぞ……」
「ほ、本当に……?」
レイは俺を盾にして、恐る恐る顔を出した。蛇がいなくなったことを確認し、ようやく落ち着いた。
「ったく、虫は良くて蛇は駄目なのかよ……」
「あ、あの……」
俺が立ち上がったその時、レイが俺の手を掴んできた。その瞬間、心臓が高鳴ったのを感じた。
「腰抜けちゃって……手伝ってもらえますか?」
「……はぁ?」
しかし、レイを持ち上げようとしても、彼女の足は石のように動かなかった。本当に腰を抜かしたようだ。
「ご、ごめんなさい……もうすぐ夕食なのに……」
「……ったく」
俺はゆっくりとしゃがみ、レイに背中を向けた。
「い、いけません。あなたの手は……」
「このくらい大丈夫だから、早くしろ」
◇
結局、俺はレイを背負って倉庫へ戻ることになった。レイを背負うのは二度目だが、何故か負担を感じることは一切無かった。それどころか、背中に感じる彼女の温もりが、どこか安心感を与えてくれた。
「蛇が嫌ならこんな森から出ていけよ……」
「兄の大切な小屋があるので……ごめんなさい……」
レイはしょんぼりする様子を見せた。そんな姿を見ていると、俺も気がおかしくなった。
「全く……お前強いのか弱いのか分かんねぇな」
「……兄さん……」
その時、レイは独り言を呟いた。
「どうした?」
「いえ……兄さんの背中を思い出しだけで……情けないですね、いつまで経っても変わらないのは……」
レイの言葉に、俺は疑問を抱いた。
「昔から弱い所を治すのが苦手なんです。レッドウェザーが起こる前から、兄に叱られても治すことができなかった。そんなのだから、弟達には家族じゃないなんて言われたんですよね……」
「……いや、俺はそれがお前の弱さだと思わないぞ」
「えっ……?」
俺はレイを背負い直した。
「お前は望まない未来を歩んでしまったのかもしれない。本来のお前は戦いなんて考えずに、遊んだり勉強したり、今みたいに蛇にビビって小便垂らして生きていたはずだ」
「垂らしてませんよ!」
レイは耳が割れるレベルの大声を上げた。
「冗談だよ……! でも、お前はその自分らしさを捨てていない。それは、自分が本来求めていた願いを諦めていない証なんだ」
「……本当に、そう思いますか?」
「少なくとも俺はそう思う。俺は昔の自分を拒絶してきた。自分がやってきたこと、家族を見捨てて生きてきたこと……全部恨んで、結果的に大切な願いも見失った。だから、お前に命を軽く見るなって怒られる羽目になったんだ」
俺は大きく息を吐いた。説教と言っても、あの時のレイの言葉に優しさが含まれていたのは、言われなくても分かる。
「だけど、お前はどうだ。勉強も運動も頑張って、グレンの意志もしっかり受け継いでいる。過去の自分を捨てないで、今の自分も大切にする。そんなお前を笑う奴なんて、生半可な決意や覚悟しか持てない野郎だ。そんな馬鹿どもの言葉なんて耳にするな。無視して良いぞ」
「……」
「恨んでないと生きていけないって言ってたよな。今はそれで良い。だけど、本当に大好きだった自分を見失うな。じゃないと、お前は過去の自分を恨むことになるから……」
気が付いた時には、レイは全く喋らなくなった。俺はレイの機嫌を損ねてしまったと思い、慌てて謝罪の言葉を探した。
「あっ、ごめん。お前の弟を馬鹿にしたつもりは……」
その時、俺の背中に違和感を感じた。何か暖かいものが、背中に当たっているのだ。
「……懐かしい匂い……」
「えっ……?」
思わず息を呑む。レイが顔を俺の背中に埋めるように近付けているのを感じたのだ。
(……何だろう……ずっとこの時間が続けば良いと思う……)
驚きと戸惑いの中で、俺の胸に謎のモヤモヤが広がっていった。
「……どうかしましたか?」
「い、いや。っていうか、お前そろそろ降りてくれねぇか? 別に軽いわけじゃないから」
「ちょっ、酷くないですかそれ!」
俺達は少し揉め合いながらも、倉庫に到着した。倉庫からは、バケツを必死に抱えているリウが現れた。
「あっ、二人とも見てー! さっき釣りでこんなに……わっ!?」
その時、リウは足元に置かれていた石に躓き、バケツを手放してしまった。バケツは俺達のもとに飛んでいき、中に入っていた水と魚を全身に浴びてしまう。
「うわっ!」
「きゃあ!?」
「あっ……ごめんちゃい」
リウはとりあえず謝ったが、俺の怒りは沸点に到達した。
「あーもう! ここには悪魔しかいねーのかよ!」
現在使えるルインクリスタル 一個(エタニティ)
現在使えるネオクリスタル 二個(アクアマリン・ガーネット)
RAIN 桐部昭栄 @momomeru
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