第5話 引き継がれる母の味

 ──三か月前

 『開錠屋』の扉を叩いたのは、青い顔をした女だった。西の海岸沿いで宿屋をやっていて、三十路手前の息子と旦那と三人で暮らしていると言う。

 温かいハーブティーを前にして、女はありがとうと呟いて笑った。

 

「私は、夏を迎えられないと思うんです」

「……病か?」

「はい。だから、私の思い出を封印して欲しいんです」

「思い出を?」

 

 そう問い返しながら、ラスはたいして驚いた顔をしていなかった。


 日頃、彼は封印を解くことを生業としているが、その逆を頼む客というのも少なくないのだ。その中には、自分の記憶や手紙を封印し、死後、遺した大切な人に届けてほしいと頼まれることもある。


 今回もそう言うことかとラスが理解を示すと、女は苦笑いを浮かべた。

 

「主人は、私がいないとダメな人です。息子は、海が大好きな良い子なんですけど……まだまだ頼りなくて」

「ちゃんと話し合った方が良いんじゃないか?」

「……二人とも、料理一つ出来ないんですよ……でも、宿は続けて欲しいんです。だから」

 

 頭を振った女は、カウンターに冊子を置いた。開かれたそこには、丁寧に書かれた料理のレシピが連なっている。おそらく、彼女が長年積み重ねてきた記録であり、その一つ一つに思い出が詰まっているのだろう。

 

「これに、賭けたいんです」

「賭ける?」

「私がいなくなっても、二人がしっかりと歩めるように……大枚をはたいても、私の味を取り戻そうと思ってくれたら、私の賭けは勝ちなんです」

「俺には理解できない考えだが……」

 

 眉間にしわを寄せたラスは、厚い冊子を手に取った。

 

「積まれた金に見合った仕事はきっちりやり通す。そして、出来ない仕事は引き受けない」

「お金なら払います! ですから!」

「引き受けよう」

 

 にっと口角を上げたラスは立ち上がると、腰に挿していた折りたたみ式の杖を引き抜き、それを勢い良く振った。接合部分がカチリと合わさり、シンプルな一本の杖となる。

 

「あんたの思い、しっかり封印してやるよ」

 

 赤い三つ編みを揺らした姿を見上げ、女は何度も感謝の言葉を繰り返して大粒の涙を流した。


 ◆


「オムライスランチ、三名様、出来上がったわよ!」

「オーダー! エッグベネディクトプレート二名、日替わりパスタ三名!」

「了解!」


 厨房との間にあるカウンターには、オムライスランチセットが三つ並んでいる。

 オムライスにサラダ、野菜のスープにデザートの日替わりケーキがついてフロンス銅貨二枚だ。安くて美味いと評判で、最近は宿泊客以外も来るようになった。おかげで毎日、大盛況なのはいいが筋肉痛になりそうだ。

 

 オムライスや野菜のスープは亡き母の味をそのまま再現している。エッグベネディクトやパスタソースもだ。親父は、まだまだ母さんの味とは認めてくれてはいないけど。


「エッグベネディクト二名様!」


 厨房から声が上がり、俺はすぐさま駆け付けた。ここを一手に預かるのは、俺の幼馴染ルーシーだ。


「ほら、ぼーっとしないの!」

「分かってるって! おい、親父も手伝ってくれよ!」


 エッグベネディクトのプレートには、焼き立てのパンケーキにサラダ、カリカリのベーコンが載っている。それを手に取りながら、客とにこやかに話す父親に声をかけた。


「世代交代ってやつだ! 働け、若人!」

「飲んでるだけじゃないかよ」

「茶だけどな!」


 呆れながらも、古い知人と楽しく話す姿を見せられてしまうと、まぁ良いかと思えてしまうくらいには、俺は親父に甘いらしい。

 それもこれも──


「ネルソン! 次、上がったわよ。パスタランチ三名様!」


 ルーシーの明るい声を振り返り、俺は急いでエッグベネディクトプレートを運び、カウンターに戻った。

 貝殻で出来た呼び鈴が軽やかな音を奏で、店の扉が開いたことを教えてくれる。


「いらっしゃい! 窓側の空いている席へどうぞ!」

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魔法の鍵と記憶のレシピ~料理が出来ない俺に遺されたのは、飲んだくれの父親と鍵のかかった母親のレシピだった~ 日埜和なこ @hinowasanchi

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