第4話 レシピに封じられていたもの

ちまたには、あこぎな商売をしてる奴らも多いぜ」

「……はい?」

「依頼料を安くして、成功報酬を高額にする奴。解除なんて出来もしないのに引き受けて、失敗しても金を返さない奴もいる。金も封印されたものも失う覚悟が、あんたにはあるか?」

「そ、そんな……」

「そんな質の悪い店に比べたら、俺のところは綺麗なもんだぜ」

 

 カウンターに置かれた母の冊子を、俺に突き返すように押した男は不敵な笑みを浮かべた。


 分厚い冊子には、母がこれまで作ってきた料理の数々が記されれているはずだ。きっと、店の看板メニューだって書かれているだろう。それに、これを見て料理をすれば、親父だってやる気を出すに違いない。だけど──俺の意識は、用意してきた金が入っている革袋に向いていた。


 多めに持ってきた金を全部奪われるのか。そう思うと、躊躇してしまう自分がいた。


 沈黙が続き、俺の背中を嫌な汗が伝い落ちた。

 封印を解いてもらうか、持ち帰るか。悩んでいると、男は「もしもだ」と呟いた。顔を上げると、男はいつの間にか手にしていた金属の杖で、自分の肩をとんとんっと叩いていた。

 

「封印されたものが破損したら、ただで直してやる。まぁ、そんなことは起きやしないけどな」

「破損?」

「さっきも言っただろう。他の店では失敗しても返金はないって。失敗した場合、現物がぐしゃっといくことだってあるんだ」

「ぐ、ぐしゃっと?」

「冊子の場合は、燃えちまうかもな」

「も、燃える!?」

「だけど俺なら、そんなことにはならない」

 

 再びにいっと笑った男は杖の先で床をとんっと叩くと、ゆっくりと立ち上がった。

 

「あんた、俺の通り名を知っているか?」

「あ、はい……守銭奴魔術師だと聞いています」

「ははっ! そうだ。がめついだの不名誉だのって言うやつもいるが、俺はその名に満足している。金は裏切らないからな」

 

 堂々とした姿にぽかんとしていると、彼はもう一度、杖の先で床をコンッと叩いた。

 

「出来ない仕事は引き受けない。積まれた金に見合った仕事はきっちりやり通す」

 

 はたして、この母の冊子は大銀貨ルナ三枚もの大金に見合ったものなのだろうか。

 料理をする母の横顔と、美味い美味いと言って食べていた父の顔を思い浮かべて冊子を見ていると、男は静かに話しかけてきた。

 

「その冊子は、お前の母親のもんなんだろ?」

「あ、はい……母の遺品の中から見つけました」

「なら、そこにはあんたの母親の味が詰まっている訳だ。思い出して作るってのはなかなか骨が折れるからな」

 

 少しだけ寂しげな表情を浮かべた男は、冊子の上に手を置いた。

 

「これに託された、あんたの母親の思い……開いてみようじゃないか。俺に任せておけ」

 

 真摯な眼差しを向けられ、その菫色の瞳から視線を外せなくなった俺は自然と「お願いします」と答えていた。

 男がにっと笑うと、どこからともなく一枚の紙が現れた。

 

「契約だ。その内容に問題がなければ、サインをしてくれ。きちんと、フルネームでな」

「あ、はい……」

 

 契約書には、封印の解除を依頼すると言った内容が書かれていた。破損時の賠償責任についてや追加料金が発生しないことも明記されている。隅から隅まで読んだが、特に怪しいことはなかった。


 大きく息を吸って意を決し、俺は渡されたペンで名を記した。

 ペンを置くと、男はそれを手にとって、自らも名前を刻む。

 ラッセルオーリー・ラスト、それが彼の名前だった。

 

「ネルソン・スペン……契約成立だ」

 

 冊子を持ち上げると、彼は俺でも分かる程の魔力の光を放った。


 長い赤毛の三つ編みの先が、まるで尻尾のように揺れる。まるでそれは、御伽噺の中の悪魔のしっぽのようにも見え、俺は一瞬、選択を誤ったんじゃないかと不安になった。


 だが、次の瞬間、全ての不安が消えた。


 母さんの冊子が宙に浮き、輝く赤い魔法陣が浮かび上がる。まるで、夕日の中に納まったようだ。

 赤毛の魔術師はその声を震わせ、詠唱を始めた。

 

「闇より深き海にとばりを下ろし、乙女は祈りを唱える」

 

 魔法陣はまるで海に夕日が沈むように赤から紫へと色を変えていった。それはまるで、凛とした彼の声に呼応しているようだ。その美しい変化を呆然と見ていると、さざ波が聞こえてきた。


 ここは海から少し遠い丘の上だ。波の音が届くはずはない。

 辺りを見回すも、特に、音を奏でる魔法道具らしいものも見当たらない。この音はどこから来たのか。そう考えていると──


「落ちる涙は凍える大地を癒し、眠る思いに光を灯す」

 

 詠唱に呼応するように、ザザンッと波の弾けるような大きな音が響き渡った。

 魔法陣の上にある冊子が白い光を放つと、冊子を閉ざす鍵穴の上に、まるで花の蕾のようなものが現れた。

 

「時は来た」

 

 輝く蕾がふっくらと大きくなっていく。

 

「閉ざされた回廊を開く、我が名はラッセルオーリー・ラスト!」

 

 高らかと唱えられた言葉を聞きながら、呆然と見ていた光景の中で、光の花がぽんっと音を立てて開いた。そして、どう頑張っても空かなかった冊子の表紙が、静かに広がる。


 すると、シャンっとガラスの割れるような音が響いた。


 光が弾け、広げられたページの中から、真っ白なエプロン姿の母が現れる。

 

「……母さん?」

 

 見覚えのある風景が次々と現れては、シャボン玉が弾けるように消えていった。そこには俺と親父の姿ばかりで、母の姿は一つとしてない。一体、何なんだと困惑しながら繰り返される光景を見ていると、満面の笑みを浮かべた幼い俺と若い親父の顔が現れた。


 これは、覚えている。母さんが作ったトマトのシチューが美味しくて、夢中になって食べた日だ。顔も服も真っ赤になって、俺だけじゃなくて親父も服を汚して、二人で怒られながら「だって美味いんだから仕方ない」て大笑いしたんだ。

 

「これは……母さんの、記憶?」

 

 そんな気がして、思わず声に出していた。その直後だった。満面の笑みを浮かべた母が「ありがとう」と囁き、まるで霧が晴れるように散って消えた。

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