07 「何でもやります!【銀の翼】」にて

「で……なんだい、これは」


「わ、悪い、ナーヴェ」

「此処がザーリアの職場なんだね! すごく小さいな、うちの犬小屋みたいだ」


 きらきらしいオーラを放つ皇太子殿下を前に【銀の翼】亭の女主人であるナーヴェ・リシュターは唖然としていた。それも当然だろう、と私も納得している。

 いきなり意気揚々と乗り込んで来た謎の男に自慢の店をけなされているのだから。


 ギルド【銀の翼】の本拠地である【銀の翼】亭は酒場である。

 テーブルや椅子は年季が入っているが、ナーヴェと看板娘のシュイによって丁寧に清掃管理がなされており清潔だ。しかも仕入れる酒はセンスがよく、つまみも旨いので一般客も訪れる。

 客たちの中には悩みを抱える者が少なからずいて――それを元冒険者であったナーヴェが解決してやっているうちに彼女を慕う者が集い、ついに冒険者ギルドとしてきりもりするようになったということらしい。


 仕組みとしては女主人であるナーヴェが近隣顧客から寄せられる依頼をさばき、所属している冒険者たちに割り振ってくれる。

 それでも手が足りない場合は自由引受の案件として掲示板に張り出され、参加者を募ってパーティーを組むこともあった。


 女性がマスターを務めているだけあって、所属する冒険者も女性が多かったが――実力者ぞろいということもあり、【銀の翼】への依頼は絶えなかった。


「……あのなあザーリア、大体これ、ウチの国の皇太子だろう。なんでこんなの連れてきた」


 ちょっと、とカウンターの内側に呼び寄せられ小声で話す。

 酒場の中には顔見知りの冒険者や一般客たちもいたため、突然現れたキラキラの美形に興味津々だった。いかにも話しかけたそうにちらちらとディアークに秋波を送っているが徹底して目を合わさず――まっすぐに私を見つめていた。

 正直に言って迷惑なのでやめてほしい。


「おっ。ナーヴェは知ってたんだな、こいつが皇太子だって」


 親指でディアークを示すと、ナーヴェは慌てて私の手を握りしめて覆い隠した。


「馬鹿なこと言ってんじゃないよ! 大体あんた、不敬にもほどがあるだろうが!」

「そうか?」


 むしろ気安く接すれば接するほどにこの男はつけあがる、そして大いに喜ぶ。


 シュタイン伯爵邸から【銀の翼】亭に移動する際の馬車でそれが証明された。貴族令嬢として少々なじみのある敬語で話そうとすると尻尾の垂れた犬みたいになるし、いまのように荒っぽい口調で話すとちぎれそうなほどに尻尾を振るのだこの男は。


 なんだかもう泣き虫ジョン相手にへりくだるのもかったるくなってきたので、私はもう素で行くことにした。それを傍から見れば不敬だろうし、私自身もそれを理解している。


 こんな皇太子妃なんてありえない――そのとおりだろう。

 私は「身分を弁えず下品で口の悪い女」そう思われるように振る舞っている。


 だって、まだ口約束の段階だし。

 周囲の力を借りつつ、あわよくば婚約破棄――に持っていけないかな、という打算がある。

 なにしろ相手は上級貴族どころかいずれこの国の皇帝となる皇子である。

 こんな嫁は御免だろう。ディアークのお付きの者たちから向けられる視線がどんどん険しくなっているが(大歓迎である)、それ以上の権力者である皇太子殿下が彼らを一瞥するとぴたりと収まってしまう。

 うーんまずい、このままだと暗殺でも企てられそうだ。


 鬱憤だけ溜めていき直接皇太子にぶつけられないから、弱い立場にある私に向くのは自然な流れだと推測できた。


「ねえ、ザーリア。ご挨拶は済んだのかな」

「い、いや……」


 唇を引きつらせた私とディアークをナーヴェが見比べている。


「失礼、ザーリアがお世話になっていたギルドのマスターはあなたで間違いないかな」

「あ、ああ……そう、ですが」


 ナーヴェが動揺しているのを初めて見た。

 まだ幼い子供だった私が、なんでもするから仕事くれ、と言ったときだって冷ややかな目で「帰りな」とだけ言い放ったのに――泡を喰ったようになっている。


「このたびザーリアは俺と結婚することになったので、残りの仕事は他の方に割り振ってもらえないだろうか」

「……は?」


 その言葉で、ざわっと【銀の翼】亭に流れていた空気が一変した。


「ちょっとぉおおお、ザーリアどういうことよ!」

「殿下と結婚って何……⁉」

「あんただけ良い目見るなんてずるいっ」


 次々から仲間たちとは皿やフォーク、ナイフまで投げつけられる始末。

 ひょいひょいと避けながら壊れ物だけはキャッチしていると(それにしても殺意高いなみんな)「じゃあそういうことで」と私の知らないうちにナーヴェとディアークのあいだで話がついてしまった。


「おいディアーク……」

「ザーリア! 初めての共同作業だね、一緒に頑張ろう!」


 尋ねる間もなく手を引かれ、仲間たちのブーイングに送られながら私は【銀の翼】亭を後にしたのだった。

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子供の頃、泣き虫とからかっていた幼馴染が皇太子になって求婚してきました。 鳴瀬憂 @u_naruse

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