#03 見つけた恋、届いた想い

 初秋。良く晴れた午後の校舎玄関脇。藤埜優菜ふじのゆうなは、今日こそ想いを告げようと緊張しながら意中の男子生徒を待っていた。

 その男子生徒の名は、本田浩征ほんだひろゆき。来年の春には卒業し、大学進学が決まっている。その浩征が、最近フリーになったとの情報を得たことで、今回の告白へと踏みきることになったのだが、学園一の王子様的イケメンの為、当然のごとくライバルは多い。

「……早く来ないかなぁ」


(ドキドキし過ぎてもう、ヤバい……)


 優菜がポツリと呟いた。その時、階段を下りて来る浩征の姿を見つけ、優菜は足を震わせながらもゆっくりと歩み寄って行った。

「あ、あの……」

「ん?」

「いや、その……」


(あー、どうしよう。やっぱ言えない……む、無理)


「何でもないです! べ、勉強頑張って下さいっ!」

「あ、ありがとう……」

 くるっと右回りして、まるで漫画のヒロインのようにぎこちなく駆け出す優菜を見ながら、浩征は薄っすらと微笑んだ。なんとなく、自分に対してそうなってしまった理由が判ってしまったということもあるが、これまでの誰よりも切ない鼓動が伝わっていたからだった。


 *


 学園祭当日。

 今年もまた、各クラスごとに開催されている。浩征を見られる最後の学園祭だからか、女子の間では昨年以上の盛り上がりを見せていた。

 あれから、優菜の思いは伝わらないまま。友達から応援されるも、「好きです」の一言が難しい。この後、クリスマスや、バレンタインなどのイベントが待っているものの、どのみち振られるに決まっている。と、いう現実感に苛まれてしまう。

 屋台奥、クラスメートの中原龍雅なかはらりょうがと共に屋台班となった優菜は、蕎麦と具材をソースで炒めている龍雅の隣で、追加の具材を用意していた。

 不意に、龍雅がぼそりと呟いた。

「もうこくったのか?」

「え?」

「本田先輩に」

「ちょ、なんで!?」

 と、優菜が包丁片手に驚愕の声を上げた。その切っ先が、自分の左腕に刺さる勢いだった為、龍雅は腕を庇いながら慌てて後じさる。

「あっぶねーな、気をつけろよ!」

「あ、ごめん。ていうか、どうしてあんたがそのことを知ってんのよ!」

「そんなことはどうでもいい」

「いやいや、全然良くないから!」

 言いながら、優菜が鉄板の上に具材を放っていく。

「で、もうったのか?」

「まだだけど?」

「そっか。まぁ、頑張れよ」

「あんたに言われなくたって……」

 へらを置き、「ちと、トイレ」と言ってその場を後にする龍雅の背中を見つめながら、優菜は思いっきり舌を出して悪態をついた。

「何なのよ、あれ。ほんっとムカつくぅ~」


 二人の出会いは、小学5年の春。転校してきた龍雅と、中学もずっと一緒で、同じクラスになることが多かった。家も近いせいもあり、本人同士は腐れ縁だと思っている。犬猿の仲とでもいうか。無邪気で能天気な子猿と冷静な狼犬ウルフドッグと、いうのが的確な表現といえる。

 ただのケンカ友達。しかし、この時点でそう思っているのは優菜だけであった。


( ムカついてんのはこっちだ。人の気も知らねーで )



 その日の夕刻。

 帰宅途中、最寄り駅まで来て定期券の入った学生手帳が無いことに気づく。と、優菜はすぐに指先で教科書などを避けながら鞄の中を見遣った。それでも手帳は見つからない。来た道を辿って行ったがどこにも落ちていなかった。

「学校で落としたのかなぁ……」


(戻るのも面倒だし、見つかるとも限らないしで、最悪だよ。ったくもう~)


 今日に限ってお財布を家に忘れてきている為、このままだと四十分ほどかけて歩くことになってしまう。

 自分のこの大雑把で無計画な性格にうんざりする。と、同時に、そうすることでしか帰宅出来ないという現実を突きつけられて更に落ち込んだ。

「今日は立ちっぱなしで足痛いのにぃ……」

 また大きな溜息をついて間もなく。仕方なく駅を後にしようとして、後方から声をかけられ振り返る。

「せ、先輩!?」

「良かった。間に合った」

 優菜に声をかけて来たのは浩征だった。走って来たのか、かすかに息を弾ませている。

「え、あ……あの、どうしてここに?」

「これ、探してたんじゃない?」

 浩征から手渡されたのは、まぎれもなく優菜の学生手帳で、お礼を伝えながらも「夢でもこんなの見たことないぞ!」と、思うくらいの出来事に、どうしたって鼓動は速くなる。

 訊けば、ある男子生徒から手帳を預かったのだという。

「あの、その人って……」

「すごく急いでたから名前は聞けなかったんだけど、長身でクールな感じのイケメンだったかな。良く分からないけど、『今からなら全然間に合うから、絶対に届けてやって欲しい』って、強くお願いされちゃってね」

「そうですか」

「心当たりは?」

 浩征の柔和な微笑を間近にして、本来ならば会話までしてしまったことへの嬉しさでいっぱいになっているはずだった。

「あります……」

「じゃあ、確かに渡したからね」

 そう言ってにっこり微笑み、改札を抜けてホームへと急ぐ浩征の背中を見つめながらも、優菜の心を乱していたのは──

「何これヤバっ……。あいつ、マジでどうしてくれよう」

 すぐに手帳をバックの中にしまい、代わりに取り出したスマホに何やら認め始める。


( 来なかったら許さん…… )


 それから、どれくらいの時が経っただろうか。不意に、遠くの空に稲光が走った。と、ほぼ同時に雷鳴が轟き小雨が降り始める。轟音に肩を震わせた、その時だった。

「あ、龍雅。ここ、こっち!」

 スマホ片手にこちらへと駆け寄って来る龍雅を迎え入れると、優菜はすぐにお得意の悪態をついた。

「本田先輩に頼んだのってあんたでしょ?」

「なんでバレてんだよ……」

「バレバレだって。というか、何であんなことしたの?」

「感謝こそすれ、非難される覚えはないんだけど」

「そりゃあ、先輩と話せて嬉しかったけどさ」

「なら良かったじゃん。とりあえず、ここじゃなんだからあそこ入ろうぜ」

「え、ちょっ。今日、私お財布持ってきてない……」

「しょうがねーから、今日だけ奢る」

 龍雅から腕を取られ、半ば強制的に真向かいにあるファミレスへと連れて行かれる。窓際のカウンター席で二人分確保して、とりあえずお互いにドリンクバーを注文した。

「何飲むの?」

「え、何? 俺の分も持ってきてくれんの?」

「今回だけ、ねっ。奢って貰っちゃうわけだから」

 ムスッとしたままの優菜の、まんざらでもない顔が可笑しくて龍雅はにやけそうになるのを堪えながら、「カフェオレ。砂糖なし」と呟く。優菜は、「わかった」と、言って席を立った。


( やっべぇ。なんだよ今の顔 )


 しばらくの後。テーブルの上にコーヒーカップが二人分置かれた。よいしょっと。と、言いながらカウンターチェアーに腰掛けると、優菜は改めて、龍雅を睨みつけた。

「あのさ、今日みたいなことは二度としないでよね」

「けど」

「けど、も。でも、もなーい!」

 優菜は、苦笑気味の龍雅に食って掛かるように言って、龍雅の右脚を軽く小突くように蹴り飛ばした。

「で、今度こそ伝えられたのか?」

「……まだ。それどころじゃなかったから」

 そんな優菜の返答に、龍雅は「マジかよ、アホか」と、呆れながらカフェオレを啜る。


( 言えないよね。さんざん失礼なこと言ったりしてた私が、龍雅のことを意識してるだなんて )


 しばしの沈黙。お互いに、相手のことでいっぱいいっぱいな状態である。

 優菜に一目惚れしてからずっと、心の葛藤が続いていた。しかも、優菜が他の誰かを好きになる度、自分の思いを封じ込めてきた。


( ったく、マジかよこいつ。何やってたんだよ )


 出会いは最悪だった。龍雅の、まるで漫画やドラマの世界に登場しそうなヤンキー顔にしても、切れ長の鋭い目つきにしても、低くハスキーな声にしても。優菜の好きなタイプとはかなりかけ離れていた。だからか、優菜にとっての、いわゆるど真ん中に来ることはなく、友達以上の想いは微塵も無かった。

 はずだった。


(どうしよう。どうしよう……どうしたらいいのよぉ。なんで、よりによってこいつなの?)


 自分でもこんな展開は予想外だった。理想は、本田浩征なのだという思いはそのままに、それでも龍雅を意識せずにはいられなくなっていた。

 沈黙の後。どちらからともなく、「あのさ」と、切り出してすぐ。卓上に置いたままだった龍雅のスマホが、微かにぶるぶると小刻みに揺れた。

 着信相手は龍雅の母親で、すぐに通話に出る龍雅の口から驚愕の息が漏れる。

「分かった。これから向かうから……」

「どうしたの?」

 優菜が心配そうに問いかけた。

「親父が事故に遭って運ばれたって。悪い、行くわ」

 言いながら、もう片方の手でバッグを持って店を後にする龍雅を追いかけようとして、すぐに制されてしまう。

「お前は来んな」

「何でよ」

「どんな状態か分からねえし、あとで連絡するから」

「……分かった」

「それに、今のお前にはやんなきゃならないことがあるだろ」

 優菜は、じゃあな。と、今度こそ踵を返しその場を後にする龍雅を見送ることしか出来なかった。


( 私が、やらなきゃいけないこと…… )



 龍雅が病院へ駆けつけた時にはもう、母の静子しずこが父、隆文たかふみの病室内にいた。

 帰宅途中だった父、隆文が、横断歩道を渡っている老婆に付き添おうとした。次の瞬間、ものすごいスピードで走り来る原付バイクに気づき、咄嗟に老婆を庇ったことで起こった事故であった。

 幸い、右腕の骨折だけで済んだのだが、念のため精密検査を受けることになっているらしい。

「すまねぇな。心配かけちまって」

 そう言って、隆文が苦笑する。

「救急搬送されたって聞いたから心配だったけど、少し安心した……」

 龍雅は、隆文の元気そうな姿を見て思わず安堵の息を零した。こんなに早くあの世に行かれたら困るんだからね。と、静子から言われ、普段から尻に敷かれっぱなしの隆文は、更に面目なさそうに顔を歪ませた。



 その後、龍雅はもう少し付き添うという静子を残し、先に病室を後にした。

 最寄り駅までの道のり。前から歩いて来る優菜を見つけ、思わず足を止めた。

「優菜……」

 優菜もまた、龍雅に気づき足早に駆け寄っていく。

「龍雅!」

「こんなとこで何してんだ?」

「あんたの方こそ。おじさんは大丈夫なの?」

「腕を骨折しただけで済んだ」

「そっか。命に別状なくて良かったね」

 何となく、お互いに気まずく感じながら近くにある公園のベンチに腰掛けた。すっかり晴れ渡った夕空のオレンジが、二人を優しく包み込んでいる。

「これから、どこかへ行くところだったとか?」

 龍雅から見つめられ、優菜は視線を落としながらたどたどしく口を開いた。

「……先輩に、気持ちを伝えてきた」

 龍雅は、その一言に一瞬、驚愕する。が、平静を装うように「それで?」と、明後日の方向を見ながら囁くように尋ねた。

「見事に振られました!」


 あれから、優菜は勇気を出して浩征と連絡を取り合い、先程、龍雅と入ったファミレスで待ち合わせをした。そして、これまでの経緯を簡潔に纏めて伝えた結果、浩征からは、思った通りの返事を貰うことになったのだった。


「……そっか」

「うん。でもね、最初から無理だって分かってたから。それでも、龍雅が応援してくれたから告うことが出来たというか……」

「俺は、何も」

 龍雅の、少し寂し気な横顔を気にしながらも、優菜は今度こそ自分の想いに素直になると決めた。

「悪い。ほんとごめん」

「いきなり何謝ってんだよ」

「今から私が言うこと、怒らないで聞いてくれる?」

「……内容によるな」


( ぬぅ、いつも一言多いんだよね。ほんと )


 そんなふうに思いながら、優菜は小さく深呼吸をした。

「気づいちゃった。……龍雅のことが好きなんだって」

 一瞬の、龍雅の考える間。というか、思考停止時間とでもいうべきか。普段冷静沈着な龍雅の顔が、みるみる赤くなっていく。

「今、なんつった?」

「ごめんっ。私みたいな可愛くない女に惚れられても困るよね」

「なんだよソレ……」

 好きな子から告白されて嬉しい反面、どうしても複雑な気持ちは拭いきれない。

「先輩と話してる時も、龍雅のことばっか考えてた。なんだかんだいって、いつも私の傍にいてくれたのは龍雅だったなーって」

 言いながら、優菜も恥ずかしさからか徐々に下を向き始める。

「嫌われてるって分かってるんだけどね」

「ちょっ、待った! お前のほうこそ、俺の事嫌ってたんじゃねえのかよ」

「そうだと思ってた。自分でも……」

 浩征から声をかけられたことも、会話出来たことも、そのどれもがとても嬉しかった。そう思いながらも、どこか腑に落ちないとでもいうか。これまでに抱いたことのない感情に心を乱されていた。

「今まで、顔を合わせれば喧嘩ばかりだったけど……。龍雅といる時の私は素でいられた。出来るなら、これからも龍雅の隣にいたいって思ってる」

 龍雅の、大きく見開かれた戸惑いの瞳と目が合う。それでも、優菜は顔を真っ赤にさせながらも、視線を逸らさずにいる。

 そんな彼女に気圧され、龍雅もまた降参だと言わんばかりにこれまでの思いを口にした。

「そんなんじゃ全然足んねー」

「……え?」

「俺が今まで、どんだけお前のこと想ってきたか。分かってねーだろ」

「え、嘘っ。龍雅、私のこと……」

「初めて会った時から、想ってた。たぶん、これからもずっと好きだと思う」

 真っすぐ、優菜を見つめる瞳が柔和に細められる。そう告げられて改めて、優菜はこれまでの日々を振り返り、じわじわと想いが込み上げると同時に、泣きそうになっていた。

「なんで……」

「俺にも分からない。ただ、お前のこと想わずにはいられなかっただけ」

「……なんで言ってくれなかったの」

「言えるわけねーじゃん」

 再び目を逸らされ、「そうだよね」と、言って優菜はまた申し訳なさそうに俯いた。

「ごめんね、龍雅……」

 龍雅は、素直に謝る優菜に愛しさを感じながらも、「どうした? 熱でもあんの?」と、手のひらを優菜の額に添えてからかう。それに対し、優菜は嬉しそうに反撃に出た。

「なによ、素直に謝ってやったのにー」

 そして、互いに吹き出すように笑って、どちらからともなくそっと指を絡ませ合う。

 手の平から伝わる微熱。触れ合った肩の優しい温もり。


 すぐ傍にあった大切なもの──。


 やっと見つけた。

 やっと届いた。




【END】

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【オムニバス短編集】恋心 ~ Everlasting lover ~ Vol.1 Choco @yuuhaya

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