#02 旦那が推しの生まれ変わりだなんて聞いてない!
「え? 今、なんて?」
都内某所にある占いの館に取材後、その占い師から言われた言葉がとても信じられるうようなものではなかったからだ。
「ですから、あなたのご主人はあの中世貴族でもある、イギリス国王。リチャード1世の生まれ変わりだと言っているのです」
リチャード1世。十字軍で活躍した英国の国王で、
「いやいやいやいや、そんな馬鹿な。あり得ないですよ」
彩佳がそう思うのも当然だった。だが、しかし。これまでの彩佳の過去を言い当て、先に旅立っていった遺族との関係も言い当てられたことで、否が応でも信じざる負えない状況ではある。
「ま、マジですか……」
「マジです。というか、これってすっごいことですよ」
「じつは私、貴族に恋するスマホアプリにハマってて、リチャード1世推しなんですよね。まぁ、どーでもいい話ではあるんですけど……」
どうやら、和希と彩佳は前世でも恋人同士だったらしい。しかも、キプロスという地で捕らえられた婚約者。つまり、彩佳を救出する為に、兄弟たちと死闘を繰り広げていたという。
「あなたに厳しいことを言って来ることが多いと思いますが、それらの全てはあなたへの愛情表現だといえるでしょう。ですから、もっとご主人のことを大切にしてあげて下さいね」
「……は、はあ」
彩佳が帰宅すると、既に夫である
( この人が、憧れのリチャード1世の生まれ変わりねえ……。なんか、やっぱ信じられないわ )
そう思うのも無理はない。本物がどのような人物だったのか定かではないし、史実に基づいた乙女ゲームとして甦ったリチャード1世は、イケメンで剣の腕が立って、騎士の花道を行くような男。極めつけ、父や兄弟たちと剣を交えていた強者だと言い伝えられているからだ。
それに比べ、和希は長身のイケメンではあるものの、出版社に勤めるごく普通の編集者である。リチャード1世との共通点がどこにも無いということで、やっぱり先ほどの占い師の言葉に頭をひねってしまう彩佳であった。
「ただいまー」
「おかえり」
( いつにも増して素っ気ない返事。まぁ、返してくれるだけマシか )
そんなことを思いながら、キッチンにて昨夜のカレー鍋を温め直す。次いで、炊飯ジャーの保温ボタンも押してスマホをチェックした。誰からも連絡が来ていないことで、とりあえず安堵すると、四人用のダイニングテーブルに腰掛け安堵の息をつく。
また、チラリと和希の横顔を見つめてみる。ふと、目が合って慌てて視線を逸らした。
(なーんか、変に意識しちゃうなぁ )
翌日。
久しぶりに土日を利用して、以前から約束していた富士登山を決行する為、二人は車で一路、山梨を目指した。
深夜二時に自宅を出て、富士山五合目に到着したのは午前四時半だった。ご来光を眺め、準備万端にして頂上を目指す。
「ちょっとでも気分悪くなったらすぐ言えよ」
「うん」
登山は二人にとってストレス発散であり、体力作りの一環でもある。特に、和希は山の神聖さに魅了されていた。本人曰く、高い山ほど神との距離が縮まるような気がするのだとか。
三蔵法師たちが天竺を目指したように、自分もてっぺんを目指して登っていく。それにより、たどり着いた時の達成感が半端ないのだそうだ。
そんな二人の出会いは、大学一年の夏。和希の一目惚れであった。しかし、彩佳には意中の相手がいて、いったんは諦めようとした。が、どうしても忘れられずに声をかけ続けた結果、最終的に彩佳が受け入れた形での交際スタートとなったのだった。
「うわ、結構のっけから獣道なんだね……」
彩佳が、トレッキングポールを使いながら苦笑交じりに呟いた。行きは足場の悪い富士宮ルートを登り、帰りは下山の為、比較的なだらかな須走ルートとなる。
最初に見えてくる次郎坊という休憩場所まで、約二時間コースを登りきらなければならない。息を弾ませ、降りて来る人たちとも挨拶を交わしながらひたすら足を進めていく。
そんななか、次郎坊までは元気だった彩佳が、七合目を過ぎた辺りで体調不良を訴え始めた。
「ごめん。また少し休ませて」
「顔色が悪いな」
そう言うと、和希は自分のリュックから酸素缶を取り出しまずは確認してから、彩佳に手渡した。
「高山病っぽいから、すぐに下山したほうがいい」
「いやいや。ここまで登ったんだから、頂上まで行ってやるわよ……」
「無理すんな。また挑戦すればいいんだから」
咳込みながら酸素缶と格闘している彩佳の必死さに、和希はこらえきれずに吹き出した。それを見て、彩佳は吐き気を伴いながらもふくれっ面を返す。
「ちょっとー、妻が具合悪いってのに何を笑っちゃってんのよ」
「ごめんごめん。いや、マジで下山したほうがいいって」
「ぬぅ。絶対に諦めないもんね」
こうなったら、意地でも登ってやる。と、言って酸素缶を片手にゆっくりとまた登り始める彩佳の腕を取り、和希もまた寄り添うようにして歩みを進めた。
それから、約二時間半かけて七合目の休憩所へと向かい、そこでしばらく休憩した後、再び頂上を目指した。
その間も、何度も何度も休憩をしながらようやく頂上にたどり着いたのは、午後一時過ぎで、景色を眺める余裕もなくなっていた彩菜は、和希が用意したレジャーシートの上に倒れ込むようにして横になった。
「うぅ、景色どころじゃない。ぎもぢ悪いよぉ~」
「とりあえず、今からお湯沸かして白湯を作るから」
「う、うん」
「胃薬が効いてくれるといいんだけどな」
目蓋を閉じると、少しだけ楽になった気がしたが、気持ち悪さは消えないまま。和希が持参した携帯コンロでお湯を沸かし始める。本来ならばカップ麺を作る為のコンロとやかんだったが、こうなるかもしれないことを計算して薬はもちろんのこと、水も多めに持参していた。
( こういうところ、ほんと頼りになるんだよなぁ。和希って )
それから、しばらくの後。二人は景色を眺めながら下山することにした。
帰りは、なだらかな『いろは坂』のような道をただひたすら下っていくのみ。その時、既に午後三時近かったこともあったが、高山病を和らげる方法は下山しかないということで、なるべく早く降りなければならないという焦りはあった。が、下山ルートはブルドーザーが通る道でもあり、硬い岩盤の上に柔らかな砂が敷き詰められていることから、滑らないように慎重に歩いて行く必要がある。
しかも、歩き始めて二時間ほどが過ぎた辺りで濃い霧が立ち込め、二人の周りを白く覆っていく。
「なんか、日が落ちてきたから怖いね。しかも、私たち以外に誰もいないし」
「大丈夫。これがあるから」
言いながら、和希がリュックからヘッドライトを取り出し、自らの頭に装着させた。
「そんなものまで持ってきてたの?」
「当たり前だろ。何があってもいいようにしておかなきゃ、富士山は登れないって」
「和希のそういうところ、私も見習いたいわ」
「おう、見習ってくれ」
「その自信アリアリなところはムカつくけど」
「んなこといいから、手」
「え?」
トレッキングポールを持っていないほうの手を取られ、力強く握られる。手袋をしているから、しっかりと指を絡められないけれど、そうして貰えたことで徐々に不安感は薄れていった。彩佳は、頼もしい和希の横顔を見つめながら思った。こんなふうにしっかりと手を繋ぎ合ったのは、いつぶりだろうかと。
付き合ってから五年。夫婦になってから二年の歳月が流れた。最近は、なんとなく空気のような存在になりつつあった二人だが、ここにきて改めて、互いの必要性に気づかされた気がしていた。
二人が無事五合目に戻って来れたのは、午後十一時半だった。和希はそうでもなかったが、彩佳の顔面は幽霊並の蒼白になっており、二人して最後の力を振り絞り駐車場に止めておいた愛車に乗り込んだ。
「……私たち、生きてるよね」
「何とか、な」
「いやぁ、参ったね。こんなに下山が大変だとは思わなかったし、道に迷った時はどうしようかと思ったよ」
彩佳がシートを倒しながらそういうと、和希も同様にして深い溜息を零した。
「ごめんな」
「……何で謝るのよ」
「無理して下山しない方がいいと思ってたんだよな。途中から」
簡素ではあるものの、下山ルートにも人が休める小屋がいくつか設置されている。和希は、霧に加えて強風にも煽られてしまっていたにも関わらず、『休む』という判断が出来なかったことを悔いていた。
「お前の命も預かってるってこと。改めて、思い知らされた気がした」
どちらからともなく手を伸ばし合い、お互いの手の平の温もりを分け合う。
「あのね、占い師さんとこ取材に行ったときに聞いたんだけどね。うちらって、前世でも付き合ってたらしいよ」
「そうだろうね」
てっきり、何言ってんだよ。と、いう言葉が返って来るものと思っていた彩佳であったが、あっさりと認められて拍子抜けしてしまう。そんな彩佳の、きょとんとした表情が可笑しくて、和希は咳込みながら笑った。
「それくらい、いつも彩佳のことを思ってるってこと」
「ちょ、言ってて恥ずかしくない?」
「ないよ。だって、いつ死んじゃうか分からないじゃん」
今回みたいなことになったら。と、真顔で言う和希の厳かな視線を受けて、彩佳は俯きながら頷いた。
「そうだね。確かに……」
「それに、こういう時でないと言う機会ないしな」
間近で目が合い、互いを求めるようにしてキスを交わす。そして、微笑みながら思いを告げた。
「これからもずっと、俺の隣にいて下さい」
「私の方こそ。これからもずっと、あなたの隣にいさせて下さい」
時が二人を分かつまで。今度こそ、末永く一緒にいられますように──。
【END】
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