最終戦:ガラス割りチキンレース

「ひ……菱科ひしな?」

 負けたのか? あいつが? 俺の人生のライバルが? そんなはずがない。だって菱科は。

 草刈くさかりは現実を受け入れられず、ガラスの壁に拳を叩きつけた。


 最終決戦の相手、菱科を下した人間もゆっくりとした足取りでガラスに近づき、向かい合う。

「――お前が、菱科をやったのか」

 その声はガラスに遮られて聞こえない。対戦相手の声も聞こえないため、お互いの名前もわからない状態だった。


 しかし、草刈はすぐに対戦相手の正体を知ることとなる。


「それでは、最終決戦をはじめます」

 大部屋のモニターから映像が流れだし、仮面の男がアナウンスをはじめた。

「…………あァ」

 瞬間、草刈の頭に閃きが走る。


 


 総攻め蠱毒におけるゲームのルール説明はすべて録画映像だ。参加者との会話のかみ合わなさがそれを裏付けている。

 しかし、この会の運営を円滑に行うためなら、録画よりもリアルタイムの方が臨機応変な対応ができる。それをやっていないのはなぜか。


 また、草刈は菱科の強さを信じている。

 菱科がそう簡単に負けるわけがないと確信している。

 その菱科が負けるとしたらどんな理由が考えられるだろうか。


 どうしてルール説明が録画なのか。どうして菱科は負けたのか。この二つを頭に置いた上で改めてモニターを見ると、やはり正面の対戦相手とモニターの男は同一人物にしか見えなかった。


「お前、かァ!」

 草刈は対戦相手を指さし、次にモニターを指さした。対戦相手は小さく笑って、羽織っていた上着の内ポケットから同じデザインの仮面を取り出す。

 確定だった。

 さらに草刈は思った。協力者はいるとしても、この男が基本的に全部を仕切っていたんだろうな、と。

 ゲーム内容を事前に知っていたから菱科に勝つこともできたのだ。ゲームを開催した目的は決まっている。


 


 予めゲーム内容を知っている勝負に勝ったところで、それが最強の証明になるのかは草刈の中では疑問だったが、仮面の男の中では十分だったのだろう。


 映像が続く。


「最終ゲームは、『ガラス割りチキンレース』。ルールは単純です。お二人の間で部屋を仕切っているが勝利。決着がついたら敗者側の部屋の床が抜け、下の階層へ落ち、体の動きを拘束されます。そこからはいつも通り。そしてゲーム終了後、出口へと繋がる扉が開きます」

 ガラスを割った方の勝ち。単純なルールだった。

 しかし先ほど草刈がガラスを殴りつけたときは、割れる様子はなく、びくともしなかった。

 そんなにも強いガラスなら、ガラスを割ってしまった方にも相当のダメージが入るだろう。


「ターンプレイヤーは、十秒間、何をしてもいいです。ブザーが鳴ったらターンを終了して相手の手番になる。これを繰り返します。それでは最終戦、『ガラス割りチキンレース』ゲームスタート」


 モニターの表示を見ると、草刈の側に『ターンプレイヤー』という表示がされていた。ここから十秒間、ガラスを叩いていいらしい。

 草刈は手始めに右回し蹴りを放った。ガラスは少しだけ揺れたような気もしたが、割れる気配はなかった。

 これは骨が折れそうだなァ、と草刈は思う。

 ガラスを割るには、何度も蹴りを食らわせてダメージを蓄積させるしかない。しかしダメージを蓄積させ過ぎたら相手のターンで割られてしまう。まさしくチキンレース。


 ビー! とブザーが鳴り、ターンが移る。


 仮面の男も蹴ってくるのだろう。そう思ってガラスから離れて彼の方を見ると、彼はガラスから離れた位置で微動だにしていなかった。

「はァ? なにやって――いや……いや、まさか!」

 瞬間、草刈の頭に最悪のシナリオが浮かぶ。

 彼はこの部屋を作った人間だ。

 この部屋の中すべてを意のままに操れる。扉のロックも、電気も――も。


 ガラスは、で、簡単に割れる。


 仮面の男は部屋の温度を調整して、温度差でガラスを割るつもりか!

「それは――まずい!」


 草刈の頭が高速で回る。どうする、どうする、どうする。


「……あ?」

 しかしその考察は、無駄に終わった。

 仮面の男が。受け身も取らずに頭から倒れた。

 草刈はガラスに近づいて様子を伺う。

「死んだ……?」

 仮面の男はピクリとも動かなくなっていた。


 ここでようやく、草刈は何が起きたかを把握した。


 だ。


 菱科が、仮面の男の体力をギリギリまで削っていた。彼はただ負けたわけではなく、ぎりぎりの戦いで敗北したのだ。


「……さすがだなァ、親友」

 相手はゲーム内容を知っているという圧倒的に不利な状況で、よくここまで。草刈は心の底から菱科を称賛した。

 しかし片方が気絶してもゲームは終わらない。

 ガラスが割れるまで、決着はつかない。草刈は少しだけ考えて、指切りじゃんけんで使った椅子の存在を思い出した。足で割れないなら、道具を使えばいい。

 しかしじゃんけんの部屋への扉はロックがかかっていて、道具のない『剣山手押し相撲』と『ありものしりとり』の部屋にしか入ることができなかった。


 草刈はため息を付いて、サブプランを進行させる。

 彼は気絶したままの中山なかやまを担いだ。筋骨隆々の中山の質量をハンマーのように振りかざすことで遠心力が加われば、より簡単にガラスを割ることができるだろう。

 草刈のその読みは当たり、三ターン目でガラスを粉砕することができた。


 勝者、草刈修。


**


 ガコン、という音とともに仮面の男の倒れていた床が開き、彼は地下へと落ちていった。


 草刈はそれを追いかけず、部屋の奥へと向かう。

 菱科しんゆうのいる部屋へと向かう。


**


「よォ、菱科」

「やぁ、草刈。優勝したんだね」

 菱科は全身から血を流して両足を折られていたが、会話をすることはできた。

「あぁ。お前の――」


 草刈は言葉を飲み込んだ。

 『お前のおかげだぜ』なんて言葉を飲み込んだ。

 順番の問題だった。先に草刈が仮面の男と当たっていれば、草刈が負けて菱科が優勝していた。

 しかし、そう伝えることに意味はない。


 草刈は。「帰ろうぜ」

 菱科はその手を見つめて――首を振った。


「僕たちはここまでだよ」

 たっぷりの間が開く。

「…………そう、かもな」

 菱科の覚悟とプライドを受け取った草刈は、踵を返す。


 コンセントのプラグと差口のように、わかりやすく愛し合えるようになってしまった二人は、一度だけ目を合わせて、二度と目を合わすことはなかった。


 二人はもう会うことはないだろう。

 それを感じた彼らの脳内には、二人で刻んできた思い出が駆け巡った。


 泣いてはいけない。


 ――俺に、泣く権利はない。

 ――僕に、泣く権利はない。



 こうして総攻め蠱毒は幕を閉じた。

 扉が閉まり、後には負傷者と、死体と、小さなプライドだけが残された。



■ガラス割りチキンレース

 勝者:草刈修

 


■総攻め蠱毒

 勝者:草刈修

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

総攻め蟲毒 姫路 りしゅう @uselesstimegs

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ