三回戦:ありものしりとり
『ありものしりとり』
モニターに文字が表示され、扉が開く。
船橋は、目が覚めた時に最初に声をかけてきた関西弁の男だった。黒くて長い髪に無精ひげ。それでいて汚さを感じさせない整った顔立ち。得体の知れなさという点で、筋骨隆々の中山や色白美少年の神木とは一線を画していた。
船橋に勝てば、ガラスの手前側の部屋の中で最強の攻めとして君臨できる。
こちら側でてっぺんをとれば、ガラスの奥の部屋できっと勝ち上がってくるであろう菱科と最後の勝負ができる。今度こそ決着がつくだろう。
人生のライバルと雌雄を決することができるその瞬間を思い浮かべ、草刈は笑った。
「なんや、なんかおもろいことでもあったんか?」
「いいや、別になんもねェよ」
扉の先は、真っ白な部屋にモニターだけの簡素な部屋だった。
『剣山手押し相撲』の時は床中に針の飛び出る仕掛けがあったし、『指切りじゃんけん』の時は机と椅子があった。しかしこの部屋にはモニターしかない。
どういうゲームがはじまるのか、草刈は頭を回し始める。
「ルールを説明します」
いつも通り、録画された仮面の男のアナウンスが流れ出す。
「お二人には今からしりとりを行っていただきます。プレイヤー一人がある言葉を言い、もう片方がその言葉の末尾の文字からはじまる言葉を言う。それを繋げていく一般的なしりとりです。どちらかが制限時間の二十秒以内に言葉を言えなければ敗北。留意事項ですが、①「ん」で終わる言葉を発したら即座に負け ②長音で終わる言葉はそれを無視。濁音半濁音はそのまま。拗音・促音で終わる言葉はその文字を大きくしてターンを渡す ③使っていいのは一般名詞のみ。動詞や形容詞、固有名詞は禁止。 この3つをお守りください」
①、③は当然として、②について明言してくれるのはありがたかった。
例えば「コーヒー」という単語を言った場合、長音は無視するので次のプレイヤーは「ひ」からはじまる言葉を言う。濁音半濁音はそのままなので「フラッペ」という単語のあとは「ぺ」からはじまる言葉を。また、拗音・促音は大きくするため、「紅茶」という単語を言った場合、次のプレイヤーは「や」からはじまる言葉を言う。
「敗北したらどうなるんや」
「次に、このゲームの独自の部分、『ありもの』についてですが」
「おい」
「録画映像だろこれ」
「ほうやったな……」
船橋は頭を掻いた。
少しだけ二人の間の空気が弛緩する。しかし、その空気はすぐに張り詰めることとなった。
「この部屋の中にあり、視認できるものしか宣言することはできません」
「……なんやて?」
「この部屋ン中?」
草刈は改めて部屋の中を見渡した。しかし部屋にはモニターがあるばかりで、他には何もない。床、天井、壁くらいは言えるかもしれないが、例えば酸素や窒素は視認できないため言うことができない。
二人の動揺をよそにルールの説明が続く。
「ゲームの決着がついたら、この部屋に睡眠ガスが散布されます。お二人が意識を失った後、勝者のみを別室に運び、解毒を行います。勝者は敗者の体に敗北の証を刻み、ゲームは終了です。先攻はランダムにこちらで決めます」
そのままモニターの映像が消え、次に船橋の方に向いた矢印が投影された。
船橋が先攻のようだった。草刈はため息をつく。
**
この部屋の中にはモニターしか存在していない。
そんな状況でしりとりが成り立つのだろうか。
答えは、成り立つ。
船橋は先攻に選ばれた瞬間、勝った、と思った。
しりとりのセオリーとは、相手の言葉を誘導し、選択肢を削っていくことである。
”る”で終わる単語でひたすら攻める「る攻め」などはかなり一般的な戦略だ。
ありものしりとりは部屋の中にあるものを言うしかないため、宣言できる言葉が限られており、先読みや誘導がかなり容易い。
言葉を自由に設定していい先攻1ターン目に限り、ゲームエンドまでのシナリオを描くことができるのだ。
船橋はゆっくりと手をあげて言った。
「
――ピンポン、と正解の音が鳴った。
この部屋の中には、二人の人間がいる。
船橋の宣言した単語は問題なく通る。
彼の描いたシナリオはこうだ。
とからはじまる単語はいくつかあるが、この部屋の中で一番強く、わかりやすい単語はひとつだけだった。
一般的なしりとりでも「る攻め」が有効なように、ラ行ではじまる単語はそもそも少ない。つまりこの場において扉は、かなり強い単語だった。
十中八九草刈は「扉」で返してくるだろう、という確信。
そして船橋には「ら」からはじまる必殺の単語があった。
それは――
このしりとりでは一文字単語が禁止されていないため、船橋が服を脱ぐことで、「
「ら」で返す。
それだけで草刈は瀕死だ。さらにダメ押しの仕掛けがある。
船橋の胸部にはおどろおどろしい火傷の跡が、腹部には大きくて気味の悪い蝶の刺青が入っており、陰茎には真珠が埋め込まれている。
彼の生身は、酷く痛々しいデザインをしていた。
その体を見た瞬間、どんな人間でも少しの間思考が飛ぶだろう。
このゲームにおいてはその数秒が命取りである。思考の制限時間は二十秒。
その中の数秒を奪う。
即興で思いついたにしては十分なシナリオだった。
そのシナリオで草刈を刺す。
しかし彼は、すぐに自分が草刈を侮っていたことに気が付く。
**
「
船橋が言った。
草刈は瞬時に頭を回し、単語を探る。「と」からはじまるこの空間にあるもの。
――瞬間、草刈は船橋と距離を詰めた。
「……なんや?」
その予想外の行動に船橋の反応が遅れる。草刈は呆けた船橋の腹部目掛けて――
――思いっきり拳を叩きつけた。
「かはっ――てめ……なにしやが」
言い終わらないうちに二発目の拳がクリーンヒットし、口から液体がこぼれた。
口元を拭きながら船橋は距離を離し、呼吸を整える。
「たしかに……はぁ、確かに暴力行為は禁止されとらん。でも、その暴力に何の意味があんねん。なあ……もう二十秒終わってまうぞ!」
船橋の絶叫を意に介さず、草刈は余裕の表情のまま地面を指差した。
「
ピンポン、と正解の音が鳴る。
「……は?」
「なに呆けた顔してんだよ、おっさん。吐瀉物だっつってんだろ」
船橋はその言葉の真意を理解するのに数秒を要した。
吐瀉物。
としゃぶつ。
――とから始まる単語。
草刈はこのありものしりとりの中で、部屋になかったものを創り出した。
「なっ……んやねんそれ! つ……つ……」
二十秒という回答時間は短い。
そのうちの半分を奪われた船橋は目を白黒させながら必死に「つ」からはじまる言葉を探した。
「あっ!」
焦る船橋を救ったのはくしくも自身の吐瀉物だった。
「
――ピンポン。
吐瀉物の中には当然唾液も含まれる。船橋は答えを見つけたことに安堵した。
しかし、その安堵が隙を生む。
再び一瞬で距離を詰めた草刈は右脚で蹴りを叩きこむ。
船橋はその蹴りの直撃をギリギリ腕で防いだものの、強い振動が残った。
「だから」
「
――ピンポン。
「……はっ?」
唾→バイオレンス。
ゲームのルール上、目に見えないものを宣言するのは禁止だが、現在進行形で行われている暴力を見えないとするわけにもいかないだろう。
「す……す……
「馬鹿が。膵臓は見えねェだろ。それとも、引きずり出してやろうか?」
草刈はつま先を船橋のわき腹に突き立てた。膵臓の位置。
「がばぁ!」
口から吐かれた血が飛び散る。
草刈は既に圧倒的な優位に立っていた。
受け身になってしまった船橋は、攻撃をかわしながら痛みに耐え、単語を考えなければならない。
「す……
――ピンポン。
ひとつ答えが見つかるたびに、船橋は安堵してしまう。そしてその隙に暴力を食らう。
安堵とは、受け身の発想である。
真の攻め手は、安堵することなく攻め続ける。
答えが見つかって安堵している時点で、お前は負けてるんだよ、と草刈は思った。
顔面を殴ると船橋の前歯が飛んだ。
草刈はその歯をキャッチして、船橋の耳たぶに突き刺す。
「かはははは、
しかし正解の音はならなかった。船橋の歯は耳飾り用に作られていないと判断されたのだろう。
「しゃーねえな、耳たぶ」
「ぐっ……」
ぶからはじまる言葉。
それをこの部屋で見つけるのは至極困難だった。
「…………」
船橋はみっともなく背中を向けて草刈から逃げ出す。
草刈の方が足が速いため、追いつくのは容易かったが、草刈はわざとゆっくりと歩いて高笑いをした。
「かははははは、いいじゃねえか、ぶ。今のお前にぴったりだよ。『無様』で『ブサイク』なおっさん!」
もともとは美形だったはずの彼の顔は無様に歪んでいた。
しかし、それを言うのは彼にとって屈辱だった。
必死に探す。
自分を下げない言葉を探す。
しかしそんな言葉は見つからず――タイムアップのブザーが鳴った。
決着。
「あーあ。ちっこいプライド守っちまってさ。どうせ負けたら俺に犯されて、最悪な人生がはじまるのによ」
草刈は笑いながらそう言って、いや、と天を仰いだ。
「勝負の世界から降りれたんだ。負け犬にとっては朗報なのか?」
部屋に睡眠ガスが充満する。
草刈と船橋は仲良く気を失い――ゲームの手順通り、草刈だけが目を覚ました。
**
「寝てるヤツ犯しても面白くねェんだけどなぁ……」
草刈は乱暴に船橋の服を引きちぎった。
「うおっ!」
彼の体には火傷の跡と蝶の入れ墨、真珠が埋め込まれていた。
草刈は三十秒ほどフリーズする。
「……あぶねェ、びっくりしすぎて意識飛んだわ」
草刈は大笑いしながら、彼の陰茎の真珠を千切り、尻の穴に押し込んだ。
「これでやっと菱科と戦えるぜ……」
船橋の中に精を注ぎ込んだ草刈は、ゆっくりと部屋から出た。
人生のライバルとの決着をつけるために。
**
しかし、奥の部屋から出てきたのは、最終決戦の相手は――菱科ではなかった。
■ありものしりとり
勝者:草刈修
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