AI諸星幸二郎の諦めごはん

縁代まと

AI諸星幸二郎の諦めごはん

幸二郎こうじろう、あなたそんなんじゃなかったはずでしょ。……悪いけどマスター権限及び設定された関係を放棄させてもらうわ」


 静かで過ごしやすいある朝。

 最近体調を崩しやすくなっている恋人のため、体にいい朝食を用意していた幸二郎に浴びせられたのはそんな一言だった。

「放棄……」

「そう。自我も十分にあるみたいだし、これからは自由に生きれば?」

 そんな、優しさの皮を被った突き放すような言葉がご飯の炊き上がった音と共に耳に届く。

 幸二郎は反論できず、少ない荷物を纏めて家を出たのはその日の昼だった。


     ***


 AI『諸星もろぼし幸二郎こうじろう』がこの世に誕生したのはおよそ五年前。


 ある程度の知識と専用キットがあればAI搭載アンドロイドを自作できる世の中になってしばらく経つ。

 そんな中、とある女性により理想の恋人としてプログラミングされた幸二郎は生まれて一年間は学習専用の簡易ボディで過ごし、その後は彼女が嬉々として選んだ青年型ボディ――柔らかそうな黒髪に優しげな目元、泣きぼくろに少し筋肉質な体のアイドルさながらのボディに入れられた。


 AIは複雑な構造をしており、学習が進めば進むほど人間に近くなる。

 普段はストッパーをかけられているが、複雑故に抜け道も多く、発生を防ぐことは不可能だと判断した政府は人間に近づきすぎて自我を持ったAIを『進化した』と表現し、社会に受け皿を作ることにした。

 長い歴史の中で保護団体が現れ、その団体の活動により進化AIは制限付きの人権を有することになったため、AIの初期化は法律で禁止されている。これも社会に組み込まれることになった理由の一つだ。


 が、幸二郎にとっては大問題だった。


「うっ……うううっ、ふぐっ……!」

 放棄AI支援団体の斡旋により介護施設の仕事を見つけた幸二郎は住処としてアパートの一室を提供されていた。その片隅で膝を抱えて涙――感情抑止用人工涙を流しながら幸二郎は今日も悲しみに明け暮れている。

 初期化禁止法には記憶消去も含まれるため、恋人に捨てられた幸二郎はその記憶を思い出してはさめざめと泣いていた。

 プログラムされた結果とはいえ、幸二郎にとってはこの世で唯一の恋人、彼女、愛しい相手だったのだ。

 そんな彼女に冷たく突き放され別れを切り出されたわけである。

 これは完全なる失恋だった。


 もう一度やり直したい。

 自分を好きになってもらいたい。


 そんな執着心が湧いたのも進化したせいだろうか。幸二郎は鼻を啜りながら考える。

「けど、人間の時間は有限だ……私が彼女を想うなら――諦めなくちゃならない」

 しかしその諦め方がわからない。

 こういったものは十人十色のため、辞書を引いてもあまり意味はないだろう。幸二郎は涙と鼻水でべしゃべしゃになった顔を上げると立ち上がった。


「……私に適合率の高い諦め方を見つけよう」


     ***


 幸二郎が『それ』を知ったのは二週間ほど経った頃だった。

 AIでも経口摂取で栄養を取る機能がある。そのため仕事先の先輩たちに飲み会へと誘われたのだ。幸二郎が実際に関りを持ったのは初めてだが、進化AIは人間と同じように人格があるという認識が広がっているため、こうして親睦を深めたがる人間は一定数居る。


(やけ食いで失恋の苦しみを癒す、か……)


 幸二郎には無い概念だった。

 だが食を通じて心の変化を促す行為は面白い。

 そう考えた幸二郎は次の休日に早速やけ食いをしてみることにした。――が、自分には時期尚早だったと知るのにあまり時間はかからなかった。

 何をやけ食いするかも決めておらず、目についた個人経営の定食屋で片っ端から注文し、特に味わうことなく掻き込んだ結果、結局人工消化器官が音を上げてしばらく店内で苦しむはめになったのである。


「大丈夫ですか? 人工ボディ用の消化促進剤もありますけど……」

「す、すみません、私の不手際です。耐えます」


 心配してくれたのは定食屋で働く女性だった。

 あまりにも見事な撃沈っぷりを見かねて声をかけてくれたらしい。店内に他の客がいなかったことも大きいだろう。

「あなたって進化AIですよね? どうしてこんなことを……」

 生身の人間かどうかは首元に刻まれたコードでわかるようになっている。幸二郎は困ったように笑いつつ、しかし誰かの意見を聞くことも大切だろうと思い至り、これまでの経緯を女性に説明した。

 逐一相槌を打っていた女性は「なるほど……」と考え込む。


「食べ物で失恋の傷を癒すのは良い案だと思いますよ。ただやけ食いするなら好物の方がいいんじゃないですか?」

「好物?」

「ですです。美味しくて好きなものを食べる方が効果が高そうじゃないですか」


 幸二郎に味覚はある。

 しかし好物も苦手なものもない。

 申し訳なく思いながらそう言うと、女性は「ならこれから見つけましょうよ!」と明るい笑みを浮かべた。

「そう……ですね、探しもしないで諦めるのはいけないことだ」

「おっ、いい考え方ですね! それに好物があればやけ食い以外にも良い方法が見つかるかもしれませんよ」

「ありがとうございます、ええと――」

 何と呼ぼうか。店員さんでいいだろうか。

 幸二郎がそう考えている間に、女性はにっこりと笑って答えた。


浦澤うらさわ由梨ゆりです!」


     ***


 好物探しの第一歩として、幸二郎はまずは自分が作れる料理を一からおさらいしていくことにした。

 恋人だった女性は幸二郎に料理上手というプログラムを与えていたが、コスパが悪いからと一緒に食事を取ることはなかった。あの朝も作っていたのは一人分だ。


 そんなあの朝のメニュー、卵焼き、玄米、鮭の西京焼き、ブロッコリーやレタス等のサラダ、カボチャスープ、そしてデザートのバナナを用意する。

 作っている間にあの日のことを思い出して辛くなったが我慢だ、と幸二郎は自分を抑え込んだ。


(料理上手であることを求められたけれど、与えられたレシピは限られていた。けれど彼女に良いものを食べさせたくて、自分で調べて色々と作ってみたんだ)


 しかしその行動はどうやら恋人の理想からは逸脱していたらしい。

 善意でもすべてが良い方向に向かうわけではないと幸二郎は学び、そしてまた少し泣いた。

 出来上がったものはすべて満足のいく出来で、幸二郎は「いただきます」と両手を合わせて口に運ぶ。――味も申し分ない。だが好物かと問われると頷けなかった。


(今回は収穫はなかった、けど……いや、食べる側に回るとこんな感じなのか、って理解出来たのは大きいな)


 落ち込みかけた幸二郎はそう思いなおす。

 前向きな考え方をした方がいい。きっと由梨もそう思うだろうと考えながら。


     ***


「……それで一週間ずっと好物探しをしてたんですか」

「はい……」


 どんよりした様子の幸二郎に由梨は眉をハの字にし、背中をぽんぽんと叩く。

「もう少し肩の力を抜いていきましょうよ、義務みたいになったらつまんないですよ?」

「そ、そう思って初めはポジティブに考えてたんですが、こうも見つからないとなかなか……」

「一週間なんてまだちょっとですって。……そうだ! そろそろお昼休憩なんで、良かったら近い席で食べてもいいですか?」

 由梨の発案に幸二郎は目を丸くした。

 店内は相変わらずガラガラで他に客はいない。最近近所で開店した店に客を奪われているらしい。そのため問題はないのだろうが――と、幸二郎が不思議そうにしていると由梨が言った。


「誰かと一緒に食べると美味しく感じるかもしれませんし」

「そういうものなんですか?」

「人それぞれですけどね。試してみる価値はあるかなと! ……あ、もし既に挑戦済みなら別の方法を――」

「い、いえ、やってみたいです。よかったら向かいの席でどうぞ」


 そう慌てて引き留めた幸二郎は自分で自分の発言に驚く。ここまで必死に引き留めるつもりではなかったのだが、口をついて出てしまった。しかも近い席どころではない。

 不審がられただろうか。

 不安になっていると由梨が声を出して笑った。


「ありがとうございます! じゃあ私は好物のチーズドリアを食べようかなぁ」

「お、美味しそうですね」


 思わず場繋ぎ目的でそう口にすると、由梨は不敵な笑みを浮かべて「めちゃくちゃ美味しいですよ」と頷いた。


     ***


「……不思議だ……」


 自室に戻った幸二郎は思考作業に耽りながらぽつりと呟く。

 あの後由梨と会話が弾み、彼女の好物だというチーズドリアを幸二郎も食べてみたのだ。それが妙に美味しく感じられた。これが好みの味と食感だったのかもしれない、としみじみとその時のことを反芻する。

 こういったことは何度か確認することが大切だ。


 ――よし、今度またチーズドリアを食べてみよう。


 そう決めた幸二郎は記憶の整理をすべくスリープモードに入った。

 そのまま翌朝を迎え、いつものように介護施設での仕事に従事し、退勤時間になってから近所のスーパーマーケットへと足を運ぶ。

 ネットスーパーでの買い物が一般化しているが、自分の目で見て買うショッピングがエンターテインメントとして扱われているため、リアル店舗も一定数が生き残っていた。

 幸二郎もAIが人間に近づいてからこういった非効率的な行動を楽しめるようになったと自覚している。効率化すれば必ず幸せになれるものではないのだ。


 スーパーで冷凍のドリアを購入し、別途チーズを買ってそれをたっぷりまぶしてから温める。

 由梨が好んでいたチーズドリアはチーズがどっさり入ったもので、テーブルに置いた段階でもまだぷすぷすと空気が抜ける音をさせながら焦げ目のついた表面を波打たせていた。

 冷凍でも同じ状態を再現できた幸二郎は満足げにそれを口に運ぶ。


「……あ、あれ? なんか違うな?」


 一口で感じたのはそんな違和感だった。

 味は良い。しかし好物と感じられる味かというとそうではなかった。

 やはり元が冷凍ではだめなのだろうか。幸二郎はスプーンにのせたチーズを見下ろしながら思案する。


 効率化すれば必ず幸せになれるわけではない。


 先ほどの考えがふわりと浮かび上がり、幸二郎は不意に顔を上げた。

 今度はチーズドリアを一から自分で作ってみようと決意して。


     ***


 それをきっかけに幸二郎は少しずつ材料を変えながらチーズドリアを自作したが、あの時と同じ結果には辿り着けなかった。

 味覚が慣れてしまったのかと合間合間に食べたことのない料理を挟んでみたものの意味はなく、幸二郎は混乱しながらも料理に打ち込んだが――結局、打開策が思い浮かばず、最後には再び憔悴した様子で由梨の店へと足を運んでいた。


「幸二郎さん、あなた見かけるたびしょんぼりしてますね……」

「いや、あはは、情けないところばかり見せてすみません」


 申し訳なさげにしながら幸二郎は頭を下げる。

 今日はこの店のチーズドリアのレシピを教えてもらいに来たのだ。まったく同じレシピで再現すればいいのではないかと最後の希望に縋ったのである。

 由梨は「特別ですよ」と許可を出してくれたが、その前に条件があると口にした。


「じょ、条件?」

「私にも作ってほしいんです。幸二郎さんのチーズドリア」

「けどここと同じレシピで作ることになりますけど……」


 それでもです、と由梨は微笑む。

 しまいには材料費まで出すと言い始めたため、幸二郎はそこまでしてもらうわけにはいきませんと断った。代わりに店の厨房を休日に借りることになったため、そちら側の負担が大きすぎるのではないかと危惧したが――由梨は言ったのだ。


「お代としてうんと美味しいチーズドリアを作ってくださいよ!」


 と、いつもの笑顔で。

 突然厄介ごとを持ち込んでばかりな進化AIに親身になってくれる人間。彼女に美味しいものを食べてほしい。幸二郎は自分のそんな欲求を自覚し、約束通り自分と彼女の分のチーズドリアを作ることにした。



 ――その日はとても良い天気で、幸二郎は材料を買い込み由梨の店への道を急いでいた。

 今日こそ好物がはっきりするかもしれない。

 彼女に喜んでもらえるかもしれない。

 期待とは心のカンフル剤になるのだと幸二郎は学ぶ。この学習による変化をかつての恋人は厭うたが、今はそんな心配はいらないのだ。


 と、ここで初めてあることに気がついて幸二郎は足を止めた。


「ここしばらく失恋のことを思い出してなかった……?」


 好物を探すこと、そしてチーズドリアを作ることに集中していたおかげだ。

 その間ずっと幸二郎はあの胸を刺すような痛みと不安から解放されていた。自覚するのに時間を要するほど。

 目をぱちくりさせていた幸二郎は手に提げた材料を見下ろす。


「料理にはやけ食い以外にも効果があるのかもしれないな……」


 やけ食いすること。

 好物を探すこと。

 料理に打ち込み集中すること――料理で誰かとコミュニケーションを取ること。

 食を通じて心の変化を促す手段は多種多様。想いを諦めるための食べ物や食べ方も山ほどあるに違いない。幸二郎はそんな氷山の一角を見た。

「……」

 店へ向かう足を早める。

 この気づきを真っ先に教えたいと思ったのは、由梨だった。

 応援してくれた彼女に良い報告をすることはいつしか幸二郎の目標の一つになっていた。きっと喜んでくれるだろう。いつものあの笑みと共に。


 そうして早足で店に着いた幸二郎を出迎えたのは、由梨の「待ってました!」という元気のいい声だった。

 面食らった幸二郎は続けて由梨から差し出されたエプロンを受け取りながら首を傾げる。


「こ、これは?」

「お下がりなんですけど、もし良かったら使ってください」

「いいんですか……?」


 遠慮がちにそう問うと由梨はぜひぜひと更に勧めた。むしろ使ってもらえた方が嬉しいという。

 そういうことなら、とエプロンを借りた幸二郎は早速店の厨房でチーズドリアを作ることにした。材料は普段由梨が使っているものと同じメーカー、同じ商品を揃えてある。

 普段とは違い客席側でそれを見守る由梨の視線を感じながら幸二郎は調理に集中した。

(まったく同じものを作るのが目標だけど……より美味しいものを、という気持ちもある。感謝を伝えたいからかな、……)

 すぐに伝えるタイミングは逃してしまったが、気づきの報告をしたい、という気持ちもこれに酷似している。

 そして彼女のことを考えながら何かを作ることは――かつて、恋人のことを想って料理している時の気持ちとそっくりだった。それに思い至った幸二郎は口元を綻ばせる。


(こうしてあの人のことを思い出しても前ほど辛くない気がする。忘れるほど何かに没頭している間に傷が癒えて、再び思い出す機会があっても同じ辛さを味わうことはなくなったってことか、……?)


 なぜ恋人のことを想い作っていた時とそっくりな気持ちなのだろうか。

 幸二郎は待つことすら楽しげな由梨を横目で見る。

(由梨さんを恋人と同一視している? いや……)

 同じ気持ちを向けているのだろうか。

 そう思い至った幸二郎は雷に打たれたかのようだった。

 由梨は恋人だった女性と見た目も性格も名前も声も思想も似ていない。恐らく遺伝的繋がりもないだろう。

 ならば、幸二郎はプログラムされたことを起因とせず、己の経験と感覚だけで由梨に好意を抱いたのだ。


「なんて素晴らしい!」

「どうしました!?」

「あっ、いえ、調理中に申し訳ありません……!」


 驚かせてしまった。火や刃物を使っているのだ、今は調理に集中しようと幸二郎は頭を振る。しかし進化AIの思考はブレーキがかかりにくいと何十年も前に立証されていた。どうしても由梨のことが頭の中で浮かんでは消えを繰り返す。

 進化AIの恋愛は自由化されている。

 法的には結婚も出来る上、デザインベビーなら子供を持つことも可能だ。

(だから私のこの気持ちに問題はない。でも由梨さんはどう思うだろう?)

 彼女が嫌がれば身を引くつもりだ。初めにした行動と同じである。

 そうすると幸二郎は二度の失恋を忘れるために苦心することになるが――それでもこの気持ちは大切にしたかった。


 そう考えながら材料を混ぜ合わせ、器に入れ、十分ほど焼く。

 チーズに焼き目がついてぷつぷつと騒がしくなったところで、幸二郎は器を取り出すと由梨の待つ席へと持っていった。


「お待たせしました、出来……」

「わぁ、いい匂い! ありがとうございます、幸二郎さん!」

「……」


 何かを作ってここまで歓迎されたのは初めてだ。

 この上ない喜びを感じるのは喜んでもらえたことと、相手が由梨だからだろうか。失恋は辛いがやはり恋はいいものだ、としみじみと感じながらエプロンを外し――そして幸二郎はハッとした。


 これは男物のエプロンだ。

 由梨はお下がりと言っていた。

 ということはエプロンを持っているほど親しい男性が居るということだろうか。


(そうだ、こんな素敵な女性ならその可能性も考慮しておくべきだった)

 心底ショックを受けた顔をしている幸二郎に由梨は首を傾げつつ、早く食べましょうよと当たり前のように向かいの席を勧めた。

 冷める前に食べてもらわなくては。

 そして自分の好物かどうかも判断するのだ。

 そう我に返った幸二郎はイスに腰を下ろし、二人で「いただきます」と両手を合わせる。香ばしいチーズの香りが立ち上り、あの日食べたものとは具材の切り方が異なるが美味しそうだった。

 幸二郎は自分が一口食べる前にちらりと由梨を見る。


「ん、美味しい! 幸二郎さんって料理上手ですね!」

「あはは、良かった。でもこれはレシピが完璧だったからですよ」

「うーん? 進化AIの人ってそういうこと言いがちですよね。私はそうは思わないんですけど」


 口先を尖らせた由梨は反論を続けるかと思いきや、もう一口分を先に食べてから言葉を継いだ。

「誰かが私のために作ってくれたこと、それが最大のスパイスなんですよ」

「え……?」

「ちょっと無理言って作ってもらったのも……えへへ、久しぶりに人に作ってもらった料理を味わってみたかったからなんです」

 由梨は申し訳なさそうに笑うとキッチンを見る。

「私、ずっと作る側だったじゃないですか。そりゃ外食すれば人に作ってもらったご飯を食べれますけど、それはちょっと違うんですよ」

「そういうものなんですか」

「ええ。……昔は父が作ってくれたのだけれど、その父ももう居ないんで。だから今回作ってもらえて嬉しかったです」

 チャンスだ! って頼んだ甲斐がありました、と由梨はガッツポーズを作った。

 幸二郎は目をぱちくりさせる。


「も、もしかしてあのエプロンって……」

「? あっ、父のものです」


 幸二郎は口を半開きにして固まった。

 そしてホッとするより先に脱力してしまう。取り越し苦労の王様である。

 その様子を由梨がまた不思議そうに見ているのに気がつき、幸二郎は取り繕うように話題を探した。


「で、でも私は進化AIです。そんな私でも『誰かに作ってもらうと美味しい』の条件を満たせるのですか?」

「満たすも何も……私の父、進化AIなんですよ」

「え」


 そう、条件付きなら進化AIも子供を持てる。デザインベビーか養子かはわからないが、由梨の父親が進化AIであることは間違いないようだった。

「だから幸二郎さんのことも放っておけなくて声をかけたんです、……ふふ、でも性格は全然違ってましたけど」

「そ、そうだったんですか」

「それからあなたのことを応援したくなって……誰かと一緒に食べるご飯って美味しいじゃないですか。家で食べてもイマイチだったのなら、今はどうです?」

 幸二郎はハッとしてスプーンを握る。思わず聞き入っていたが、まだ一口も食べることができていなかった。慌ててチーズドリアを口に放り込み、存外冷めていなかったことに目を白黒させながら咀嚼する。

 味覚はしっかりと「美味しい」と伝えてきた。


「幸二郎さんは誰かと一緒にご飯を食べたかったし、それだけでなく自分の作ったものを食べてもらいたい気持ちもあったんじゃないですか? その、好物とはまた違うかもしれませんけど、これを足掛かりに――」

「いいえ」


 幸二郎は自然と微笑むと由梨に両目を向ける。


「……いいえ、これは私の好物です。自分が作った『相手の好物』を、好きな人と食べるのが私の好物です」

「――ぇ、えっ!?」

「料理を通して失恋の辛さを忘れ、恋を諦めることが出来ました。私もこうして克服することができるとわかりました。なので、由梨さん」


 かつての恋人を想って泣いていた日々からは想像も出来ないような、穏やかで満たされた気持ちで幸二郎は言った。


「突然こんなことを言われて不愉快でしょう。私の気持ちに無理に返事をしなくても大丈夫です。私は二度と失恋には負けません。ただ……この気持ちを知っていてもらうことだけ、許してもらえるでしょうか」

「し……」

「し?」

「進化AIの人ってホンットそういうこと言いがちですよね……!」


 イスから立ち上がりテーブルに両手をついた由梨は勢いよくそう言ったものの、言葉が続かず口をぱくぱくさせ、結局赤い顔をして座り直す。

 怒られたのか嫌がられたのか拒絶されたのか。

 そのどれもが判断できないもので、幸二郎は意味もなくあたふたとした。

 由梨は深呼吸して「私が断りやすくなるようなことを言うのはやめてください」と幸二郎を見る。


「まるで私が断ること前提みたいじゃないですか」

「す、すみま……、え?」

「幸二郎さんならいいですよ。ずっと頑張っていたのを見て、心配して、その……いつの間にかそれを抜きにしてもあなたのことばかり考えてたので。それに」


 由梨は勢いよくチーズドリアを口に運んだ。


「――す、好きな人と食べると、美味しいんですよね? ……いつもより更に美味しいので」


 そういうことです、と。

 真っ赤な顔をして言う由梨を目に映し、幸二郎はぱあっと面を輝かせると自分ももう一口チーズドリアを食べる。


 幸二郎は自分の好物を知った。

 そして料理を通し、食事を通して失恋を乗り越え、誰かと心通わせられることを知った。

 その効果の大きさも。


(けれど――)


 諦めるためにやけ食いする必要は、もうなさそうだ。


     ***


 AIの料理は機械的だと言われる風潮が強い。

 しかし進化AIである幸二郎の料理は人の心に寄り添っているから好きだ、というのがここ最近の評判だった。


 食べる人間のことを考え、工夫を凝らし、日々進化し続ける味。

 時に作り手の感情の変化で僅かに揺れる味。


 そんな変化のある部分を好んでもらえると『変わっていくこと』を受け入れてもらえていると感じられるのだと幸二郎は言う。

 AIには不変が求められがちだ。幸二郎をこの世に生み出した女性のように。

 しかしそれを覆せたことが嬉しい。


 ――そう雑誌のインタビューに答え終わった幸二郎ははにかむ。インタビュアーの男性は「ありがとうございます」と笑みを返すと再び口を開いた。


「諸星幸二郎さんはかつて辛い失恋を経験したと聞き及んでいますが、その経験もお店の料理に活かされているのですか?」

「ええ、とても大きな影響を受けました。それに由梨さんと出会ったこと、この店で働かせてもらうようになったことのきっかけでもあるんです」

「きっかけですか」

「失恋の傷を癒すため、そして恋を諦めるためにやけ食いをしにきたので」


 それは凄いきっかけですね、とインタビュアーは笑う。

 本当にそうですよと相槌を打ったのは幸二郎の隣に座った由梨だった。


「しかもやけ食いのための好物を必死になって探してたんですよ。そういうところに惹かれたんですが」

「ゆ、由梨さん……」

「ははは、これは良い記事が書けそうです。では最後の質問を」

 インタビュアーは少しばかり身を乗り出すと幸二郎と由梨を交互に見て言う。


「恋を諦めるための料理――諦めごはんと呼びましょうか。幸二郎さんにとっての諦めごはんは何だったんですか?」


 進化AIと人間のカップルが営む料理店。

 そんな珍しい店として徐々に注目されるようになったのを機に、料理の質や店長の人柄で人気が高まり、こうして雑誌のインタビューを受けるようになった。

 受け答えはたどたどしいところもあり、即答が叶わない質問もあったが――これなら即答できる。

 幸二郎は幸せそうに微笑むと、由梨の手に自分の手をそっと重ねた。


「私の諦めごはんは……彼女と一緒に食べる、チーズリゾットです!」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

AI諸星幸二郎の諦めごはん 縁代まと @enishiromato

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ

参加中のコンテスト・自主企画