雨に融けた詩(うた)

水無月 秋穂

雨に融けた詩

〜雨に融けた詩〜



 ぽたり、ぽたり、雨水が滴り落ちる。


「兄さん…ありがとうね」


 柔らかく微笑む少年に、少年と同い年ほどのもう一人の少年は、静かに首を振った。


 ぽたり、ぽたり……。

 刃先から滴るのは、雨に紛れた紅い雫。

 雨音の奏でる静寂に、少年たちは久しぶりに手の届く距離で向かい合っていた。


 ただ、流れ続ける紅いものは、二人の時間に終わりが近づいていることをそっと語る。


「温厚なお前がまさか、私に刺客を向けるなんてな。考えもしなかったよ……」


「そう?」


 蒼白になってゆく顔色を隠すように、少年は片手で脇腹を押さえながら草の上に座り込んだ。


「……馬鹿だね、仮にも僕は第二位の王位継承者。玉座を狙わないわけがないでしょう? 兄さんはまず、人を疑うことを覚えたほうがいいよ。特に親しい身内たちをね……」


「お前……!」


「いい? 人を信じるのは確かに大切なことさ。だけど兄さんはいずれこの国の王になる……いわば、国の柱だ。親しい相手にも、心の内は絶対に明かすなよ? 兄さんが兄さん自身でいていいのは、兄さんが一人の時だけだ……寂しいだろうけど」


 肩で息をしながら、なおも少年は続ける。

 少年から滴る血の量は、少しずつ増していた。


「……涙を殺すんだ。常に冷めた眼差しを忘れずに……兄さんの素の性格……相手を信じる素直さを演じながら、相手の腹の内を探っていって。王城の大半は悪意だと思えばいい。食い潰される前に、こちらから敵を喰らうんだ」


「お前……まさか……」


「さあ、知らないよ。僕は何も……。素直すぎる兄さんが、昔から大嫌いだった。それだけさ」


 いびつに微笑む少年の瞳は、透明な紫色。

 領土拡大で併合された隣国の元王家の血を引く者の証だった。


 政略結婚で嫁いできた第二妃の嫡男──

 第二王子、フェリス。


 それが、一人の少年の名で。


「……ゼファーディン、本当に馬鹿だね、泣くなよ。間もなくここに僕の援軍が来るだろう。君は君の後方の軍をもってそれを制圧するんだ。……僕の味方、つまりは君の敵になろうとしていた軍勢さ。この機会に圧力をかけておけば楽になるだろ?」


 ゼファーディンと呼ばれたもう一人の少年は、涙を拭って血の滴る剣を握り直すと、真っ直ぐにフェリスへと剣先を向けた。


「……フェリス、お前は心優しく……優しすぎて少し心配な、大切な弟だった……」


「……」


「お前は力の無さを嘆いていたが、勇猛な騎士だよ。……私はお前を決して忘れない。フェリスという大切な盟友を」


 ──鈍く、音がして。


 ゼファーディンの素早い剣が、フェリスを深く貫いた。


 雨音に重なった小さな一言は、ゼファーディンの耳に、鮮やかに響き続ける。


“生きてね……”





 ──やがて賢帝と呼ばれるゼファーディンへの反逆で葬られた、野心家の愚弟フェリス。


 真実を知る雨は、優しく降り続ける――




─FIN─



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雨に融けた詩(うた) 水無月 秋穂 @kosekiryou

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