マナー講師、接近遭遇

葉月氷菓

マナー講師、接近遭遇

 マナーというものの何たるかを理解しようともせず、頭ごなしに否定する若者が多すぎる。同調ありきの温室で育った弊害で、私のような先達の定めた規範や常識を冷笑することが格好いいと曲解しているのだろう。そんな若造らに未来を託さねばならないことに、不安や眩暈すら覚える。そんな思考が態度に表れそうになるが、私自身が他者へのリスペクトを欠いた接し方をしてしまえば、反骨的な精神を屋台骨に持つ彼らは忽ちに私を揶揄し、このマナー講座も台無しになってしまう。


「いいか、データリンクの際は、実行する前に『データ共有失礼します』と一声かける。基本的に、往訪側が先に渡す。情報を受け取った側は『頂戴いたします』と述べてからデータを閲覧する。そして『申し遅れました』と一言付け加えてから、続いてデータリンクする。リンクする際は当然、こちらで翻訳済みにしたものを送信するように」


 私が講釈を述べると早速、疑問と不満を示すような小さなどよめきが起きる。


「非効率すぎる」「同時でいいじゃん」「相手にローカライズさせた方が間違いなくていいのに」「相手も面倒だろう」


 生徒らは口々に不満を漏らす。嘆かわしいことだ。生まれた時から狭く完成され、競争なき環境で生きてきたこいつらは、対話や対外交渉の失敗の怖さを知らない。マナーを学べば僅かなひと手間で、交渉ひいてはコミュニケーションにおけるトラブル発生の確率をぐっと減らせるのだ。これ以上にパフォーマンスに優れた技法はないだろう。

 対外交渉において、馴れ合いや同調なんて甘っちょろい迎合は存在しない。先達である私が、その現実を教えなくては。


「先方の認知が、お前らと寸分違わず同じであるなら、そうだろうな。だが実際は違う」


 私が言葉を発すると、生徒らは押し黙った。最低限の素養はあるようだ。


「その差異は、お前たちにその気がなくとも、悪意や攻撃と解釈されることだってある。つまりマナーとは、認知の差異を埋めるためのハブであり、己を守る防護柵でもある。私たちがこれから向かう星、地球には第一支配層である二足歩行生命体が約八十億個体も存在する。しかも、私たちのように基となる一個体の分裂による増殖ではなく、各々が生まれてすぐに独立した意識を持ち、後天的な意識データリンクも行わない。それにも係わらず、絶えず着実に個体数を増やしているというデータが観測されている。更に、第二及び第三支配層である四足歩行生命体とも友好同盟を築いている。母星で他種生命体をひたすらに飲み込んできた私達との違いが、よく分かるだろう」


 生徒たちの間に小さなどよめきが走る。これから任される仕事の重要さを、同時に先方の偉大さを理解し始めたようだ。驚きのあまりか、生徒の一人が言葉を挟む。


「個体間の意識リンクもなしに、ましてや他種と食い合わず共存し続けるなんて信じられない。彼らには、我々の想像の及ばない優れた特殊なコミュニケーション能力や器官が備わっているとしか考えられない……」


 生徒はそこで、はっと意を得たように私を見る。己の思考で、その答えに辿り着いてくれたか。嬉しさを噛み締めつつ、私は続きを促すように頷いた。


「それを実現するのが、マナーという技法。そういうことなんですね」


「その通りだ。君たちは、はじめに非効率と一蹴したが、優れたマナーは争いを無くし平和的交渉を促す。私達の歴史にはなかった〝対話による共存〟を実現し得る技術なのだ」


 マナーの有効性に関する一連の説明は、それこそデータリンクを使用すれば一瞬のうちに済む話だったが、他者を思い遣るマナーの必要性は、他者の存在を顧みて、自発的に気付かなければ身につかないものだ。この講座の意義はたった今、結実した。


 歴史を振り返る。

 私達、いや……私は遠い昔に母星で単核単細胞生命体として誕生した。粘性の肉体を這いずり回らせ、本能のままに他生命体を捕食し、己の肉体を肥大化させていった。そして肥大化に伴って新たな術を身に着けた。肉体を一部切り離し、脳波受信器官のみを備えた分体を複製するというものだった。脳波通信により分体とリアルタイムに意識を共有することで、より効率的な狩りを実現した。それにより肉体はますます肥大化し、同時分裂可能な数も指数関数的に増加していった。

 しかし、やがて行き詰まることになる。効率化し過ぎた狩りにより、瞬く間に母星内の他生命体を食い尽くしてしまったのだ。今は空間中の塵やデブリを吸収し生き永らえているが、母星を覆い尽くす程の巨体を得ても、やはり有機生命体を食らい続けたいという肥大化本能には逆らえない。更に、単一の肉体を際限なく肥大化させ続ければ、いつかは重力特異点を超え、自重に押しつぶされて生命として終わりを迎えるだろう。

 滅亡に抗うため、私は狩猟の際に使用した分裂の手段の応用を取ることにした。意識をリンクさせた分体を異星に派遣し、それぞれが新たな入植先を見つけるというものだ。

 しかし、すぐに難題に直面することになる。私の分体である肉体の断片への意識のリアルタイムリンクは母星の端から端まで一瞬のうちに寸分のラグ無しに届くほどに速く精密だ。しかし、ひとたび宇宙空間に繰り出せば、光速通信など遅々たるものだったと思い知らされたのだ。本体核から遠く離れ、異星にたどり着く頃には分体はリンクを失い、ただの肉片と化してしまうのだった。

 滅びが迫る私は意を決して、核を分け与えた完全分体を生み出すことにした。完全分体は本体と同等の能力を保ちつつも、それぞれに個別の意識を持つ。余談だが、年若い生徒らが周囲の別個体とやたらと同調したがるのも、分裂前の同一個体だった記憶の断片からくる帰属意識、あるいは分裂不安症を解消したいが為だ。本能故に、強く責めることはしない。妥協案として、小隊を組んで異星を訪問する策を取った。

 核の分断は一個の完全生命体としては非効率極まりない手法なのは確かだが、これでリンク切断による機能停止問題は解決し、異星入植の実現に一歩近づいた。

 だが、また新たな課題にぶつかる。有機生命体の存在する異星入植の際には当然、原住民あるいは先住者による反撃がある。その星の発展度合いによっては、分体らは返り討ちに遭い、数万光年の旅路が一瞬にして無に帰すという結果に終わる事例が少なくなかった。

 私は考えを改めた。必要なのは一方的な侵略ではなく、他生命体と分かり合うことなのだと。そして異星生命体へのコンタクトを繰り返すうちに見えてきたのが、マナーという概念の存在だ。捕獲した他生命体を解体し、神経伝達パターンを研究し尽し、試行を重ね、異種との差異をあらかじめ織り込んだコンタクト手法を無数に作り上げた。この研究結果を基に異星民に交信を試みたところ、明らかにこれまでとは違った反応を得られたのだ。これは収穫だった。まあ、結局のところ相手の本質が野蛮であったために、どちらかが滅ぶまでの戦争になる例が殆どであるのだが。いい加減、争いにもうんざりしていた。

 だが、新たに発見した惑星、地球は他の野蛮な異星民とは違う。


「観測情報から得た断片的なデータではあるが、現地球支配層である彼らは原初からの地球住民ではなく、どうも他の生命体よりもずいぶん遅れて発生したようだ。にも係わらず、先住民らと同じ惑星内で共生しながら、今も互いに数を増やし続けている。卓越したマナー技法による、異種との円滑な交渉活動の結果なのだろう。見習うべきは、彼らにある」 


 生徒達──若き分体らも、地球民の生態に感銘を受けたようだ。弁舌にも俄然、熱が入る。

 私、いや私達は思いを馳せる。地球に住む生命体との共存。こちらが礼節を尽くせば、きっと暴力なき交渉のテーブルについてくれるだろう。願わくば、地球の表面積の半分程度を間借りして、入植させていただきたいのだが。こちらも、先住者を食らいつくさないよう、最大限努める用意がある。

 交渉成立のために必要なのはマナー。謙譲。そして。


「敬意だ。これまでのどの惑星の住民に対してよりも、敬意を払おう。なにしろ相手は、宇宙の目たる太陽に最も近い座標に住まう生命体、すなわちの相手であるのだからな。さあ、講習を続けるぞ」




 一、惑星内での直接対話の際、目上の者を上座に配置する。上座とは、二者以上の対面において天球座標基準で太陽に相対的に近い座標であり、それ以遠の座標を下座と呼ぶ。


 一、相手の記憶器官に情報データリンクを注ぎ込む際の一度のデータ量は相手方のニューロン信号伝達上限の六割程度が目安。相手方からデータを注いでいただく際は、あらかじめこちらの情報処理野を空にしてから、受け取る。


 一、謝意を示す場合は肉体を中腹で折り、相手方よりも体高を低くする。反逆や不意打ちの意図がないと示すため。


 一、ディメンションゲートを通過する際は、くぐる前に「失礼します」と転移先に信号を送る。また、目上の相手と共に転移する場合は、相手方を先にゲートに通す。


 一、先住者を捕食する際はその命に感謝し、「いただきます」と宣言してから食する。また芯骨がある場合は可食部が残らないよう、隅々までいただく。




 地球が見えてきた。美しい星だ。きっと争いや諍いなど存在せず、温和で住みよい星に違いない。彼らは清く広い心で私達を歓迎してくれるだろう。

 彼らと共に歩む未来が楽しみだ。

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