猫の夢

月夜野すみれ

猫の夢

 薄くて白いもの目の前でひらひらしている。


 それを爪に引っ掛けて引っ張ったら取れた。

 そしてそれに続いて同じものが出てきた。


 もう一方の足の爪で引っ掛けると、それも取れて更に出てくる。

 後から後から出てくるのが面白くて夢中になっていると終わってしまった。


 シロより大きくて食べる物をくれる生き物――人間というものらしい――は白いものの山を見て何か言っていたが別に怒っていないようだった。


 人間はシロが取りだした白い物を、何か――人間は「箱」と言っていた――の中に入れ、時折取り出して使うと別の入れ物に入れていた。


 人間は他の人間から「おばあちゃん」と呼ばれていた。


 少し厚みのある柔らかい物もあった。

 軽いので爪で引っ掛けて上に飛ばす。

 それを更に別の足で叩いて飛ばす。


 そうやって前足で交互に叩いて下に落ちないように繰り返す。

 中に箱の中に入っているのと同じような白くて薄い物が入っているようだが箱とは違って、すっと出てくるわけではないので取り出さずに上に跳ね上げたり床に滑らせて追い掛けたりした。


 おばあちゃんはその様子を見て面白がっているようだった。

 それよりももっと大きくて丸みがある柔らかい物をくわえて歩いていると、おばあちゃんが取ろうとした。


 取られまいと引っ張ると、

「ダメよ」

 と頭を撫でてから取り上げた。


 おばあちゃんが元のところに戻したのでまた咥え出すとおばあちゃんが慌てて追い掛けてきて取り上げた。


 おばあちゃんがいない隙にまた持ち出して床で噛んだり引っ張ったりしているとまた取り上げられてしまった。

 今回はどこかに隠されてしまった。


 おばあちゃんがどこかに行っていていない時にそれを探しだして引っ張り出す。

 咥えて放ったり押さえて引っ張ったりしていると、


 びりっ


 と言う音がして穴が開いた。

 

 そこから白くて柔らかい、ふわふわした物が覗いていたのでそれを引っ張り出した。

 ふわふわした物の塊でしばらく遊んでから、また引っ張ると一部が取れてしまった。

 取れた部分からも白い物がはみ出している。

 それを咥え出したり、更に千切ったりしているうちにおばあちゃんが帰ってきた。


「まぁ!」

 おばあちゃんが声を上げる。


 叱られるかと思ったが、おばあちゃんは、

「ダメでしょ」

 と言っただけで特に叱られなかった。

 一応「ダメ」というのはやってはいけない事なのだが。


 おばあちゃんは諦めた表情を浮かべてシロの好きなようにさせてくれたので気が済むまで遊んだ。

 シロが興味を無くして遊ばなくなるとおばあちゃんはそれを片付けた。


 シロの首には何かが付いていた。


 狭い場所に入って引っ掛かった時、引っ張ったら取れたから試しに自分の後ろ足で引っ張ったら外れた。


 しかしおばあちゃんがそれを見付けると再びシロの首に付けた。

 また取ったらまた付けられた。


 どうやらおばあちゃんはこれを付けておきたいらしい。

 何度か外してみたが面倒になったので、そのまま付けておいた。


 シロがよくオモチャにしたのは箱に入っている白くて薄い物――ボックス・ティッシュと言うらしい――と少し厚みのある柔らかい物――ポケット・ティッシュと言うそうだ――だった。


 転がすと音がするボールはおばあちゃんがシロにくれた。

 夢中になって転がしているといつも隙間の奥の方に入ってしまう。


 なんとか取り出そうと足を隙間に突っ込んでいるところをおばあちゃんが気付くと取りだしてくれるのだが、おばあちゃんが来ない狭い場所だと気付いてもらえずそのままになってしまった。


 他にも色々遊んだが、硬い紐状の物はすぐに取り上げられてしまった。

 柔らかい紐も短い物は取り上げられてしまった。

 長くて柔らかい物は構わないらしい。


 おばあちゃんは良くオモチャをくれたがそういうオモチャはあまり面白くなくて少し遊ぶとすぐに飽きてしまった。


 そもそも興味を惹かれなくて遊ぶ気にならないものもある。

 おばあちゃんが期待した表情でこちらを見ているから少しだけつついてみるものの、やはり面白くない。


 おばあちゃんはがっかりした表情を浮かべるものの押し付けてはこなかった。

 シロが見向きもしないでいるものは、しばらくするとおばあちゃんがどこかに片付けていた。


 おばあちゃんの足の周りにはひらひらする物がまとわりついていてシロが飛びつくとおばあちゃんは楽しそうに笑っていた。


 おばあちゃんの移動に合わせて、ぴょんぴょん飛び跳ねてながらいていくと、おばあちゃんは笑いながら歩いていった。


 夜、布団に入ったおばあちゃんの上に乗って寝そべると優しく撫でてくれた。


 おばあちゃんはよく何かをじっと見ていた。


 シロがその上に乗るとおばあちゃんは、

「こらこら」

 と笑いながらシロを膝に乗せてそれを見続けた。


 何故そんな物を長い時間を掛けて見ているのかは分からなかったが、とにかくおばあちゃんはよくじっと見ていた。

 膝の上で丸くなるとおばあちゃんはそれから目を離さないままシロを撫でていた。


 シロは天袋の箱と箱の隙間に入り込むと丸くなって目を閉じた。


 最近、おばあちゃんは寝ていることが多くなって、他の人間が良く来るようになった。

 おばあちゃんはやってきた人間にシロの餌やりなどを頼んでいたが、人間によってはくれないことがあった。

 お腹を空かせたシロがしつこく催促した時、他の人間がいないとおばあちゃんは布団から起き出して餌をくれたが、その後はすぐに横になってしまう。


 ある朝、シロはいつものように布団の横に行くとおばあちゃんに空腹を訴えた。


 しかしおばあちゃんはピクリとも動かない。

 目蓋まぶたも動かないし胸も上下していない。


 台所へ行ってシンクに飛び乗った。

 しかし何もない。


 仕方なく水だけ飲んでおばあちゃんの枕元に戻ると大声で鳴いた。

 それでもおばあちゃんは動かない。


 シロが大きな声で鳴き続けていると音が鳴った。


 この音は他の人間が訊ねてきた時に鳴るもので、これを聞くとおばあちゃんは出入り口を開けていた。

 しかし今日は音を聞いてもおばあちゃんは目を覚まさなかった。


 やがて誰かが窓の外から部屋の中を覗いた。

 シロの横で眠ったままのおばあちゃんを見ると人間は慌ててどこかにいった。


 少ししてから出入り口が開いたかと思うと人間達が出入りして慌ただしくなった。

 やってきた人間達がおばあちゃんを外に運び出す。


 開けっ放しになった戸から外に出てみたが、おばあちゃんはどこにいってしまったのか分からなかった。

 しばらく外を探し回ってから家に戻ると戸が閉まっている。


 家の外で鳴いてみたが戸は開かなかった。

 窓から中を覗いてもおばあちゃんの姿は見えなかった。

 まだ戻っていないらしい。


 閉め出されてしまって中へ入れないし腹も空いた。


 そのうち、どこからか良い匂いがしてきた。

 匂いを辿っていくと別の家だった。


 中へ入れないかと思ってしばらく前をうろうろしていたが扉も窓も開かなかった。


 道端に食べられそうなものが置いてあったが網が掛けてあって取り出せなかった。

 それでもなんとか網の隙間から取り出せないか試みているとやってきた人間に追い払われてしまった。


 喉が渇いたが水もない。

 探し回ってようやく見付けた水は変な臭いがして色々な物が浮いたいた。


 おばあちゃんのところではいつもきれいな水が飲めたのに。


 だが仕方ない。

 喉がカラカラだったからシロは我慢してそれを飲んだ。


 何度か家に戻ったがおばあちゃんはいなかった。

 中は暗いままだからずっと帰ってきていないのだろう。


 仕方なくシロはまた餌を探しに出掛けた。


 シロは、歩き食いをしている人間が落とした物や網が掛かっていないところに捨てられた物を食ってなんとか生きていた。


 家の近くを通り掛かった時、よその人間が話していた。


「この家に住んでいたおばあさん、亡くなったんですって」

「まだそんなにお歳じゃなかったのに」

「病気だったみたい」

 と言っていた。


『おばあさん』と言うのはおばあちゃんのことだろう。

『亡くなった』とはなんの事かよく分からなかった。


 鳥を捕まえるために飛び掛かろうとした時、動いた瞬間、鈴が鳴って逃げられてしまった。

 シロは鈴が付いている物を外して鳥を探しに向かった。


 餌を探して公園の前を通り掛かると声が聞こえてきた。

 人間が、おばあちゃんが良く見ていたものを見ながら話をしている。

 幼い人間達が人間の前に座ってそれを聞いていた。


「……『お話』を聞いてるんですって」

 そう話ながら二人連れの人間達が近くを通り過ぎていった。


 人間は何かに目を落としたまま声を出している。


「……乳母が満願を果たした日、娘は元気になりました」

 聞いていると、何かの話をしていた。

「豪華な衣裳に身を包んだ娘の姿を見届けた乳母は……」


 どうやらこれが『お話』というものらしい。

 話に区切りが付いたところで彼女は見ていた物を閉じるとそこから立ち去った。


 人間はよくそこで『お話』をしていた。

 シロは餌を探しに出ていない時は後ろの植え込みで丸くなって『お話』を聞いていた。


 ある日、空きっ腹を抱えて餌を探していると、人間の少女がやってきて缶を開けてくれた。

 シロが中身を平らげて缶を空にすると少女は缶を片付けて帰っていった。

 毎日ではないが少女は缶詰を持ってきてシロに餌をくれた。


 ある日、少女は、

「ごめんね、今日は家に忘れてきちゃったの」

 と言ってシロを撫でただけで行ってしまった。


 家……。


 家になら缶詰があるのだ。

 あの少女の家で暮らせないだろうか。


 そう思って後をいていった。


 出来るものならおばあちゃんのところに帰りたいのだが、おばあちゃんはいつまでっても戻ってこないし食べ物や水を探すのも大変だ。

 だからおばあちゃんが戻ってくるまで他の人間の家で暮らそうと思ったのだ。


 ホントはおばあちゃんが懐かしかった。


 匂いも、温もりも。

 またおばあちゃんの膝で丸くなって撫でてもらいたかった。

 またおばあちゃんの隣で眠りたい。


 シロがおばあちゃんのことを考えながら庭に回り込んで家の中を覗くと少女が家にいた子猫を抱き上げた。

 少女が猫に向ける表情を見てこの家は無理だと悟った。


 おばあちゃんがシロを可愛がってくれたように、少女にとっての一番はあの猫なのだ。


 仕方ない……。


 諦めてきびすを返し餌を探しに向かった。


 それからも時々餌を探している時、あの少女の家の前を通り掛かることがあった。


 あの子猫がうらやましかった。

 自分ももう一度おばあちゃんに抱き上げてもらいたい。


 おばあちゃんはいつになったら戻ってくるのだろうか。


 ある時、路地を通り掛かると自分が外した鈴が付いた物が落ちているのに気付いた。


 吹きっさらしの地面に落ちていたので大分汚れて元の色が分からなくなってしまっているがおばあちゃんの匂いが付いている。

 間違いなくシロの首に付いていた物だ。


 しばらく眺めてからそれをくわえた。

 かすかに鈴の音がする。


 それをいつも寝ている公園の植え込みの下に運んだ。

 シロの身体が上下する度に鈴が鳴った。


 公園の植え込みの下に入ると地面にそれ置いて丸くなる。

 おばあちゃんが戻ってきた時これを渡したらまた付けてくれるだろうか。


 もう外したりしないから早く帰ってきてほしい。


 シロはそんな事を考えながら目をつぶった。


 徐々に日が短くなり、それにつれて夕方から朝まではかなり冷え込むようになった。

 夜は息が白くなる。

 お腹を空かせている時の寒さは特にこたえた。


 道端から鶏肉の匂いがすることが多くなったが、美味しそうな物に限って網に覆われていて取れない。


 少女の家を覗くと嬉しそうに木に飾り付けをしていた。

 家の中に様々な色の明かりが点いて華やかになった。


 おばあちゃんが良く見ていた動く絵に出てきていた。

 クリスマスとか言うものだ。


 そういえばクリスマスの季節になると、おばあちゃんは、

「今日はクリスマスだから」

 とシロに肉をくれた。

 おばあちゃんは食べなかったがチキンという人間の食べ物らしい。


 ある日、しばらく家の中にいる少女と猫を眺めてから踵を返そうとした時、

「あの猫はじき死ぬ」

 その声に振り返ると白い狐がいた。


「死ぬ?」

「いなくなると言う事だ」


 おばあちゃんもいなくなった……。


「なんで?」

やまいだ」

 どうやらこの白い狐にはそういう事が分かるらしい。


「あの人間は?」

天寿てんじゅまっとうする」

 白狐が答えた。


 数日後、子猫の元気がなくなった。

 白狐の言うとおりになったのだ。


 倒れた猫を少女と父親がどこかへ連れていった。

 おばあちゃんと同じように。


 だがおばあちゃんと違って子猫は少女達と帰ってきた。

 ぐったりしているが胸が微かに動いている。


 少女は子猫の側でずっと泣いていた。

 このまま子猫が死んでしまったら少女はきっとすごく悲しむに違いない。


 ようやく分かった。

 おばあちゃんがどうしていなくなってしまったのか。

 あの子猫がいなくなったら少女も自分と同じように寂しい思いをするだろう。


 自分では代わりにはなれない。

 少女の家で暮らせるようになったとしても、少女はあの子猫を忘れないだろう。


 シロにとっておばあちゃんの代わりがいないように、少女にとってあの子猫の代わりはいないはずだ。


 …………。


 シロは公園で人間のしていた『お話』を思い出した。


 寿命を譲った人間の話だ。

 病気になって死にかけている娘の乳母が願掛けをして満願叶った時、娘は助かり乳母が代わりに死んだといっていた。


 白狐を探してその話を知っているかと訊ねると知っているという。


「それ、この近く?」

伊予国いよのくに――愛媛県だから相当遠いな」

 白狐が答えた。


「この近くにはないの?」

「あの猫を助けたいのか?」

「……あの子が悲しむから」

 シロは少女に目を向けた。


「何度か餌を貰っただけだろう。そんな事をしてもお前には何も良い事がないと思うが」

「知らないなら……」

 シロが踵を返そうとすると、

「そこの稲荷で頼んでみると良い」

 狐はそう言って小さな神社を指した。


 シロは神社に行ってみた。


『お話』では二十一日間の願掛けをしたと言っていただけで方法などには言及していなかった。

 とりあえずシロは建物の前で自分の寿命をあの子猫に譲って欲しいと頼んでみた。

 二十一日間通うから、と。


 そして二十日間、毎日通って願掛けをした。

 稲荷からの帰り道、少女の家を覗くと彼女は暗い表情で子猫に付き添っていた。


 二十一日目の朝、神社で願掛けをして様子を見にいくと少女が嬉しそうに子猫を抱いていた。

 少女に抱き締められた子猫は少し苦しそうな顔をしている。


「サンタさんが願いを叶えてくれたのよ!」

 少女の言葉に、人間にはそういう者がいるとという話を思い出した。


「サイコーのクリスマスプレゼントよ!」

 少女がそう言って子猫に頬ずりをする。

 顔を擦り付けられた猫が迷惑そうな表情浮かべた。


「あの子猫を助けたのはサンタってヤツなの?」

 シロはいつの間にか側に来ていた白狐に訊ねた。


「いや、お前だ。だからもうすぐお前の命はきる」

 シロは頷くと少女と子猫を見た。


「あの子猫はもう大丈夫なのね?」

「寿命がくるのは二十年後だ」

 白狐が答えた。


「良かった。メリー・クリスマス……って言うんだっけ?」

 シロの問いに白狐が頷く。


「じゃあね。あんたのお陰で願いが叶ったわ」

「本当に良かったのか?」

 白狐の問いに振り返ったシロは後悔の欠片もない表情で頷いて公園に向かった。


 植え込みの奥に入って丸くなり目をつぶる。

 眠りに落ちる頃、


〝シロ〟


 その声に顔を上げるとおばあちゃんがいた。


 シロが走っていっておばあちゃんに飛び付くと、おばあちゃんも嬉しそうに笑って抱き締めてくれた。

 シロはおばあちゃんの胸に頭を擦り付けた。


〝一人にしてごめんね。迎えに来たよ〟


 おばあちゃんはしばらくシロを撫でていた。


〝さ、行きましょう〟


 おばあちゃんはそう言うとシロを抱いて歩き出した。


〝狐〟


 シロの声に白狐は顔を上げた。


〝私にも良いこと、あったわよ〟


「それは何より」

 狐は夜空に向かって呟いた。


〝メリー・クリスマス!〟


        完

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