第2話 その後の二人


「あー! バパ、ママとおててつないでるー! ずるーい。わたしもママとつなぎたいー!」


 光の左側を歩いていた娘がひらりと身を翻して、若葉と彼の間に収まった。


 休日、自宅から少し足を延ばして、大きな公園に家族四人で遊びに来ている。


 オシャレとおしゃべりが大好きな四歳の娘と、少し引っ込み思案な三歳の息子。両極端な二人だけど、どちらも可愛い我が子たち。


 息子は家では姉に振り回され、幼稚園では女の子たちに追いかけ回されているらしい。

 心底、嫌がっているようではないため、様子を見ているところだ。

 それに将来のことを思えば、女嫌いにならないように今のうちから慣れておくほうが良い。――父親そっくりの顔に生まれてしまった宿命だ。


「ママの手、両方取られた……。どっちかパパと繋がない?」

「ぼくもママとつなぎたいから、やだ」


 若葉の右手を取られまいと、息子がしがみついてくる。


ひかる、子ども相手に何言ってるの……」

「うーん、じゃあねぇ。はい、パパ」


 若葉が呆れていると、娘が小さな左手を光に伸ばした。


 彼女の右手は若葉の手の中。つまり、母親と手を繋ぎながら、父親とも手を繋ぐという手段を取ったのだ。


「そうじゃないんだけどなぁ……」

「なあに? わたしのてじゃ、ふまんなの?」

「いいえ。光栄ですよ、お姫様」

「なら、いいわ」


 そのやり取りに、思わず吹き出してしまう。

 娘はお姫様ごっこがブームらしく、父親相手に高飛車なお姫様をよく演じている。

 そして、その様子を息子はいつもじっと見つめている。羨ましそうにではなく、女の子を相手にする技を盗むような視線で。


(息子よ。中身まで似なくても良いのよ? ママ、心配だわ……)


「ママ、あのすべり台であそびたい!」


 光の手をパッと離した娘が、若葉の手を引いて走り出した。


「こら、危ない。急に走らないの」

「おねえちゃん。じてんしゃもいるから、ダメだよ」

「はーい」


 こういうところは、わりと息子のほうがしっかりしている。


 二人を見ていると、今でも幼いころの光をふと思い出す時がある。

 

 それでも、彼が成人したあとの記憶のほうが、ずっと鮮烈だけど――。



 

 光が十八歳になった日には、これでもかというほどに甘ったるいアプローチを受けたが、高校を卒業して大学に入学すると彼はあまり幼稚園に来なくなった。


 一ヶ月に一度れば良いほうで、数ヶ月あいだくこともしばしば。彼とよく遊んでいた園児たちも寂しがっている。


 内部進学ではなく、自宅から通学圏内の国公立の大学へ進んだため、勉強や新しい交友関係で忙しいのだろうと気にしないようにしていた。


 結婚資金のために学費が安い国公立を選んだと言った彼の言葉を思い出し、さすがにそれは冗談だろうと若葉は苦笑いする。


 そして、光の二十歳の誕生日。

 何かあるかもしれないといつも以上に身構えていたが、彼は姿も現さなかった。


 やはり同じ年代の子のほうが色々と合うことに気づいたのだろうと、安心したと同時に少しだけかなしくもなった。



 翌年の祝日、ルームウェアでごろごろしていた時にエントランスからのインターホンが鳴った。

 宅配便でも届いたのだろうかとモニターを見ると、スーツ姿の光が映っていた。


「……は?」


 口をパクパクと動かして、何か言っている。放っておくわけにもいかず、迷った末に応答ボタンを押した。


「……はい」

「若葉ー、開けてー。寒いー」

「何してるの?」

「今日、成人式だから。その前に会いに来た」

「そのまま、会場に行きなさい」

「若葉が会ってくれないなら行かない」

「はぁ? また、子どもみたいなこと言って。…………少しだけだからね?」


 そう言った若葉は、仕方なくエントランスのオートロックを開けた。


 あのまま放置して、風邪でもひかれると困る。

 玄関先で温かいカフェオレでも飲ませて、会場へ送り出そうと電子ケトルのスイッチを入れた。


「あの子、私の家よく覚えてたな。短大生の頃に偶然マンションの前で会っただけなのに。……あれ、部屋番号まで教えたっけ?」


 若葉の記憶がないだけで、おそらく聞かれるままに教えてしまったのだろう。


 ピンポーンと玄関前のチャイムが鳴り、ドアを開けると少し大人びた雰囲気の光が立っていた。


(数ヶ月、会ってないだけよね……?)


「久しぶり、若葉」

「ほんの数ヶ月、会ってないだけでしょ? ちょっとここで待ってて。今、カフェオレ淹れるから。それ飲んだら会場に行きなさいよ」


 スリッパを履いて歩きだそうとした時、「若葉」と呼ばれて振り返ると片膝をついた彼の姿があり、ぎょっとした。


 スーツが汚れるから立ちなさい、と言いたいが、彼の手の中にあるものに驚いて声が出ない。


 大きなダイヤモンドが主張する、いかにも婚約指輪といったデザインのリング。横開きのケースには超高級ブランドの名が刻まれている。

 川辺で拾った石のように、元の場所に返してきなさい、と言える代物ではない。


「若葉。俺、成人おとなになったよ。だから、今日は本気のプロポーズしに来た。…………俺と、結婚してください」


 光の声も手も、ほんのわずかに震えている。

 もうこれ以上、彼の本気からも自分の本心からも、若葉は目をそらすことができなかった。

 そして彼女は「はい……」と小さく頷いた。


 そして、光の真剣な気持ちが伝わってきたから頷いたのであって、決して、ハリー・ウィンストンの婚約指輪に釣られたわけではない、と若葉は心の中で言い訳をした。


 まずは結婚を前提にした交際を……、ということで彼の申し出を受け入れたものの、光の両親に何と挨拶するべきかと悩みに悩んだ。

 そして、崖から飛び降りるつもりで彼の実家を訪問すると、プロポーズを受け入れたことを涙ながらに感謝され、拍子抜けした。

 

 若葉に振られたら、一人息子がこのまま結婚しないかもしれないと危惧していたらしい。

 そして、今まで息子が散々迷惑をかけて申し訳なかったと謝罪された。

 光の行動も、どれだけ本気だったのかということも、彼の両親はすべて知っていたらしい。

「だから、大丈夫だって言っただろ?」と、隣でひとり飄々としている光に、若葉は少し腹を立てた。


 そこからはトントン拍子に話が進み、あっという間に二人は夫婦になった。

 彼氏彼女と呼べる間柄だったのは、結婚式に向けての準備期間の二年ほど。

 

 どちらの両親も、本人たちの気が変わらぬうちに結婚させてしまおうという勢いが凄まじかった。

 両家の相性が良いことは幸いだったが、気が合い過ぎても困る。


 この結婚に両親たちが賛成した理由は、「経済的な心配もなく、男女の平均寿命の差を考えれば、年齢差はそんなに気にならないんじゃないか?」ということだった。

 それを聞いたことで、それもそうかもしれない、と若葉も少しは気が楽になった。

 光の「チョロい」というセリフが聞こえてきそうだ。


 プロポーズをされた日も「隙が多い」と、こんこんと説教をされた。

 部屋番号は若葉が教えたのではなく、オートロックドアの外にあるポストの表札を見て、何年も前から知っていたらしい。


 「一人暮らしの女性が、名前を外に出すな」「知り合いだろうと年下だろうと、男を簡単に部屋に入れるな」と、プロポーズをするために部屋を訪ねて来た年下の男に叱られた。


 自分は隙が多いことも、チョロいことも若葉は認めざるを得なかった。


 そして付き合い始めると、彼は若葉よりもずっとしっかりしていて器用だということを改めて思い知ることになる。


 結婚式会場をいくつか見て回っていた時も――――。

 

 若葉の母方の家系が童顔で、彼女もその血を引いたため、光の隣に並んでもさほど違和感はないらしい。

 それでも、実年齢を記入しなければいけない時は、やはりペンが重くなる。


 案の定、ウエディングプランナーの女性は年齢が書かれたシートを確認すると一瞬固まった。

 しかし、すぐにプロの笑顔に戻り、色々と説明された。

 しばらくしてから、「お二人の馴れ初めは?」とお決まりの質問をされ、来た……! と若葉の心臓が跳ね上がる。


 そんな彼女の手をテーブルの下で握った光が、ハキハキと答えていく。


「家が近所で、よく遊んでもらってたんです。出会った時は彼女もまだ高校生で、憧れのお姉さんでした。そこから何度も告白したんですけど、まったく相手にされず……。僕が成人して、やっとOKをもらえました」

「まぁ! とっても素敵なお話ですね! 奥様が羨ましいです」


 プランナーの女性が頬を染めながら声を上げた。とりあえず、犯罪臭は消えたようだ。


 光の答えは、幼稚園で出会ったということを省いただけで偽りはなかった。

 あの時の、彼の頼もしい横顔を今でもよく覚えている。


 子どもができてからも、年の差が原因ですれ違いもあれば、互いの交友関係に嫉妬することもある。どこの家庭もそうだろうが、常に円満というわけでもない。

 

 それでも、何だかんだで光と一緒になって幸せだと思う日々を若葉は送っている。



 

「光、置いてくよー?」


 少し後ろを歩く光に呼びかけると、彼は眩しそうに若葉たちを見つめながら微笑んだ。


「幸せだなぁ。若葉と結婚できて、可愛い子どもたちにも恵まれて」


 若葉とシンクロするように、これまでのことを思い出していた光は、無意識に胸の内をこぼした。


「元カレがストーカー化した時はどうしようかと思ったけど、退場してくれてホント助かったよ。…………ちょっと手こずったけど。誰にでも笑顔で挨拶するから、勘違いする男も絶えないし。……はぁ、若葉に気づかれないように、これからも駆除しないとな――」


 光がこぼした黒い独り言は、若葉にはよく聞こえなかった。おそらく、この先も彼女が聞くことはないだろう。


「何か言ったー?」


 若葉が立ち止まって首を傾げると、彼は大股で歩いて追いついてきた。


「若葉と結婚できて嬉しいな、って言ったの」

「そ、そう。私も……嬉しいよ」


 若葉がぼそっと呟くと彼は嬉しそうに、にんまりと笑う。夫になっても父親になっても、小悪魔っぷりは健在だ。

 

 おそらく一生、彼女は彼に敵わない――。

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「大人になったら結婚しよう」~よくある口約束~ 櫻月そら @sakura_sora

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