「大人になったら結婚しよう」~よくある口約束~
櫻月そら
第1話 大人にになったら結婚してくれる?
年下の……いや、だいぶ年下のイケメンに壁ドンされながら――。
彼女の職業は幼稚園教諭。
短大を卒業すると同時に、縁あって地元の有名私学の幼稚園で勤務することになった。
あれから早、十年。今年で三十一歳になる若葉は、後輩を指導する立場でもある。
保育士は結婚や妊娠を機に辞めていくため、他の職種に比べると退職時期が早い。体力的な理由もあるのだろう。
かく言う彼女も、二十代半ばの時には結婚を意識した恋人がいたが、何だかんだとあって破局。
それから現在まで独身、彼氏なし。年齢と役職と収入だけが着々と上がっていった。
「わかばせんせー、さようならー!」
「はい、さようなら。また明日ね」
物思いにふけっていたが、五歳児クラスの女の子から声をかけられて意識が現実に引き戻された。
子どもの目線に合うように、中腰で手を振ってから体勢を戻す。
「よっ……と」
思わず、そんな声を出しながら腰をトントンと叩いた。
「オバサンくさい」
気だるげな低い声が背後から聞こえ、声の主をキッと睨む。
「ここは関係者以外立入禁止です」
「俺、ここの卒園生だし。昔、遊んでくれたお姉さんに会いに来ちゃダメなの?」
「こんなに頻繁に来る子はいません」
この幼稚園と同じ系列の高校の制服で、園内をうろうろする彼の姿は日常となりつつあった。
(男子高校生が幼稚園の中にいるのは、違和感ハンパないけど)
しかし、居残り保育の子どもたちの遊び相手になってくれるため、はっきりと迷惑だとも言い切れない。園児たちもすっかり彼に懐いてしまった。「あのお兄ちゃん、次はいつ来るの?」とよく尋ねられる。
若葉は高校一年生から三年生の夏まで、この幼稚園でボランティアをしていた。
当時、若葉に一番懐いていた子が彼――、
そして、本格的に保育の道へ進むきっかけをくれた存在でもある。
片手で足りる年齢だった彼も高校三年生となり、身長は一八〇センチを超えたらしい。今や若葉のほうが見下ろされている。
「ねぇ。あの話、考えてくれた?」
「何だっけ?」
「えぇ……? もう忘れたの? 年なんじゃない?」
「そんな年の女にプロポーズし続けてるのは、どこの誰!? ……あっ!」
「なんだ、ちゃんと覚えてんじゃん」
しまった……と手で口を
「ほんとにチョロいなぁ。隙がありすぎて心配になる」
何と切り返そうかと考えていると、トンッと両手を壁に付けた彼に退路も進路も塞がれた。
「……どいて。仕事の邪魔するなら、もう帰って」
「壁ドンって、ときめかないの? もう古い? 顎クイも足したほうが良い?」
「どちらも、ときめきません」
腕の下をくぐって、彼が作った檻から抜け出した若葉は職員室に向かってスタスタと歩く。
当然のように、あとをついてくる彼はヒヨコのようだ。
「あ、
「応援してるよー!」
同僚たちは、なぜか彼の味方だ。
明るい声援に、光も笑顔で手を振っている。
セキュリティが厳しい時代に、保育士や守衛が彼と親しげに接するのは、彼が出入りすることを園長も許可しているからだ。
信頼できる人柄に加えて、OBというのも強みなのだろう。
「なんで、誰も止めてくれないの……」
「イケメンは正義」
「自分で言うな」
「ははっ。それよりさぁ、俺もうすぐ十八になるんだよね。来年は大学生だし」
「おめでとう。きっと、若くて可愛い女の子たちとの出会いがいっぱいあるよ」
「違うでしょ? もうすぐ結婚できる歳だって言ってるの。 なんで、そんなイジワルなことばっかり言うのかなぁ、若葉先生は」
「だから、それは…………」
君の恋心は刷り込みのようなものだ。もっと同年代の子たちに目を向けるべきだ、と何度も諭しているが、まったく効果がない。
『ねぇ、わかばせんせい。ぼくが大人になったら、けっこんしてくれる?』
『いいよー。先生、嬉しいなぁ』
あの日の浅はかな発言を、若葉は今でも後悔している。
それは、どこの幼稚園でもよく耳にする会話。初恋は幼稚園の先生、というのも珍しい話ではない。
園児たちから慕われている
しかし、そのプロポーズが十年以上続くだなんて、当時の彼女は夢にも思わなかった。
しかも彼の年齢が上がるたびに、妙に現実味を帯びた口説き文句になってきている。
この件から、相手が幼稚園児であろうと安易な口約束をするものではない、と若葉は痛いほど学んだ。
「ねえ、若葉。俺が
(子ども
収入もないような未成年とは結婚できない、とプロポーズを断るためのカードがひとつ消えてしまった。
一途でイケメンで高収入。子どもの相手も上手い。
若葉が今まで出会った男性の中でも、ダントツの優良物件。…………年齢以外は。
三十代前半、このチャンスを逃したら次はあるのか? という悪魔のささやきが聞こえてくる。できることなら、自分の子どもも欲しい。
「若葉、お返事は?」
天使のように可愛かった幼稚園児が、妖艶な魔王のような笑みでプロポーズの返事を促してくる。
うっかり「はい」と頷いてしまわないように自制できるのは、あとどれくらいまでだろうか――。
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