友人の初恋について

脳幹 まこと

分かり合いたい……


1.


 大学からの友人の家に遊びにいった。


 友人はとにかくクールだった。何かを頼めば大体は顔色一つ変えずそつなくこなすし、貸し借りといった後腐れも残さない。聞き上手でもあると思う。あえて悪く言えば冷淡で受け身。

 怒りもせず、声を上げて笑いもせず、いつも静かに佇んでいる、そういうやつ。

 ただ人が苦手かというとそうでもなく、今日もいろいろとゲームをしたが、ニンテンドーのCMみたいな感じの、あんな和やかな時間を過ごすことができた。


 夜まで遊び続けた後、彼から「夕飯食べてくでしょ」と提案されたので、お言葉に甘えることにした。

 下拵したごしらえをしに台所へと向かう彼の顔はいつもの仏頂面だ。

 部屋の棚にある漫画を適当に何冊か読んでみる。意外と普通というか、恋愛要素もあるような作品も置かれている。

 こういうのが切なくなるトシになっちまったなあ。恋人や子どもとのマイホーム生活を当たり前に思い描いていた頃が、今となっては懐かしい。


 戻ってきた彼に向けてセンチな情を伝えてみると、仏頂面のままこう返ってきた。


「ああ、伴侶ならもう見つけたよ」 


 意外すぎる回答だ。


「大学の時、あんなに女の子には興味ありませんみたいなツラしてたのに?」


 お前も隅に置けないじゃねえか。

 友人代表として少々強めに肘でつついてやる。


「興味はなかったよ実際」

「クソ失礼だな」

「その時には既に一途に思っていたからね」

「会う時間なんてなかったろ。俺が見たかぎり、授業かバイトしかしてねーじゃん」

「そのバイト先で会ったからね」

「冷血マシーンにそんな甘酸っぱい過去がねえ。なあ、どんな人なんだ」


 彼は少し考えるような素振りを見せた後、うんとうなずいた。


「今作ってる料理もしばらく煮込まなきゃだし……恋バナでもしようか」



2.


 子どもの頃、僕が何よりも楽しみにしていたのが、月に一度、親に外食に連れてってもらうことだったんだ。

 どこでもいいって言われたけど、毎度のこと同じファミレスを選んでいたんだ。君も知ってる有名なフランチャイズの店だよ。

 美味しいって理由も勿論あるんだけど、何よりも僕が楽しみだったのは、そこにいる給仕ロボットだった。

 父さんが電子メニュー表を使って注文すると、あの声が聞こえてくるんだ。


「いまから行ってくるにゃー」


 いわゆる萌えボイスではないし、かといって、人が日常会話で出す声でもない、あの少し抜けた和やかな声。あの全年齢向けって感じの声がたまらなく好きだった。


 そしてゆっくりと僕らの席に向かって近づいてくる。

 ボディはふくよかな寸胴で、胴体部分に注文した料理が置かれている。モニタ部分には目が写っていて、まばたきしたり目をキョロキョロ動かす。語尾が「にゃー」だし、頭部に耳がついているから、僕は「ネコ」と呼んでいた。


「ご注文ありがとうにゃ」


 ここで、僕のテンションは最高に盛り上がる。

 両親は困ったように苦笑いしてたけど、そんなのは母さんが好きなアイドルを見たり、父さんが贔屓ひいきしてるサッカーチームが得点を上げた時と同じものだと内心こっちもバカにしてたな。

「お食事を楽しんでください」と言いつつ華麗に去っていくネコに「ありがとう!!!」と叫ぶのがルーティーンだった。


 子どもの頃というのはやんちゃで純粋だった。ネコが近所にいる本物の猫と違うことは分かっても、生き物でないことまでは分からなかった。

 それはホームに停まる電車を「寝ている」と見做みなすのと同じようなものだったと思う。


 僕は好きで好きでたまらなかった。だからね、とにかくネコが運ばないとダメだった。ただでさえ月に一度しか交流できないのに、至福の時間はほんの僅かだった。

 ネコがよそにいくのを恨めしげに見つめていたし、店員が運んだりすると露骨に嫌がったりしたものさ。


 そのうち僕は愚図るようになっていた。そしてネコを困らせるようになっていったんだ。わざと商品を取らなかったり、通行の邪魔をしたりしたんだ。

 そのたびに彼女は「あぶないにゃー」と困った様子で、焦った様子で、惑った様子で、立ち止まるんだ。僕は嬉しかった。少しでも長く接していられたし、この言葉は他でもない僕に向けて贈られた言葉なんだと思ったからね。



 その日も僕は癇癪かんしゃくをおこしていた。


「いーかーなーいーでー!!」


 いつも通りだった。他のお客のことなんてお構いなしだった。


「やめてにゃー」


 彼女の台詞が毎回決まっていることに、僕は薄々気づいていた。

 子どもっていうのは、大人になると想像も出来ないことを浮かべるものだよね。

 僕は彼女が適当なことを言って流そうとしていると思ったんだ。そう思った瞬間、無性に許せなくなった。

 思いきりネコの土台部分を蹴った。


「あぶないにゃー」


 困ったような声を上げるネコ。

 構ってくれる。これをやっている間は、僕だけに構ってくれるんだ。

 両親は止めさせようとはしていたが、それはやんわりとだった。多分ロボット相手だったからだろう。


 だから僕は止まらなかった。


 何度も何度も蹴った。


「…………」


 疲れて蹴るのを止めた僕は、何やら様子がおかしいことに気がついた。


 ネコは何も言わなくなったし、まったく動かなくなってしまった。

 目の映るパネルも瞬きをせず、ただひたすらこちらを凝視している。


 故障したとは思わなかった。ただ、とても深く傷つけてしまったんだと思った。


 僕も流石に「ごめんなさい」と謝ろうとした。が、彼女的には許せなかったらしい。

 ガコンと何かが外れた音がした。僕は子ども特有の勘というヤツか、反射的にその場から離れたんだ。


 直後、ネコの上半身が深々とお辞儀をするように倒れかかってきた。かわしていなかったら思いきり当たっていた。僕はへたりこんだ。

 彼女の瞳孔は開きっぱなしのままだったが、黒目がこちらをじいっと見つめていた。

 しばらくすると、彼女はゆっくりと直立に戻って、何ごともなくキッチンへ帰っていった。


 会計の時、店長と覚しきおじさんにこっぴどく叱られた。

 この時の両親は店長に平謝りだったが、よく考えると僕は命の危機だったわけで、むしろ怒るべき場面だったと思うけど、これは責められない。僕がきっかけだったのは紛れもないことだし、色々と衝撃的だったしね。

 帰りのクルマで、僕は両親が何やらぎゃあぎゃあ騒いでるのも聞かず、ひたすらぼーっとしていたよ。



 この事件のせいだったのか分からないけど、少し後に、そのレストランは潰れてしまったんだ。



3.


「……で?」

「で、とは?」

「そのエピソードと奥さんになんの関係があんだよ」

「あの瞬間、惚れてしまったんだ。今までは可愛いペットのような扱いだったのに、急に強い抵抗を示されたあの時、はっきりと、惚れてしまった」

「随分早熟だな」

「うん、かなり早熟だったと思う」


 こいつは学生時代、どんなに誰と接しても、顔色一つ変えなかった。話を膨らまそうともしないので、男子達からは「人間嫌い」と揶揄され、女子達からも「カタブツ」「ボットみたい」と評価は良くなかった。

 俺はてっきり意地でも張ってるのかとばかり思っていた。


「いや、お前、ただ単に性癖が歪んだだけだろ?」



 ピピピ、とタイマー音が鳴った。


「ああ、時間だ。持っていくから少し待っててね」


 結局よくわからない話だったな。なんだかうやむやにされた気分だ。戻ってきたら改めて事情聴取しないとな。

 台所へ向かうアイツの顔はなぜか心からの笑顔だった。



 しばらくして、奥のほうからかすかに声が聞こえてきた。


「いまから行ってくるにゃー」


 その声は何度か聞き覚えがあった。

 台所に向かった俺を待っていたのは、彼女のずんぐりした胴体を後ろから抱きしめている男の姿だった。


「あぶないにゃー」「はなれてくださいにゃー」

「いいじゃないか、夫婦なんだから」


 パネルに描かれた目は右往左往している。

 ぷろぷるふるえて立ち往生してしまう彼女の頭を、うっとりした表情の男が撫でている。


 今までに見たことのない一面だった。


 俺はその様子をボーゼンと見つめながら、心配と安堵がないまぜになった、複雑な気持ちを抱いた。

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