第17話 加速

『次は、女子、100メートルです。出場選手はトラックに集合してください』


「おっ、やっと新島さんの出番か? アレだよな? 9秒台出たら空に向かって指さすヤツだよな?」

 

「いやそれオリンピックで有名選手がやったパフォーマンスだから。そんな規則ないよっ! ……ないよね? 秋良」


 自分で断言しておいて、無知ゆえに全く自信は無いのかシロヤギは不安そうに聞いてくる。


「心配になる必要ないよ。カズダンスみたいなもんだよ」

「お前いつ生まれだよ」


 ハードルなどが終わり、香奈がトラックのレーンに向かって出てくる。


「しかし、何と言うか綺麗な足だよな……スラッとしてるのに程よく筋肉が付いてて……」

 

「ヤナケン。それ以上は言わないほうが良いよ。普段の僕達との会話なら流すけど、今日は入江ちゃんが居るからね?」

 

「だね。変態の烙印を押されたくなければ黙っていた方がいい」

 

「あはは……」


 ヤナの言葉にシロヤギと俺が制止し、入江ちゃんが苦笑いを浮かべる。

 でもヤナが言いたいことは分かる。

 なんと言うか、アレだよね……鍛えられた女の子の足って、良いよね。

 踏まれ……いや、違う!! なにを考えているんだ! 俺はそんな変態じゃないっ!!

 そんな心の葛藤をヤナは見ていたのか、サムズアップしてきた。

 

 ――華麗にスルーした。

 

 会場には音楽が流れだす。


「あ、この曲、昔見たドラマでも流れてた曲ですね。凝ってますね」

 

「公式の大会だからね」


 学校名と選手名が読み上げられていく。

 そんな中、香奈の名前が呼ばれた。


「あ、手を上げないんだ。頭下げただけだね」

 

「昔からそうなんだよ。恥ずかしいんだろうけどね」


 シロヤギの言葉に苦笑しながらフォローする。

 紹介が終わったところで音楽が止み、静かになる。


『on your mark』


 アナウンスでその声が聞こえ、香奈たちはスターティングブロックに足を置き、地面に手をついた。


「……なんかオレが緊張してきた」

「うん、そうだね。僕も」


 生唾を飲み込むヤナと、ハチマキを手でグッと握っているシロヤギ。

 息を呑むように固唾を飲んで見つめる入江ちゃん。

 大切な友人たちが本気で応援してくれていることが分かって嬉しくなった。


『Get Set』


「……頑張れ、香奈」


 そう口にしたところで開始の銃声が鳴り響いた。


 ※ ※ ※


 パァンッ!


「――ッ!」


 いつ聞いても体が震えるこの音がわたしはあまり好きではない。でも、これが合図なのなら甘んじて受け入れる。

 走り出したわたしの体は風を切って進んでいく。

 必死に両手と両足を動かして、前へ、前へ。

 でも両隣に人が居るのが分かる。同じく風を切って必死に走っている。


(負けたくない……)


 負けられない。


 時間の流れが遅くなった視界の中で、わたしは前を見据える。

 感覚的に50メートルを進んだ頃だろう。

 動け、動け、動けッ!

 走れ、走れ、走れッッ!!

 もっとはやく、もっと速く、もっと疾くッッッ!!

 それ以外に何も考えちゃだめだ。

 背後にはわたしを捕えようとする敵がいる。

 速度を落としてはダメだ。死にたくないのなら走れッッッッ!!!


「ッッ!!」


 わたしは今まで鍛えてきた体の筋肉全てを使って一歩を踏み出す。

 加速する。グンッと体が今まで感じたことのない大きな風を受けた。


(いけるっ!)


「なっ!?」

 

 背後を走る選手からそんな驚きの声が漏れるが、わたしは構わず突貫する。

 もう両隣には人の気配が無い。

 前には誰も居ない。

 油断なんてしない。

 わたしはわたしが持ち得る全てを使ってゴールラインを駆け抜けた。


 ゴールラインを踏み越え、息を整える。

 重い頭を動かして記録を見ると、驚きの数字が目に入った。

 わたしの自己ベストなんて比ではない。

 会場も大きくどよめいている。

 

 でもそんなことはどうでもいい。

 全ては一人だけのために。

 その人物のいる客席に視線を向ければ、わたしの視線に気が付いてくれたのか、驚きつつも優し気に微笑んでくれるのだった。


 よかった。期待には応えられた。

 足は痙攣したように震えているけど、心地いい。

 心臓は激しい律動を伝えてくるけど、勝利のドラムロールのようで頼もしく感じた。


 ※ ※ ※


「タイムはっ!?」


 俺は思わずベンチから立ち上がってタイムを見る。

 周囲の応援団の人たちも息を呑んでその数字を待つ。


『10.92』


 その数字が出た瞬間、周囲はどよめいた。

 俺も何も言えず口を開いたままだ。


「なんだ!? すげぇのか!?」


 ヤナが立ち上がって俺の肩を掴む。

 シロヤギや入江ちゃんも俺の次の言葉を待つように黙っている。


「……大会新記録……だよ……」


 俺が溢すように口にした言葉にヤナは「……は?」と口にした。


「だから、大会新記録。というか女子陸上の、日本新記録……」


「「「……はぁ!?!?」」」

 

 ヤナ達の声は静まり返った会場に響いた。

 それに続くように会場からは祝福の声と大きな拍手が轟いた。

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クロッカスの残り香 @shirakisyu

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