第16話 陸上大会

 しばらく代わり映えのしない日々が経過し、夏の匂いが濃くなってきた。

 梅雨も間近に迫り、天気予報には雨マークが多くなってきているが、今日は清々しいほどの熱波が俺の体に降り注いでいた。


 週末。本日は香奈の陸上大会の日だ。

 応援のため、既に会場入りしている俺とシロヤギ、そして手伝いで遅れてやってきたヤナと入江ちゃんは観客席に座って香奈の入場を待っていた。

 弥生さんも誘ったのだが今日は来ていない。最初こそ乗り気でウキウキだったが、外に出た瞬間にゲル状になって人間の姿を保てていなかった為、お留守番だ。

 引きこもりお姉様は自身の体を恨めしそうにしていた。

 

 既に開会式は終わっており、今はウォーミングアップをしているところだ。


「しかしあっちぃなぁ。なんだこれ、今ってまだ梅雨前だよな? 真夏並みじゃねぇか」

「言うなヤナケン。思い出すだろう?」


 ヤナは炭酸飲料を、シロヤギはコーヒー牛乳を飲みながら死んだ顔で汗を流している。

 

 シロヤギはともかく、ヤナは「暇だったら行くわ」と乗り気じゃない連絡が来て、それでも実際暇だから来たらしいのだが……入江ちゃん特製のハチマキを頭に付けている。男性陣の誰より乗り気だ。


「こういう大会に来るの初めてだけどよ、結構応援とか多いんだな。高校とかでもこんな感じだったのか? アキラ」

 

「そうだね。高校では保護者が多い感じだったけど、大学は学生の応援団が多い印象かな」


 俺は周囲を見ながらそんな感想を口にする。

 親御さんたちも来ているが、それでも学生の方が数が多く見える。


「木戸先輩は今日出場する新島先輩と幼馴染なんですよね? 応援とか結構行ってたんですか?」


 入江ちゃんは豆乳の紅茶味で喉を潤しながら聞いてくる。


「うん。香奈の場合はおばさん……あぁ、香奈のお母さんが熱心でね。お世話になってたから一緒に行くことが多かったよ。俺は部活もやってなかったから時間はあったしね」


 紗季と一緒に応援したこともあった。

 その時は何故か香奈の成績が落ちていたけれど、それでも一生懸命応援していた。


「俺あんま知らねぇけど、カナちゃんって結構すげぇんだろ?」

「そうだね。高校の頃はスカウトとか多かったよ。今でも……ほら、あそこの席」


 俺はデカいカメラを手にしている集団を指さす。


「未だにああやってスカウトの人たちが来てるんだ」


 と言っても、香奈だけではなくほかの選手も見に来ているのだろうけど。

 その集団を見たヤナは「ほー」と感嘆の息を出す。


「こりゃ全力で応援しねぇとな。おいミリオタ、祝砲とか持ってねぇのか?」

 

「持ってないよっ! というか持っててもスタート音と間違えるし怒られるよ!」


 そもそもあれはミリタリー関係ないっ! とシロヤギはヤナに説明するが、説明されてる本人は興味なさげにコーラを飲んでいた。

 そんな二人のやり取りを見て俺と入江ちゃんが笑っていると、アナウンスでうちの大学の陸上部の名前が呼ばれ、グラウンドに視線を向けた。

 香奈はいつもの眠たげな顔でウォーミングアップをしていた。慣らす感じでグラウンドを軽く走っている。


「やっと出てきたかぁ。しかしこんな暑い中大変だよな。オレ運動部じゃなくてよかったわ」

 

「今の時期は熱中症とか多いもんね。あ、僕ジュース切れたから自販機に行ってくる。何かいる? ついでに買ってくるよ」


「じゃあ、俺は烏龍茶で」

「オレはコーラ」

「私は……って、先輩にそんなことはさせられません。私が行きますよ」


 入江ちゃんはベンチから立ち上がってシロヤギを止める。

 苦笑いしたシロヤギは手を横に振った。


「気にしないで、僕先輩とかそう言う年功序列が苦手なんだよ」

 

「そう、ですか? すいません。では私はミネラルウォーターお願いします」

 

「わかったよ。烏龍茶にコーラにミネラルウォーターね」


 何度もその言葉を呟きながらシロヤギは観客席から出て行った。


 ※ ※ ※


 わたしはグラウンドでウォーミングアップをしていた。

 今日は大学二年目、初の陸上大会の予選。

 今までの人生ずっと走ってきたようなわたしだから大会というだけで気合が入る。

 でも、私が挫折することなく走ってこれたのはそんなプライドだけじゃない。

 応援席に視線を向ける。


「……あっ」


 アキがいた。いてくれた。

 視線に気が付いたのか手を振ってくれる。

 わたしも部長に気付かれないように小さく手を振り返す。

 しばらく手を振り合っていたけど、青柳君が両手いっぱいに飲み物を抱えてアキ達に合流すると視線がはずれた。

 少しさびしい。でもちゃんと見てくれているというだけでわたしにとっては十分だ。


「集合っ!」


 部長がおおきな声でそう口にする。

 体は温まった。心も温まった。

 わたしの体は今が絶好調。

 自分に言い聞かせながら部長の指示でグループごとに分かれる。

 わたしが出場するのは100m個人とメドレーリレーのアンカー。


「頼んだよ。香奈」


 部長がそう言って私の肩を笑いながら叩いてくれる。

 それに頷くことで応える。

 まだ競技まで時間があるから体を冷やさないように軽く走ろうかと思っていた時、他校の選手がわたしに近づいてきた。


「久しぶりね香奈。元気にしてたかしら?」

 

「……だれ?」

 

「あたしよ! 佐倉凛っ! 中学、高校、大学、いつも全国大会で顔合わせてるでしょう!?」

 

「……そうだったっけ」


 全く覚えていない。

 他の選手は全員敵だから顔なんて覚えない。


「今日こそあなたに勝って見せるんだから、覚えてなさい」


 言いたいことだけ言って桜? 咲良?……さんはどこかへ行った。


「…………それは無理」


 わたしがアキの前で負けることはないから。

 ……さあ、準備は万端。

 見てて、アキ。絶対勝つから。

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