第15話 真作と贋作
「こんにちはー」
バイト先のアンティークショップの扉を開きながら店主に声を掛ける。
「こんにちは。久しぶりね、秋良くん」
「はいはい、お茶ですね……えっ!?」
弥生さんがマトモだっ!
いつもの某ホラー映画に出てきそうな、長髪をテレビではなくテーブルに掛け流している様子はなく、しっかりと座っている。
何があったっ!?
「あの……らしくないですね」
「私だってたまには真面目にやるわよー」
口を尖らせてため息を吐く弥生さん。
もしかしてアレか? 俺が一週間もバイトに来なかったから怒ってる……又はクビとか言うアレか!?
まずい、ここは誠心誠意謝り倒して許してもらわないと。
「すいませ――」
慌てて頭を下げたところで、背後の出入り口が開いた。
「こんにちは」
「安田さん。いらっしゃいませ」
常連の安田さんだった。
歳は30半ばというところの出来る大人の男という雰囲気を持つナイスガイだ。
「ほら秋良くん。奥で着替えてきなさい」
「……あ、はい」
なるほど、安田さんが来るから今日はしっかりしていたのか。
安田さんは手に入れたけれど飾る予定の無い絵やツボなどの骨董品を持ち込んでくれたり、逆に店にある物で気に入った骨董品を買って行ってくれるお得意様なのだ。
そして、弥生さんの事を気に入っている、という印象を勝手に持っている。
確かに美人だし、たまにはしっかりしているし、性格も良い意味でも悪い意味でも穏やかだ。
俺にとっては優しいお姉さんという印象が持てるため、ちょっとジェラシーを感じる。
だってまんざらでもなさそうなんだもんっ。
『本日はどのような物を?』
『先日海外のオークションで手に入れた絵なんですが、弥生さんに真贋を確かめてもらいたくて持ってきたんです』
『なるほど……』
表からそんな会話が聞こえた。こういう依頼もよくある。
伊達に骨董屋を営んでいない弥生さんの見る目は本物だ。
物に値段を付ける仕事をしているのなら、偽物に引っかからない嗅覚と、本物を見分ける目が必要である。
そこら辺の自称芸術家などの心の篭っていない落書きに価値を付けてしまう鑑定士よりずっといい。いや、そんなのと比べるのは流石に弥生さんに失礼だ。
『えーっと、作者はモネ?』
『はい。オークションではそう聞きました』
「へぇー」
思わず俺が声を上げてしまった。
クロード・モネ。超有名な画家だ。
印象派を代表するフランスの画家であり、別名【光の画家】
時間や季節とともに移りゆく光や色彩の変化を生涯にわたり追求した天才。
光に憧れた画家が最後に描いた人物画【パラソルを指す女】は様々な批評がある。
あの作品は顔が無い人物画であり、おれは『女性を通して一瞬の光を描こうとした説』を信じている。
今ではその真偽を知ることは出来ないけれど。
『これは【ラ・グルヌイエール】の刷りですね。本物はメトロポリタン美術館にありますから。本物か偽物かで言えば偽物ですが……この刷りは非常に綺麗です。値段としては二十万円といったところです』
『やっぱりそうですか……』
落札価格と同じくらいだったのだろう。安田さんは少し落胆したような声で頷いた。
『こちらで買い取りましょうか?』
『いえいえ、持ち帰ります。それと、実はもう一つありまして……というより、こっちが本題でして……』
俺は制服に着替え終え、表に出る。
弥生さん達の邪魔にならないように店前の掃き掃除でもしようとしたところで驚きの名前が出て足を止めた。
「これは……早乙女佳代の作品?」
「ええ、そうです。オークションではそのように」
偽物だとは思うのですが、見逃すには惜しい美しさだったので、と安田さんは付け加えた。
早乙女佳代。現代に生きる天才画家だ。
歳は18歳。彗星の如く現れた彼女は、8歳の頃から様々な賞を受賞しており、一番の有名作【泉に立つ白鳥】は十三億円で落札されている。
完全に別世界の年下の少女。
高校三年……今は大学一年になったのか。姿をあまり世間に晒していないため本人の姿を見た記憶はない。
どんな人なのだろうか。やっぱり天才の名に恥じない奇行の目立つ不思議ちゃんかな?
そもそも芸術家という人種とは今までの人生の中で接点を持ったことが無いからわからないが。
「…………」
弥生さんは食い入るようにその絵に視線を落としている。
俺の位置からでは絵は見えないが、そんなに良いモノなのかな。
長い静寂ののち、弥生さんは口を開いた。
「……本物ですね、これ。複製でもなく、本人が書いた真作ですよ」
「えっ!?」
マジかよっ!?
安田さんとは違って声こそ上げなかったが、正直目玉が飛び出しそうだ。
「これ、いくらで落札しました?」
「え? あ、三百六十万円です」
「私は美術商ではないので正確な金額は言えませんが、持って行くところに持って行けば5倍くらいにはなると思いますよ」
正直に話しちゃっていいのか弥生さん。
適当に理由をでっちあげて元金で買い取ったほうが利益になるだろうに……いや、それは俺の心が汚れているのか……。
安田さんはしばらく考えるように顎に手を当てる。
「……こちらのお店では幾らほどで買い取っていただけますか?」
「そうですね。落札価格を抜きにして、商品価値で七百万円ほどですね」
弥生さんの言葉を聞いた安田さんは、また長考したのち笑みを見せた。
「では七百万円で買い取ってもらえませんか?」
「……いいんですか? 他のお店なら数倍以上の高額で買い取ると思いますが」
「構いません。美術品の収集は僕の趣味ですが、もうコレクションもいっぱいなんです。このまま倉庫に入れっぱなしにするよりは、この絵の価値が分かって大事に扱ってくれる人の手に渡る……それが一番嬉しいですから」
隠れた名店とも言われるこの店に来るのは、しっかりとした審美眼を持つ人たちが多い。だから弥生さんに買い取っていただきたい。
そう言って安田さんは小切手を受け取って去って行った。
帰り際に「秋良くん、いつもお疲れ様」と渋い笑顔で立ち去っていき、格好良すぎて目からハートが飛んだ。
「秋良くん。早速この絵を飾ってもらえる?」
「わかりました。どの辺が良いですかね? 目立つところですか?」
「……いえ、複製画の隣にでも飾っておいて」
「え? 複製画の隣ですか?」
思わず聞き返した。
この店には真作――作家が描いた本物の絵を飾るコーナーと、複製画などが置かれているコーナーがある。
早乙女佳代の作品ともなれば、十分に店の売りとなる真作コーナーに置くべきだ。
俺の疑問を理解したのか、弥生さんは頬に手を当てながらニヤニヤとする。
「明確に場所を分けてるわけではないのよ。ただ分かりやすいように置いているだけでね? この絵は本当に価値の分かる人に売って欲しいってことだったから、偽物の中に紛れても見つけられる人に渡すべきなのよ」
「あっ……」
そうか。そういうことか。
確かに贋作コーナーには近寄りもしない人もいる。
だが、この絵は人を引き付ける魅力がある。俺が買いたいくらいに。
贋作の中にあっても尚、この作品を手に取る人こそ持ち主にふさわしいということか。
「秋良くんその絵欲しいの? 売るとしたら特別価格一千万円でいいわよ」
じっと絵を見ていた俺を見て、弥生さんは笑う。
「人の心を読むのやめてください」
「取引は交渉よ? 腹の探り合いに、な……れ…………ふしゅ~……」
とうとう真面目モードの限界に来たのか、ふしゅ~と空気が抜けた人形のように弥生さんはカウンターに伏せった。
「あ~疲れたぁ。眠たい眠たい。秋良くんお茶入れてぇ~」
「……はぁ。はいはい、わかりましたよ」
ゲル状になりかけている弥生さんにため息をつく。
さっきはあんなに綺麗なお姉さんだったのに。
だが、少しだけいつもの弥生さんの姿を見て安心したような気持ちになった。
我ながら現金だ。
絵を贋作コーナーに立てかけて値段未定の札を下に置き、キッチンへと向かった。
後に、この絵により奇跡的な出会いがあるなんて、考えていなかった。
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