第8話 蓮華の里帰り
「蓮華怖くないか?」
「ううん大丈夫」
城の麓で用意してあった馬の背に乗った昌繁は、蓮華の手を取り馬上へと持ち上げ昌繁の前に座らせる。
おっかなびっくりな蓮華を支えるように後ろから腰に手を回し手綱をぽんと打つ。
馬はカッポカッポと歩き出す。
「……」
「……」
二人は馬に揺られ緊張していた。
昌繁は蓮華を必然的に抱きしめている形になりドキドキし、蓮華も同様だった。
初めて乗った馬の背の高さに驚きつつも、背中に昌繁の体温と汗の匂いを感じているため妙な安心感がある。
しかし、この密着感は蓮華を茹で上げるには十分だった。
先ほどは良い雰囲気を虎繁に邪魔されおかんむりだったが、結果としてこうして抱きしめられている。そもそもがこうして父親以外の男性の温もりを感じたのは初めてであり、それが年頃の意識している男性に抱きしめらているだけでなく。外出も久しぶりなため蓮華の胸は高鳴っていた。
馬はゆっくりと村の中を進んでいく。
村人たちは馬に二人乗りする若い男女を見て無粋な視線を送ってくるが、傍らの女性が蓮華だと分かると驚愕と怯えに変わる。
しかし、そんなことを気にする余裕は二人にはなかった。
密着する異性を互いに意識し合い無言のまま馬はゆっくりと進む。
「そろそろ大圓寺だ」
「……うん」
目的地のお寺に到着する。
馬から降りるのが名残惜しいがそうもいってはいられない。
というか馬を下りてからも私の心の蔵は高鳴っていて全然落ち着かない。
手綱を木に結んでいる彼の顔が眩しい。
「これはこれは珍しいお客様ですね」
「っ!」
振り返るとそこに居たのはこの寺の住職である
「和尚、彼女は!」
昌繁は蓮華を庇うように蓮華の前に立つ。
「これこれ勘違いするでない。わしはお嬢ちゃんに害為す者ではない。ただ意外な人物が訪ねてこられて驚いているだけじゃわい。その証拠にお嬢ちゃんの守護獣は落ち着いておるじゃろう?」
「……確かに、失礼しました」
「よいよい。立ち話もなんじゃ、ささ中へお入りくだされ」
本堂の奥の間に希菴は客を迎え入れる。
そこには旅支度と思しき編笠や草鞋が用意されていた。
「……その荷物、旅支度ですね」
「これかの? そうさね、この辺もきな臭くなってきたし伊勢辺りに行こうかと思うての」
「伊勢? 何故です。御屋形様の元へ……甲斐恵林寺へは戻られないのですか? このままでは御屋形様の怒りを買い殺されてしまいますよ」
「もう手遅れじゃて、じゃから危険に晒される前に逃げるのじゃ。それともこの場でわしを捕縛するかの?」
「それは……」
「のう秋山の坊主よ。信玄公と信長公、武田家と織田家どちらが強き者と見る?」
「それはもちろん御屋形様擁する武田家でございます」
「まあお前さんならそう答えるよのう。確かに甲州兵は屈強じゃし歴戦の将も揃っとる。戦となれば武田が勝とう。じゃがの戦は屈強な将兵だけがするもんじゃあるまい。岩村城を陥落させたのは武力だけではなかろう。何故古来から戦が起きるのか分かるかの?」
「豊かな土地、食料を求めてですか」
「そうじゃ。これまでの戦は食料を得るための戦じゃ。――が信長公は銭を求めて人を戦へ駆り立てる。銭の力で経済を国を動かしておる」
「銭なら甲州には金山がありまする。莫大な戦費も鉱山がある限り心配には及びません」
「そうさの、じゃがそれだけじゃ。銭が銭を生むことはあるまい。局地的には武田が有利になろうとも大局的には織田家が勝利しようぞ。それにわしの見立てでは信玄公はそう長くも持つまい」
「希菴和尚!」
「これは失言したの。しかし覚えておくがよい。甲斐の方角には暗雲が、不吉な邪気が立ち込めておる」
「邪気……? そのような世迷い言を和尚ともあろうお方が言われるのですか」
「世迷い言か、お前さんの隣にいる娘の力を知らぬわけでもあるまい。それでも世迷い言と言うならわしは何も言うまいて」
「……」
昌繁は黙り込んでしまう。
「それよりもじゃ。嬢ちゃんも良い人物と巡り合えてよかったの。わしも心配してたんだぞい。村人は恐れるかもしれんが皆未知の力を恐れておるのじゃ。辛いかもしれんがきっと良いことも起きるというものよ」
「希菴様……」
「まあそういうわけでわしはしばらく旅に出るで、嬢ちゃんもたまには親父さんに顔を見せておやりなされ。あれも何だかんだで嬢ちゃんを心配しとるだでな。結納はまだにしても報告くらいはしとかな」
「ゆ、結納って……私たちは……」
「ほっほっほ。いらんせんしょ(お節介)じゃったかの」
結納とか婚姻とか自分には縁のない物だと思っていた蓮華は赤面する。
「こんなご時世じゃ好きなもん同士が結ばれるならめでたいことだて、ここまで来たついでに親孝行と思うて親父さんに会いなされ」
「はい」
希菴和尚の勧めもあり二人は蓮華の実家にやってきた。
「……蓮華なのか」
「おっ父……ただいま……」
「……お帰り」
父親に売られた身である蓮華だが、そこはやはり父と娘である。互いに再開を嬉しがる親子に感慨深いものを覚える昌繁であった。
蓮華の父親の名は幸平と名乗った。
「何もない家ですがゆっくりしていってくだされ」
「お構いなく」
蓮華の実家は恵茉郡の名主であり、そこそこ裕福な家である。一人娘を愛し可愛がったいたものの『憑きもの』である娘が起こした事件がもとで愛娘を幽閉、領主に売った罪の意識があった。
しかし、やはり愛娘は可愛いと見えてとても嬉しそうだった。
「蓮華今日は泊っていけるのかい?」
「それは……」
蓮華はチラっと昌繁の顔を見る。彼はこくんと頷いてくれる。
「お邪魔でなければ……」
「邪魔だなんてここはお前の生家なんだから遠慮しなくていいんだよ。それに……昌繁様も自分の家だと思って遠慮なさらずにくつろいでくだされ」
「おっ父……」
昌繁は蓮華の実家でささやかながら歓迎を受けた。
「昌繁様、娘を連れだして頂きこうして会うこともできました。蓮華は少々特殊な過去があり心配していたのです」
「幸平殿、顔をお上げくだされ、娘さんは村人が何と言おうとこの昌繁がお守りしますのでご安心を」
「おおっありがたきお言葉。それはつまり娘を嫁にもらってもらえるという意味でよろしいですかな? もちろん昌繁様がお嫌でなければですが」
「嫁って……おっ父まで……もう……」
「おや? 二人はそういう仲ではないのかい?」
「………」
「………」
「その様子では孫の顔は当分先のようですな」
「おっ父の馬鹿……」
「孫の顔はともかく、惚れた女子を悲しませることはしたくありません」
“惚れた女子”その言葉は蓮華の顔を真っ赤にしてあたふたさせるには十分であった。
父親もその反応に笑みを浮かべるのであった。
「蓮華ちょっと待っていなさい」
昌繁と酒を酌み交わし親交を深めた父親は部屋の奥にある
「おっ父……それは」
蓮華も見覚えもあるその箱、その中身は――蓮華の母親の形見である翡翠の勾玉であった。
「蓮華これを持っていきなさい」
「でもこれはおっ母の形見で大事にしてたものじゃ……」
「そう。大事にしていた物だからこそお前に授けたいのだよ。世間の手前もあり表立って祝ってやれない情けない父親からの祝言の品だと思ってくれ」
「おっ父……ありがとう。大事にするね」
「ああ、亡き妻も喜ぶだろうて」
昌繁は勾玉を握りしめる蓮華を見てそっと幸平に頭を下げるのであった。
その日はそのまま蓮華の実家に泊まることにした。
◆
「昌繁様、昌繁様、朝ですよ!」
私は毎朝こうして昌繁様を起こすのが日課であった。それは実家での朝も一緒だった。
まだ半分寝ぼけている昌繁様を揺り動かす。
普段は寡黙で凛々しい殿方も寝ている姿は可愛らしいものがある。
「う、うぅぅん……おはよう」
「良く寝れましたか? おっ父も待ってるので朝ご飯をいただきましょう」
「ああ」
雑穀米とお味噌汁の簡単な朝食を食べ、おっ父の手伝いをしているときだった。
外が騒がしい、家から出ると煙が見える。どうやら火事のようだ。
「あの方角は……まさかお寺様が燃えてるだか」
「寺? まさか焼き打ち? 蓮華俺はちょっと様子を見てくるお前はここにいろ!」
「う、うん」
昌繁様はそう言うなり馬に乗り駆けて行った。
その姿を見てどうにも嫌な感じがする私は昌繁様の後を追った。
私が燃える大圓寺に着いた時には火の手は本堂の他、境内の全ての建物に燃え広がり全焼は間違いなかった。
「昌繁様は? 昌繁様はどこに居るの?」
辺りを見回しても野次馬ばかりで肝心の昌繁の姿が見えない。
まさかこの中に? それなら彼の馬はどこに?
「
私は影に潜む獣にそう問いかける。
「うむっ、主様の気配ならあっちの方からするぞ」
「案内して!」
私は璃瑠の言う方角へと駆け出した。
ああっ昌繁様無事でいてください。そう願わずにいられなかった。
貴方と私の絆 ~悠久の記憶~ たぬきねこ @tanunyanko3301
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