そして日の巫女は王となる

白雪花房

日輪

 始まりは平穏だった。

 皆で協力して狩りをして、集落を作り、家族になった。大陸から持ち込まれた技術を用いて稲を作り、米にする。村の暮らしは豊かになり、皆で笑い合った。そんな日々が続くと信じていた。

 しかし、国は戦乱の渦に飲み込まれた。

 豊かになれば差が生まれる。人々は奪い合い、殺し合った。

 地に武器が転がり、血が飛び散る。バタバタと人が倒れていった。また一つ、集落が消える。穴を掘って建てた家は壊され、高倉も荒らされた。人の頭には槍が刺さり、女も子どもも構わず殺される。

 そんな世の中だった。


 本当に平和な時期があったのだろうか。

 だけど、皆が力を合わせて生きていた時期は確かにあった。

 結局は夢に見る程度。前世の記憶を手繰り寄せるようにまた、思いを馳せる。

 堀と柵に囲まれた屋敷の中。柱と柱の隙間からは夜空が覗いている。漆黒の空を見つめていると、心まで暗闇に取り込まれてしまいそうな悪寒がした。瞬きを繰り返している間に星が流れる。ひゅうっと冷たい風が吹き込み、裳が揺れた。

 今日もまた命が流れる。

 たいへん痛ましい。無性にかつての自分に戻りたくなった。


 祭祀場の中は暗く、明かりは松明の炎のみだった。

 中央で一人の女が舞いを踊る。手には柏手。肩には領巾をかけ、タスキを締めた姿は神秘的な空気感をはらんでいた。天の使いに近しい娘の姿は見る者を魅了する。


 荒ぶる魂よ静まり給え。

 穢れは祓い清められ、暗黒の国にて眠りにつかん。


 奈摘女という名の巫女の舞いが終わると、あたりは一気に静まり返る。

 死した魂は地中深くに潜り込み、蘇りを待つのみ。


 彼女は祈りの行程を終え、凛とした様子で立っていた。疲れは感じさせず、肌には汗すら浮かばなかった。


 夜は明け、空は晴れ渡る。

 温暖な気候も相まって、過ごしやすい。

 奈摘女は楼閣にて清々しい風を浴びていた。そこへ鮮やかな色の衣を着て、勾玉の首飾りを身に着けた少女がやってくる。裳を引く姿は奈摘女と同じ巫女らしさにあふれていた。

「おつかれ様」

 あどけない顔つきの少女は、にこやかに声をかける。

「ええ、伊予」

 二人で並んで、同じ風景を見る。薄い青色に染まった空はどこまでも清らかで、心まで洗い流してくれそうだった。

 山の向こう側では煙が上がっている。くすぶったような濃い匂いが風に乗って、漂う。空気が鋭さを増したような気がした。奈摘女は遠くを見るような目をして、いつまでも柵の内側に立っている。

「皆争い、死んでいく。大王もまた戦いの中で命を落とした。どうか、安らかに」

 ここ数十年、戦が続いている。

 継承を巡っての争い。誰が王になっても、国は滅ぼされる。世界は乱れていた。

 巫女である限り、争いを物理的に止めることは敵わない。いつも祈りを捧げてばかりだ。そのもどかしさは胸の中で膨れ上がる。憂いを秘めた横顔は青白く、一層美しさに拍車を引き立てていた。



「そのことなのだけど、姉様を共立するという話が出ているわ」

 唐突に横から言葉をかけられる。

 菜摘女はえ? と驚きの表情をして、そちらを向いた。

「姉様ならできるわ」

「私などでいいのかしら」

 戸惑いを隠せない。

「ええ。だって、姉様は特別な方なのだから。姉様が着てからというもの、私は補佐ばかり。完全に仕事を奪われた形になります」

 彼女はただ尊敬の意味だけを込めて、言葉にする。

 伊予は奈摘女を姉として見ている。奈摘女自身も初めて顔を合わせたとき、自分と似ていると感じた。

 ただし、印象は相手とは真逆だ。なにも知らず、右も左も分からない彼女を、伊予は導いた。ゆえに奈摘女にとっては伊予が先輩であった。

「王になるのならあなたしかいないわ。皆、姉様なら従います」

 まっすぐに菜摘女を見つめ、熱のこもった目をする伊予。

 菜摘女は目をそらせなかった。


 どうしてこんなことになってしまったのだろう。

 昔は彼女も普通の村娘だった。どこにでもあるこじんまりとした集落で育った。織物をし田植えをし、木の実を拾った。柵の外から出ずに生活をし、細々と生きてきた。貧しい日々だったが、なぜか今よりも満たされていたように思う。

 あるとき、村同士で戦が起きた。男たちは武器を持って、戦いに挑んだ。その中には幼馴染の少年も混じっていた。菜摘女としては気が気ではなく、夜も眠れず、月に向かって祈った。どうか、皆が無事に帰ってきますようにと。

 満ちた月の透明な光が差し込む日だった。願いを言葉に乗せてつぶやくと、目の前に光が降りてくる。それは一瞬で消えた。

 次の日、彼らは帰ってきた。皆、無事、勝利を収めたのだ。

 最初は偶然かと思った。だけど、その日から神の声が聞こえるようになったのだ。日照りが続く日に祈りを捧げれば雨が降り、豊穣の舞いを踊れば、作物が実る。村は繁栄した。

 菜摘女は皆から頼りにされ、巫女として担ぎ上げられた。特別な力を秘めた娘の存在は他の地方でも名が知れ、ついには使者すら現れた。

 少女は村から連れ出されて、国にやってくる。


 巫女として祈りを捧げる日々。祭祀に努め神に仕える。

 地位は約束されてはいるものの、この地に降り注ぐ血の雨を止めることはできない。ただ、終わっていくのを待つだけなのか。

 悲観の気持ちが胸をかすめたとき、また新たに煙が上がる。山の向こうの平地。川の近くに見える小さな村に火の手が上がった。


「あれ……もしかして」

 先に伊予が声を出す。

 菜摘女はしばらくの間、ぼうぜんと立ち尽くしていた。信じられない。信じたくはない。勘違いだと思いたかった。

 だけど、その位置は、炎に包まれた場所は、おのれの故郷だ。生まれ育ち、一族と共と暮らしてきた場所。二度と帰れないと分かってなお、夢に見た世界だった。

 自然と眉が寄り、表情が曇っていく。急に泣きたくなった。今にもその場に崩れそうになる。


 頭に浮かんだのは幼馴染の青年。布をまとったような格好をした彼だ。髪は短くて、つんつんとした毛をしている。目は一重だが凛とした光を放っている。体は鍛えられていて、見ていて惚れ惚れするほどだった。

 村を出るとき最後に会ったのが彼だった。

 川を背にせせらぎを聞きながら、柵の外で二人は向き合う。彼は三本の嫁菜を差し出した。贈り物の意味を彼女は知らない。だけど、きっと特別な意味があるのだろう。心にはほんのりと温かな気持ちが流れ込んだ。

 花は数日で朽ちた。今は形すら手に入らない。だけど、淡い思い出は菜摘女をいつまでも包んでいた。

 いつか、会いに行こう。彼の顔をもう一度見たい。祈り、夢を見た。けれども約束の日は訪れず、目の前で灰になろうとしている。


 瞠目し凍りつく。

 終わりを感じ取った。

 もう二度と会えない。今度こそ、砕け散った。花も家屋もなにもかも。

 また、川辺で笑いかけていた彼の顔を思い出す。


――「戦いたくない、争いがなくなればいいって思いながら武器を振るうとか、おかしいよな。君はせめて、魂のそばにいてくれ。託したいんだ、この世の平穏を。かつて俺たちの村が君に守れていたように」


 真に守りたかったものはこの世から消え去ろうとしている。そこに手を伸ばしても、届かない。

 嘆きの声が口から漏れた。

 菜摘女は崩れ落ちる。鮮やかな色の裳が床に広がる。地に落ちた花のようだった。



 その日の夜は静かだった。闇は深く、空は濃い青に染まっている。祭祀場は清浄な空気に包まれている。

 心が波立っていた。脳裏には炎の情景が広がっている。それは夕焼けのように広がり、村を包んだ。

 ああ、どうか。生きていてほしい。祈るように心の中でつぶやいた。

 刹那、目の前に光が降ってくる。それは月の光のように女に降り掛かった。遅れて脳裏に何者かの声が響く。

『我が声を聞き届ける巫女よ、王となれ。そなたが統べれば戦は止み、国は安定する。さあ民を導くのだ』

 これは神託だと、透明な声は言った。

 菜摘女は目を伏せ、じっと構えている。

 今はまだ、迷いがある。政に縁遠かった身、いくら神の声を聞く者であったとしても、本当に王としてやっていけるのかと。

 ああ、だけど。今までもこうして黙っているだけだった。なにもできない自分のままではいけない。真に平安を目指すのであれば、神の声に従うほかない。

 なにより、彼女は知っていた。自分と同じように平穏を願っていた青年のことを。

 彼と一緒に見上げた薄い青色、星の輝きに彩られた空。ときには水辺を駆け回って、木の実を分け合い、楽しんだ。

 彼は確かに託したのだ。この世の平穏を、戦の終わりを。

 もしも彼が生きているのなら、その平穏を届けなければならない。彼がこの世にいないとしても、望みを果たす必要がある。

 やるせない思いから立ち直るように、女は顔を上げた。

「承りました。必ずよ国を平定し、平穏をもたらしましょう」

 彼女の胸には使命感の炎が宿った。

 やると決めたからには後戻りはできない。

 神は答えなかった。神秘的な影が消えゆく気配がする。そこをあえて引き止めるように、問いを投げた。

「あなたの名は?」

 その声は答えた。

『天を照らす大神だ』

 天照大神。

 その名を聞いた瞬間、脳が震撼するほどの衝撃を受けた。大きく見開いた目の中で、瞳が揺れる。ああ、あの貴い方とようやく出会えた。巫女の行いは天と地を繋ぎ止めるような偉業なのだ。そうと実感すると、特別な喜びが胸にこみ上げてきた。

 菜摘女が口元をほころばせる一方で、天の声は止んだ。

 静寂に包まれた祭祀場にて、彼女はいつまでもそこに留まっていた。清められた空間にはいつまでも神聖なる空気が垂れ込めていた。



 菜摘女は王となった。

 戦火は止み、風は穏やかな空気を国に届ける。草木は青く茂り、稲はよく実る。国には平穏と豊穣がもたらされた。全ては彼女の持つ光が混沌とした闇を照らしてくれたからだと、人々は言う。

 けれども巫女は人々の前に姿を現すことはなかった。一〇〇〇をも越える侍女を抱えながらも、身の周りのことは一人でこなしてしまう。宮室の奥にこもり、祈りを捧げる。彼女の素顔を見た者は誰もいない。

 時折、伊予が様子を見に来る。

 あるとき彼女は尋ねた。望みはないのかと。巫女は少し迷って、こう答えた。

「会いたい人がいる」

 果たせぬ望み。絶対に叶わないと分かっていながら、口に出さずにはいられなかった祈りだ。

 伊予は顔を伏せた。だけど、すぐに顔を上げ、凛とした顔で次のように話した。

「分かったわ」

 はっきりと口にするなり背を向け、立ち去った。



 ある日のこと、不意に戸が開く重たい音が鳴った。外側から太陽の光がすっと差し込む。巫女は目を見開き、そちらを向いた。

 守衛に挟まれるような形で、一人の青年が立っている。短くつんつんととした頭に、精悍な顔立ち。鍛えられた肉体。格好はかつて見た布一枚の姿。それは確かに自分が求めた青年だった。

 二人は無言のまま、見つめ合う。

 胸に熱い思いがこみ上げてきた。言葉にならないほどの感動。唇が震え、自分が今生きていることすら信じられなくなった。

「会いに来たんだ」

 彼は口元を緩めて話した。

 彼女は彼の目を見て、そっと近寄る。

「無事だったのね」

「当然だ。俺には君がついている」

 彼は笑った。

 巫女の口元にも笑みがにじむ。

 初めて彼女は笑った。


 その日から巫女には弟がいると話題になった。

 無言の扉の奥に彼だけは入ることができる。

 青年の正体を侍女たちは知らない。


 巫女は崇められ、死後もその名は語り継がれる。

 日巫女として。

 人々は常に天を見上げて、彼女を想っていた。

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