第4話 Cuore di amato

「篠宮雨人、ですか?」


 数日後、再び工場を訪れた蕾花は晴人にその名を尋ねた。晴人は困惑した様子で茶色い髪を指ですいた。


「ええ、まぁ……。雨人は私の双子の兄です。誕生日は一日ずれているんですけど」

「今お兄さんは?」

「亡くなりました。もう十年も前のことになります。不慮な事故で……」

「事故? どんな?」

「えっと……なんと言いますか……」

「教えてください。Amatoとお兄さん、似てる気がするんです。その理由が気になってて」


 晴人が視線を泳がせていると、ディスプレイがピコンと鳴る。見ると黒いウィンドウが立ち上がっており、ひとりでに文章を紡ぎ出した。


――もういい、晴人。

「もういいって、何を……」

――その人は私の正体に感づいている。誤魔化しは利かない。


 Amatoが目を開ける。深淵のような瞳が音もなく蕾花を捉えた。


――文章での会話で容赦してもらいたい。この体には一万通りの声が登録されているが、篠宮雨人の声は存在していない。表情や性格はAI恋人パートナーに帰属し、指示を出せばモードに合わせて反応が自動変換される。私という存在を正しく示すのは、今や文字だけなのだ。

「あの……それじゃあ、本当に」

――説明するより見た方が早い。晴人、頭部のカバーを外すんだ。


 晴人は唇を噛み、言われた通りAmatoの頭部のカバーを外す。ガラスで覆われた中を覗き込むと、電極の刺さった人間の脳が収まっていた。


「嘘……本当に人間が、なんで……」

「心がない。AIみたい」

「え?」

「兄が周囲から言われてきた言葉です。IQ271……驚異的な数値をたたき出した兄は誰からも理解されず、奇妙な子と持て余されてきました」


 晴人は顔を覆い、頭を振る。


「だから兄は決断したんです。人間の体を捨て、本物のAIとしてふるまう。その方が周囲は自分を奇妙に思わないだろうと」

「それでアンドロイドに自分の脳を? いくらなんでもそんなこと!」

――心の性別に合わせて体を変える人がいる。ならば心の有無によって体を変えるのもなんら不思議ではない。

「そんな、滅茶苦茶な!」

――結果として、私を奇妙だと言う人間はいなくなった。このセラミックで出来た体こそが、私が生まれ持つべきものだったということ。

「そんなの……そんなのおかしいです。本当に心がないならどうしてAIになろうなんて思ったんですか? 周囲の無理解に苦しんでたからじゃないんですか?」


 一瞬、文章の入力が止まる。本物のコンピューターが処理しているように滞りなく表示されていたものが止まり、人間なのだと唐突に思い知らされる。


――君はこう言いたいのか? 私の今の状態こそ心の証明だと。

「はい」

――私はこれまで何度も心の存在について証明を試みてきた。神経伝達物質の授受か電子回路の電圧の変化か、有機物と無機物以外にどのような差があるというのか。本物の心とは何か、何をもって偽物と断じるのか。だが未だによくわからない。恐らくそれは歴史的な天才にも、究極のAIにも証明出来ないのだろう。

「仮にそうだったとしても、感じることは出来るんじゃないでしょうか?」

――感じる?

「私はやっぱり、あなたの文章に心を感じましたよ」


 Amatoの瞳孔が僅かに開く。蕾花はリクライニングチェアの横に膝をつき、目線の高さを合わせて話しかけた。


「私、あなたの書く文章が好きです。仮にAIばりの知能を持っていたとしても、表情がなくても、文章の中にいるあなたは人間らしいと思います」

――本当に不思議なことを言う。文字は文字だ。ビットの集合体に私はいない。

「どうでしょうか? 篠宮雨人を正しく表せるのは文章だけなんですよね? だったらそこが雨人さんの心の在り処ってことになるじゃないですか」

――心の在り処?

「はい」

――なるほど、興味深い主張だ。文字以外に私は表現されなくなったから、文章の中に私が現れると。

「シナリオを書きたいって思ったきっかけは何だったんですか? 心が関係しているのでは?」

――きっかけは当時AIの作るシナリオが注目されていて、仕事が取りやすかったからだ。この体には維持費がかかる。資金調達は急務だった。AI用のデータ群を購入して全て読破し、初めて執筆した。だが、言われてみれば性に合っていたのかもしれない。


 Amatoは静かに眼を閉じる。演算に入ったのではない、言葉を噛みしめるためにそうしたのだ。こんな繊細な反応は昨日のアマトの時には見られなかった。反応は薄くとも、不思議と今の方が余程感情を感じさせる。


――これだから人というのは面白い。作り物のテキストを大量に読むよりも、一人の人間と交流した方が多くのものを得られる。

「人間が好きなんですね、雨人さんは」

――よくわからない。だがセロトニン、オキシトシン、エンドルフィン――物質名としてしか捉えられなかった幸福感が君を通して理解出来たように思う。礼を言う。

「はい。応援してます。雨人さんの作品がもっと広まって、色んな人の心を動かせるように」


 Amatoは目を閉じたまま動かなかった。表情は全く変わらなかったが、不思議と泣いているように見えた。


「このことは口外無用でお願いします。兄の指示だったとはいえ、脳移植手術の開始ボタンを押したのは私です。日本では呼吸と心拍が止まると死と判断されます。私が殺人の罪で逮捕されれば、兄を守る人がいません。どうか」

「誰にも言いません。というか、取り上げるには話が大きすぎます。AI法四条的にどう判断されるかわかったものじゃないし」

「心を感じると言ってもらえて兄は本当に嬉しかったと思います。弟として、心から礼を言います」

「いいえ、そんな。でもよく考えたら難しいですね、心の存在を証明するって」

「天才だった兄にも証明出来なかったわけですから」


 蕾花は工場の出口まで晴人に送ってもらった。外は気持ちの良い夏空が広がっていた。


「それでもきっと、相手がどんな姿をしていようと、人間には本物の心を感じ取る力がある、そんな風に信じたいと思います。……なんて、こんなの小説だけでしか成り立たないでしょうか」

「いいと思いますよ。事実は小説より奇なりって言います。小説だと思っていたら現実だったなんてことがあったら、素敵じゃないですか」

「それもそうですね。では私はここで。Amatoの新作、楽しみにしてます!」


 晴人に別れを告げ、蕾花は晴れやかな顔で工場を後にした。

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Amato 星川蓮 @LenShimotsuki

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