第4話(最終話)

3


「先生! お礼の品ですって!」


 後日、現れた彼女は手に手提げ袋を持っていた。

 俺は眉を吊り上げる。


「なんだって?」

「だから、あのお父さんからのお礼です。良いことをしましたね、先生」


 ため息をつき、天を仰ぐ。ロッキングチェアがきしんだ。

 

「あれ? あんまり嬉しくなさそうですね。有名なケーキ店のケーキなのに」

「それは嬉しいんだが――いや、違う。君、歴史の授業はちゃんと受けなさい。『魔女狩り』の件は知っているだろう」

「それは……」


 彼女は口ごもった。触れたくないのはわかる。だが、学ばなければ歴史は繰り返すだけだ。


「自分の身に降りかかったことだろう。ちゃんと勉強しなさい」


 女子学生は、教師じみた俺の小言に唇を尖らせる。ため息をついて、俺は続けた。


「軽率に魔法は使わない。もし使ったら引っ越す。それが俺たちのルールだ」

「え」


 彼女は何度か目をしばたたかせた。


「え、え、じゃあ、先生。引っ越しちゃうんですか!?」

「そりゃあな。君も俺の庇護下になくてもいいぐらいの歳になったろ」


 十代なんて、俺から見たら受精卵のような年齢だが。


「いつ引っ越すんです、いえ、どこに!?」

「教えるわけないだろう。ついてこられたら面倒だからな」


 手を振って帰るよう促す。彼女はなおも食い下がったが、俺が頑として口をつぐむと諦めたように帰っていった。


 あとにはテーブルに置かれたケーキが残されていた。


4


 新たに居を構えて二日が過ぎた。

 とりあえずライフラインも通って、ようやくスタートラインに立ったところだ。今度は山の中の一軒家。ネット通販で生き残るつもりだ。

 カタン。物音がした。何か落ちた音だろうか。本を読んでいた俺はそこから目線をそらすことなく、呼びかける。


「おい。君、物は丁寧に扱えと――」


 自分の愚行に口をつぐむ。

 そうだ、彼女はもういない。夏の蝉の声が空白をより際立たせる。そうか、彼女はいないんだと言い聞かせる。先生と呼び子犬のようについていた少女は。

 何をやっているんだか、俺は。思わず口角が上がる。もう百年たてば忘れるだろう、あんな――


 先生!


 魔法も使っていないのに、彼女の声が鮮明に思い起こされる。

 平凡な人間と結婚して、平凡に生き、そして死ぬ。

 その穏やかな人生に俺はいらない。

 ――それが、どうしようもなく許せない。

 俺が慕った魔女と、元使い魔とその妻の末路を見ればわかるだろう? いっぱしの人間のように生きるのは無理だ。無理、なんだ。こぶしを握り締める。


 いなくなって気づいた。

 静寂はこんなにも物悲しいことだと。

 気づかぬうちに貰っていたものが多かったのだと。

 知らない間に自分の中で大きい存在になっていたのだと。

 彼女の人生に俺が介入するすべはもうないのだと。

 

 浮かんできた感情に、頭を抱える。

 夏は恋を運ぶのだと彼女は嬉しそうに語っていた。俺はその感情を知っている。認めたくはない。だってそれは同類にしか抱かなかった感情だから。

 魔女や魔法使いではない、ただの短命種の少女アモルに、俺は。

 ――恋をしてしまったらしい。

 

 そのとき、控えめなノックの音が鳴り響いた。


【完】

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夏は恋の季節と言うけれど。 リオン @kakusennmonn

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