青天の霹靂

 度会は社に入り浸っているように見えるが、一応は冥府の官吏である。お偉方と会議で睨み合い、腹の底を探り合う不快な心理戦も仕事のうちだった。


「ひとつ、よろしいですかな?」


 会議の終わり。今日も今日とて不毛な議題ばかり話し合って、最後に何やと度会が忌々しげに眉間に皺を寄せる。

 恰幅の良いその男は冥府の官吏として此岸でも有名な御仁、小野篁の傍系に当たる者だった。小野篁は生前から冥府の官吏として有名であったが、死後も当然そのまま冥府で働いていた。今でも冥府の最高権力者の一人として居座っているが、もう千年もの時を彼岸で過ごしているためか、彼岸にも小野篁の一族が出来上がってしまっていた。何でも、この現状を本人は大変面倒に思っているそうで。一族といっても、人数が多ければ、その分色々な人間がいる。そのため、一族の誰かが何かやらかしても、相当なことがない限り、自分は知らぬ斬首なり何なり好きにせよと突き放しているらしい。

 そういう身内に厳しいというか、最早情の欠片すらやらない態度をどこか好意的に思っている度会である。


(身内を贔屓せん上役っちゅうのはええもんや)


 小野篁は実力主義者だ。故に、度会のような軍部出身の者から大変好評を得て、今では彼岸の政を一手に引き受けていると言っても過言ではなかった。実質的な冥府の最高責任者だ。

 そして、目の前の傍系は何を言い出すのだろうか。あまり話したことはないが、確か典型的な野心家だったはずだ。関わりたくないタイプの人間である。

 すると、男は何故か度会に目を向けてきた。


「当代の姫巫女専従たる、度会殿にひとつ頼みがあるのですよ」

「……何でしょうか」


 姫巫女専従という肩書を引っ張り出された刹那、度会は臨戦態勢に入った。この傲慢な顔、嫌な予感がする。


「当代の姫巫女は代替わりされてから随分と経つのに、まだ婚姻されておらぬとか」


 まさか、と度会が口を挟む前に男はにっこり笑って爆弾を投下した。


「そろそろ次代の保障が欲しいところ……故に、我が一族の若者と見合いをされてはと思うのですが、仲介していただけますかな?」



 ***



 姫巫女専従は姫巫女と冥府を繋ぐ連絡役に過ぎない。そのため、度会がどう思おうと上からの提案を突っ撥ねる権利はないのだ。


「クソッ、小野言うても遠縁やろが。分家筋やろが。篁公の名前笠に着やがってふざけんなや」


 無理矢理に渡された釣り書きを机に叩きつける。苛立ってもこの状況が好転する訳ではないが、怒りたくもなる。

 あのようなお偉方が揃っている前で姫巫女との縁談を言い出す時点で、姫巫女本人の意思など関係なく、ただ姫巫女の血筋に自らの血胤を入れたいだけだということは見え見えだ。奴らは小野の家柄を更に高めたいが故に、政略結婚を目論んでいる。


「足元見やがって、クソが」


 何度目かわからない悪態をつき、このクソッタレな状況を潰す方法を思案する。

 その時、執務室の扉が叩かれた。強めな叩き方と霊力で誰が来たのかを悟り、度会は低く応じる。


「入ってええで」

「外にまで殺気混じりの霊気が溢れておるぞ。情けない。動じておるのか」

「最近の将校は暇なんか? 茶々入れに来ただけなら、はよね」

「おーおー、重症じゃな」


 恭子の余裕綽々とした態度が、今はただただ癇に障る。シッシッと手を振って追い出そうとすれば、恭子は心外そうに瞬きして肩を竦めた。


「私とて愛しいお姫が、どこの馬の骨かもわからん餓鬼に娶られるのは我慢ならぬ。心中はお前と大差ないつもりなんじゃがな?」

「どこの馬の骨て……相手は小野家の傍系や。残念ながら、どこ産の馬かはわかってもうてるわ」

「うむ。厄介なものじゃのぅ」


 恭子は冥府軍将校の証である漆黒の羽織を翻して窓辺に寄った。度会の執務室からは、彼岸の景色がよく見える。

 眼下の街並みを見下ろすと、どこぞの貴族が結婚するのか、豪奢な花嫁行列が見えた。それを見ながら、恭子はぽつりと呟いた。


「早くお前が娶っておれば、こんなことにはならなんだ。その自覚はあるのか?」

「後悔してこの状況が解決すんなら、いくらでも後悔したるわ」

「……確かにな。すまぬ、要らぬことを言った」

「ええんや。俺も真っ先にそう思たわ」


 姫巫女が結婚適齢期であることは重々承知していた。だが、ここ数代の姫巫女は見合いではなく、恋愛結婚を選択している。

 だから、度会は焦らなかった。焦らず、姫巫女の気持ちを優先した。

 当代の姫巫女も誰かと恋をすると、彼岸の誰しもが思ってくれていると。楽観視し過ぎたのだ。


「その釣り書き、燃やすか?」

「いや、そしたら向こうの思う壺や」


 ここで度会が私情に走ってしまえば、その隙を突かれて姫巫女専従の肩書まで奪われかねない。

 度会は苛立っていても大局を見ていた。


「……ひとまずは姫に渡すわ」

「そうじゃな」


 もし、姫巫女が釣り書きの男と会いたいと言ったら。

 もし、姫巫女がその男を選んだら。

 普段は重宝する最悪の事態を想定する癖が、今回ばかりは度会の思考をどん底に落としていった。



 ***



 小野龍樹おののたつきは勤勉な男だった。

 自らの遠縁であり、冥府の実力者である小野篁を心から尊敬し、あの人のような立派な官吏になりたいと、日々職務に邁進している。それ故に、問題が起きやすい地獄省で毎日走り回っている。


「龍樹よ」

龍憲たつのり伯父上? どうされました」


 中央省の官吏である伯父とは、偶に夕食を一緒にするくらいには仲が良い。龍樹の両親は既に亡く、この伯父が親代わりのようなものだった。

 自宅の前で待ち構えるように佇む伯父に首を傾けると、伯父は一言告げた。


「縁談がある」

「は?」

「彼岸の姫巫女との縁談だよ」

「え? は? ちょっ、待ってください。確かに、前に彼女欲しいって零しはしましたけど、それは流石に」


 いきなり過ぎる展開に龍樹が慌てても、伯父は気にせずゆっくりと続けた。


「小野家の繁栄のためでもある。悪い話ではなかろう」


 その一方的な話し方で、龍樹は直感した。トラブルの絶えない地獄で働いていれば、勘が鋭くなるというものだ。

 自分は、とんでもない面倒事に巻き込まれてしまったらしい。

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天命と惚れた腫れたは切り離せ 土御門 響 @hibiku1017_scarlet

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