閑話 炬燵と猫と女
彼岸も此岸と同様に四季がある。彼岸は此岸よりもそれが顕著で、此岸で話題の温暖化問題などはお構いなしに、冬になれば積もるほど雪が降る。新年にもなれば、家の前の雪かきに追われることは当たり前であった。姫巫女も率先してスコップを持つのだが、ここ数年は度会が無造作のように見えて器用な斬撃を放ち、雪の山を道の隅に吹き飛ばしてしまっている。彼の霊力は水全般の扱いに向いているようで、そこから派生して氷雪や風も操ることができるそうだ。姫巫女も自身の炎で雪を融かすこともできるのだが、それでは風情がないと毎年地道に雪かきをしていた。度会が来てからは、その必要もなくなってしまったのだが。度会曰く、お姫さんの可愛い手が赤くならんでええやないの、だそうで。
年が明けてしばらく経ち、姫巫女も度会もようやく新年の繁忙さから解放されていた。
年末年始は忙しい。冥府は新年が良い年となるよう神々に祈念する儀式に追われ、会議だ何だとやたら仕事が回ってくる。姫巫女も冥府の忙しさに影響されて、普段会わないような冥府の役人の訪問に対応したり、年越しに伴って不安定さを増す霊気の安定に注力したりと落ち着かない日々を過ごした。
ようやくそれらから解放され、二人は日常に戻ってきたのだった。
姫巫女が事務作業をする部屋の真ん中に置かれたのは魅惑の四角。
「あったまるなァ」
「ですねぇ」
炬燵である。
「んで、その子はどないしたんや?」
姫巫女が先程から堪能しているのは炬燵だけではない。柔らかそうな姫巫女の膝の上で丸まる白い毛玉。大きさからして成猫だろう。
「綾芽の実家の前で弱っていたそうで。飼い主が決まるまでは、私と一緒に暮らしてはどうかと預けられました」
「お姫さんが飼うのはあかんの?」
「私の霊力は強すぎるので、長く一緒にいると悪影響が出るかもしれず……特に、寿命面で」
長生きして欲しいですから、と少しだけ悲しそうに白い背中を撫でている。
確かに、高い霊力はどんなに制御しても周囲の生命に影響を与えてしまう。霊力を扱う生き物であれば、ある程度は問題ないのだが、犬猫のような動物となると影響の大きさは計り知れない。
「となると、近いうちに貰い手決めなあかんな。アテはあるんか? 俺の周りじゃ霊力バカ高い奴しかおらんし、今回はあんま手伝えなさそうや……」
「綾芽が貴族を中心に探してくれています。貴族なら
「確かに貴族で小さい子いる世帯なら需要ありそうやな。大事にしてもらえるやろうし」
そう言いつつ、度会もその柔らかそうな背を撫でようと手を伸ばしたが、何故か急に猫が顔を上げ、シャーと威嚇鳴きをしながら猫パンチを繰り出した。
「おいおい。俺はあかんの?」
「これ。おいたしたら、だめでしょう?」
引っ掻かれる前に手を引っ込める度会に、猫を叱る姫巫女。
姫巫女に撫でられると、猫はさっきの威嚇が嘘のように、ご機嫌の顔となってゴロゴロと喉を鳴らした。
「……」
度会は猫が一瞬だけ、ザマァと言うかのような勝ち誇った表情を見せたことを見逃さなかった。まさかと思い、姫巫女に訊いてみる。
「なァ、お姫さん。この子、性別は?」
「雄ですよ」
やはりか。
「まさか、こんなちっさいのが恋敵になるとはな……」
「何か言いました?」
「いんや。何も」
この猫の貰い手が決まるまで、姫巫女を巡って静かな戦争が始まったことなど、姫巫女自身は知る由もなかった。
***
そこからは大人げない日々が始まった。
姫巫女の膝の上を占拠する猫に対抗して、姫巫女の後ろに腰を据え、後ろから抱き締めるように座る度会に、姫巫女は困惑が隠せない。
「あの、度会殿。狭くないですか?」
「全然。むしろお姫さんは平気か? 背中冷えとるやん」
炬燵に入りながら姫巫女を抱き締め、冷えは女の子の大敵やからなぁと好き勝手に愛でる。
「度会殿……」
いささか恥ずかしそうに振り返って見上げてくる姫巫女に、度会は胸を擽られるような愛おしさが込み上げてくる。出会ったばかりの頃なら、こんな体勢を許してはくれなかった。
こちらの心を受け容れるでも、拒むでもなく、好きにさせる姫巫女を狡いとは思わない。核心を口にせず、ただ愛でるだけ愛でる自分の方が余程卑怯だろう。
お互い矛盾しているのだ。ならば、このまま暫くは中途半端な関係性で、穏やかな日々を送れたらそれで良い。
と思うのは、きっと男のエゴであり、女にとっては責任感のない酷い態度なんだろうなと度会は心の中で苦笑した。
「二人と一匹じゃ狭いよねぇ」
膝に乗る猫を撫でていた姫巫女が、不意に掌の上で霊力を捏ね始めた。細い糸状の霊力の塊を生成すると、それを摘んで遠くへと伸ばすように放った。
水色の毛糸のようだが、姫巫女の霊気でキラキラと光るそれに飛びつく猫に、姫巫女は楽しそうに笑う。
「私のような存在と長い間一緒にいたら良くないですが、こうやって遊べるのは良いですよね」
霊力の糸はただの生命力の塊であり、触れても害はない。
糸に戯れる猫を眺める姫巫女が、後日手放せるのだろうかと度会は疑問に思った。だが、姫巫女は決して猫に名を付けようとしない。これで察した。姫巫女はこの猫ときっちり距離を取り、一線を引いている。可愛がっていてもだ。この後にできる本当の家族に名付けてもらうと、きちんと決めていて、自分は家族が決まるまでの間ただ預かっているだけの身だと弁えているらしい。
「……この子にとって私は、ほんのいっとき遊んだだけの存在になっていくんでしょうね。そして、忘れられてしまう」
新しい家族の下へ譲った後のことに思いを馳せ、少しだけ寂しさを滲ませる。頭でわかっていても、やはり情を注げば離れがたくなってしまう。人とはなんと我儘な生きものなのだろう。
度会はそんな姫巫女の肩をゆっくりと撫でながら、どこか深い声で呟いた。
「俺は、そうは思わへんけどなぁ」
「え?」
「どんなに短い時であっても、一緒におった、一緒に遊んだ、楽しかった、好きやった。その記憶は薄れようとも、気持ちは――感情はそう簡単には忘れへんものやと思うで」
実例があるしな。
最後の一言の意味はよくわからなかったが、自分より長生きの度会にはそういう経験があるのだろう。
姫巫女は猫と遊びながらそう思った。
後日、猫はとある貴族に引き取られていった。
急に静かになった部屋にどうしようもない寂しさを覚えた姫巫女だったが、猫以上に賑やかな人はずっとここに通ってくると思うと、少しだけ気持ちが晴れるのだった。
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