サティさん

ましさかはぶ子

サティさん



このコンビニでバイトを始めて2ヶ月になる。


大学受験に失敗していわゆる浪人だ。

勉強をしなくてはいけないのは分かっていたが、

失敗した事が尾を引いてだらだらと毎日過ごしていた。


さすがに親が


「ぶらぶらしているのなら働け!」


と怒り出した。


女なので夜は駄目、近くにしろと条件を出されて、

仕方なく近場のこのコンビニで早朝から昼まで働くことにしたのだ。

あまり人が来ないコンビニで、

朝や昼頃はわりと忙しいがそれ以外はそれほど人は来ない。


そして朝のばたばたした時間を過ぎて補充をしていると

時々来る人がいる。


痩せた眼鏡をかけた男性だ。


神経質そうな感じでひょろりと入って来る。

大学生ぐらいだろうか。

そしていつもサンドイッチの前でいくつか吟味して

買う物を決めている。


買う物はいつも違うが、

品出し後の商品が揃ったところで決めたいのだろう。


なので私はいつもサンドイッチから品出しを始めている。

あの神経質そうな彼がちゃんと選べるように。


ある時暑い日に彼はTシャツを着て店に現れた。

サンドイッチを決めてレジに来た時

胸元に文字が書いてあり、

よく見るとそこには「なまこの胎児」と書いてあった。


私はびっくりしてしばらくまじまじと見てしまった。

それに気が付いた彼は私を見て少し笑って


「サティ。」


文字を指さして一言言うと店を出て行った。

私は家に帰るとすぐになまこの胎児を調べてみた。


「エリック・サティ……。」


有名な作曲家だ。

私でもジムノペディやグノシエンヌは聞いた事があった。

だがなまこの胎児は知らなかった。

ネットで聞いてみたが何となくぴんと来ない。


そしてサティの曲を他も調べてみると

よく知っているものがあった。


「ジュ・トゥ・ヴー、これも知ってる。」


「あなたが欲しい」と言う意味だ。

私はコンビニに来る彼を思い出した。

もしこの文字が書かれたTシャツで来たらどうしようと。


おかしな妄想だ。

私は自分を鼻で笑った。

だがその時からあの人は私の中でサティさんとなった。


サティさんは相変わらず時々来てサンドイッチを買っている。

あれから変な文字が書いてあるTシャツは着ていなかった。


そして夏が過ぎようとしている頃に

サティさんは珍しく昼前に現れた。


彼は一人ではなく女の子と一緒に入って来た。


手を繋いで。


二人は楽しそうに昼食だろうか、おにぎりなどを買っている。

サンドイッチには目もくれない。


店内は少しばかり人が多い。

レジ作業をこなしつつ私はちらちらと二人を見ていた。

そして二人はレジに来て会計を済ました。


「ありがとうございました。」


客は並んでいる。

私は黙々と仕事をこなした。


そして店内が落ち着いた頃に私の今日のバイトは終わりだ。

同僚に挨拶をして店を出たがなぜかどっと疲れてしまった。


家に帰ると親は働きに出ていて誰もいない。

食欲も無く、牛乳だけを飲んですぐに横になった。


気が付くと夕方だった。

階下の台所からかちゃかちゃと音がする。


「ごめん、寝てた。」


仕事から帰った母が夕飯の準備をしていた。

実はそれは私の仕事だ。

家にいるから本当はしなくてはいけないのだ。


母はちらりと私を見た。


「まあいいよ、手伝いなさい。」


私の何かを察したのか母は強い言葉は言わなかった。

母の手際は良い。すぐに夕食の準備が出来た。


「お母さん、お茶飲む?」

「飲もうかな。」


私はお茶を注いだ。


「今日はごめん、なんだか疲れちゃって。」

「そんな時もあるよ。無理しなさんな。」


外はすっかり夜だ。

父が帰ると夕飯だ。


「ねえ、お母さん、なまこの胎児って知ってる?」


母はお茶を飲む。


「サティだよね。変なタイトルが多いよ。」

「あなたが欲しい、は?」

「知ってるよ、あの人の曲にしては分かりやすいよね。」


母が知っていた事に私は少しびっくりした。


「あなたが欲しい、って結構直球だよね。」


私が言うと母は笑った。


「あれには歌詞があってね、

好きな人がいるんだけど

ちょっとでもいいからこっち見てって歌だよ。」


その時父が帰って来た。

私と母はすぐに食べられる準備を始めた。


その夜、私はベッドに横になった。

昼寝してしまったがまだ何となく眠気がある。


「あなたが欲しい、か……。」


母が言った事を思い出す。

あの曲はあなたが欲しいと懇願する歌だったのだ。


ネットで調べた歌詞はとても美しい言葉で表現しているが

大好きな人に振り向いて欲しい

焼けつくような想いの歌だ。


なまこの胎児を着ていたサティさんを思い出す。

そして彼女らしき人と来たあの人。

一緒にいた女の子は顔立ちも服も可愛らしかった。


あなたが欲しい。


その文字が書かれたTシャツを着るのはサティさんではなく、

本当は私が着るTシャツなのだ。



「行ってきます。」


翌朝、両親は既に仕事に出ている。

誰もいない家だが出る時には癖でつい言ってしまう。


夏が終わる。

本腰を入れなければいけない。

両親は何も言わないが働いているのも私のためだ。


「コンビニもそろそろ辞めるか。」


私の頭にサティさんがサンドイッチの前で立っている姿が浮かんだ。

そして昨日ネットで見た

作曲家のエリック・サティの顔も思い出した。


よく見る眼鏡をかけて斜めから撮られた写真は

どことなく取り澄まして冷たい感じがする。

だが色々と探すと正面を見て優しい顔で

微笑んでいる写真もあった。


「大学行ったらいい事あるよね。」


私は笑っているサティを思い浮かべて言った。





  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

サティさん ましさかはぶ子 @soranamu

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ