失恋風

御伽話ぬゑ

春一番



 ウソ だろ・・?


 会社の窓の外を強い南風が、吹き荒れている。


 天気予報で言ってたな。

 今日は春一番が吹きますよって。

 飛散物に注意してくださいって。


 オレは寒がりだから、冬はお袋が編んでくれた腹巻きが手放せない。

 腹巻きとかダセーとか思われるだろうけど、寒がりなオレは暑がりの汗っかきでもあるから、着膨れだけはしたくなくて、だから、そうすると腹巻きになる。

 腹は汗をかかないし、腹さえ冷やさなければ、そこまで寒さに怯えることはないのは経験済みだ。腹巻きはお袋が編んでくれたやつがちょうどいい厚さなんだ。市販のものも色々試したが、薄かったり厚過ぎたり、短かったり長かったりと、どうも上手くフィットしない。で、何の気なしにお袋がクリスマスプレゼントに送ってくれた手編みの腹巻きをつけてみたら、ちょうどよかったんだ。

 お袋がオレの腹のサイズに合わせて編んでくれたオーダーメイドの代物。

 フィットしないわけがなかった。けど、なんとなく敬遠してたんだ。

 だって、二十歳過ぎてんのに、まだ母親の手編みもの身につけてるとか、ないだろ。マザコンかよって。だから、とっくにお袋から送られてきてたのに、押し入れの中に突っ込んで見て見ぬ振りしてたんだ。

 でも、やっぱ寒さとお袋には叶わなかった。降参だよ。で、それ以来ずっと愛用してるわけなんだけど、ちょっと、色がさ、人様には見せらんねーような色、してんだわ。

 よく例えれば、迷彩。悪く例えれば、ゲロ、みたいな。

 お袋がさ、一人息子のために愛情込めて編んでる時に、余計な遊び心をさ、出しちゃったんだろうね。

 緑と茶色だけじゃ飽き足らず、白だの黒だのピンクだのをちょっとずつ混ぜてあんだわ。もう、まさに飲み過ぎた後にリバースした便器の中みたいな感じで。だから、余計に絶対誰にも見せらんねーわけ。

 ほら、オレ、こう見えて会社では、クールなイケメンで通ってるからさ。間違っても、ゲロ色の腹巻きなんて絶対してないような。でも、見られちゃったんだよな。あの子に。あの可愛い子にさ。

 その子の名前は、サトウサチって言うんだ。

 名前の通り、上白糖みたいに真っ白い肌してて、ちっこくて、いっつもほんわか微笑んでいる癒し系のめちゃくちゃ可愛い子だった。

 その子が入社してきた時から、男性社員はざわついてて、もちろんオレもだいぶ惹かれはしたけど、わざと興味ない風を装ってたんだ。だってさ、そこで一緒に騒いでたら、その他大勢の取り巻きと一緒じゃんかって、要は一目置かれたかったんだよね。サトウサチに。それで、気にして欲しかったんだよね。サトウサチに。

 多分、そんな狡猾なこと考えてた時点で、オレ、だいぶ、サトウサチのこと、好きだったんだと思う。気付いてなかったけどさ。だから、オレはいつも通りのキャラ設定でクールにそっけなく、でも気さくにサトウサチに接してた。オレは別にオマエのこと好きとかじゃねーけど、オマエがオレのこと気になるなら、いつでも応じる準備はできてるから的な、なんつーか大人の余裕を醸したかったんだと思う。

 でもさ、さすがはサトウサチは手強くて、なかなか、距離が詰められないわけよ。

 コイツ、案外ガード固いんだなって、笑顔で断られる度に、なんでだよってなったんだ。

 で、事件が起きた。

 オレとサトウサチが組んで外回りしてた時だった。

 なんかの表紙にワイシャツが出ちまって、その時に腹巻きを見られちまったんだ。

 それに、オレが気付いて慌てて隠した時既に遅し。横でバッチシ見えただろうサトウサチは、一瞬真顔になってから例のほんわかした微笑みを浮かべた。

「見ちゃった? 今の」

「手編み、ですかね。意外でした」

 おい、サトウサチ。

 その『意外』は、一体なにに対しての『意外』なんだよ。オレのイメージに対してのだろうな確実に。このクッソ趣味の悪い色が『意外』なのか、そもそも腹巻き自体が『意外』なのか、手編みが『意外』なのか、それとも全部なのか。全くわからん。

 で、オレ、苦し紛れに「彼女からとかじゃないから」とか言っちゃってさ。要はお袋の手編みって言いたくなかったんだよ。それだけなんだよ。だからさ。けど、おかしいじゃん。手編みって。誰だよって感じで。そこまで思い巡らせて、もしかして、サトウサチ、オレが編んだとか思ってないか? って不安になった。だから、また余計なことを付け足した。

「オレでもないよ」って。

 もう、わけわからんよ。じゃあ、誰だよ。なにが言いたいんだっての。しかも、その後、沈黙だしよ。あーあーコレもう、ダメだな。明らかにサトウサチ、引いただろ。オレに、引いただろ。マジで最悪な。

 沈黙を守っていたサトウサチが再び口を開いたのは、取引先巡りが終わって、帰社途中だった。

「私も、お腹、冷えやすいんですよ」

 サトウサチが、天使のように優しいフォローを出してくれた。

 この子、天使じゃね?

 この子、なんでこんな優しいのよ。オレ、もう感激しちゃって、涙目にまでなっちゃって「そっか」って辛うじて言っただけで。それで、確定したんだよな。オレのサトウサチへの並々ならぬ好意が。

 やべぇ。この子と付き合いたい。

 この子、彼女にしてぇって。なんなら、結婚してもいい。とかって、完全に舞い上がっちゃったんだよなオレ。だから、やり方変えたんだ。しっかり攻めていく系作戦にさ。オレ、君のこと狙ってんだぜって、前面に出して。途中までうまくいってた。サトウサチもまんざらでもなさそうな態度だったし。少なくとも、オレには、そう見えた。いけるって思ったんだ。

 で、新入社員が入ってくる前にリーチをかけようとしたんだ。ライバルは、これ以上はいらないからさ。ただでさえ、多くてうざいのに。

 その日は暖かい日だった。

 冬の間に、すっかり温度変化に敏感になってて、春を待ち切れなかったオレは、油断こいて腹巻きを脱いで会社に行ったんだ。オレの春は近かったからさ。そう、思ってたからさ。思い込んでたからさ。

 で、朝礼が始まった。そしたら、サトウサチが事業所長に名指しされて前に出て来たんだ。

「突然ですが、私、サトウサチは、本日をもって退職します。短い間でしたが、本当にお世話になりました。皆さん、仲良くしてくれて、ありがとうございました」

 サトウサチは、そう言ってくっきりと天使の輪が光る艶っつやな髪を垂らしてお辞儀した。

 男性社員からは、どよめきが上がったが、上司どもは前もってわかっていたのだろう。咳払いをしているだけだ。

「しかも、サトウ君は、寿退社だからな。めでたいめでたい」


 ウソ だろ・・?


 つぅかさ、付き合ってるヤツ、いたのかよ?

 そんなこと噯気にも出してなかったじゃんか。いつ誘っても、割と付き合いがよくて。割と断らなくて、割とスムーズで。あれって、なんだったんだよ。マジかよーと打ち拉がれている群集に混じって、密かにショックを受けているオレの視線を、サトウサチは気付かない。

 窓ガラスが、不穏な音を立てて南風に揺さぶられている。

 冬のあとの南風って、もっと穏やかな気分にしてくれるもんじゃねーのかよってオレは忌々しくなった。

 寒さで凝り固まった心と体を溶かすようにさ、ほっとさせてくれるもんじゃねーのかよ。なんで、南風のくせに、暴れてんだよ。おかしいだろ。

 サトウサチは、ただ当たり前のように笑っている。

 だが、次の瞬間。

 ふっと目を上げて、どこかを見た。どこか、遠くを。夢を見ているみたいな顔してさ。

 その目、その眼差しが・・恋してたんだよなぁ。

 オレは、サトウサチのそんな目、見たことなかった。オレには見せたことなかったんだ。

 オレの知らない情熱的な彼女の視線を辿って振り返ると、オレたちの一番後ろに立ってたバツイチの中年男性社員に行き着いた。


 マジ・・かよ・・


 激しくなる、春の嵐。

 激しくなる、オレの鼓動。


 その全然冴えない中年男は、中間管理職で、離婚した奥さんとの間に、彼女と同じくらいの子どもが二人もいる。今は高齢の母親と二人暮らしだって聞いた。髪だって薄いし、腹だって出てる。それに、体毛だって濃い。それなのに。

 注意して、よく見ると、いつの間にやら、サトウサチの左手の薬指には銀色に輝く指輪があった。

 サトウサチはその上にそっと手を乗せながら、中年男に熱い視線を送る。送り続ける。完全に恋する乙女の顔だ。いや、もう恋じゃねーんだろ。結婚、するんだよな。

 中年男は、気まずそうに視線を逸らす。その手にも、結婚指輪だ。


 マジ かよ・・?


 サトウサチが、攻めたんだ。それで、サトウサチが、ヤツを落としたんだ。

 なんなら、渋るヤツを、体だか口説きだかで粘り強く落としたんだってのが、二人のその様子だけでわかった。わかっちまって、絶望したんだ。

 よくも、子どもと同い年の娘を嫁にできるな、とか。この、変態ロリコンがよ、とか。湧き出た悪態が一瞬で霧散した。なんだよ。案外、やるときゃやるんじゃねーか。


 天気予報で言ってたな。

 今日は春一番が吹きますよって。

 悲惨物に注意してくださいってさ。


 さよなら オレの春。

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