つむじ風
校舎の脇に植えられた遅咲きの桜が、散っていた。
目も眩むような晴天で、乾燥した風が吹いていて、そのせいで、校庭に花びら混じりの砂塵が舞っている。
誰もいなくなった教室の、机の一つに仰向けに寝っ転がったあたしは、そんな様子を夢心地に眺めていた。
今日は、土曜日。
午前授業のため、クラスメート達はとっくに帰っている。家に帰りたくないあたしは一人、空腹を抱えてぼんやりしていた。見晴らしがいい三階からは、校庭を一望できた。
規則的なかけ声を上げる野球部が、砂埃を掻き混ぜながら視界を横切っていく。砂色に染まる校庭。その中で、陸上部が、短距離走の練習を始めた。狩りをするチーターのように、スパイクで地面を蹴って疾走する部員の躍動感溢れる姿にしばし見蕩れる。
あたしは、その中の一人、ひょろっと背が高い男子部員から、目が離せなくなっていた。
彼が走ると、小さなつむじ風が巻き起こる、ように見えたのだ。
すごい・・思わず窓の手摺から身を乗り出した。
遠くて、顔まではよくわからない。けれど、二つ分けにした猫っ毛のような髪と、肩から首にかけての細身のラインが特徴的だ。空腹を忘れて、じっと凝視してしまった。
彼の正体が知れたのは、数日後。
全校集会の最中だった。
長い長い校長先生の話の後、生徒会からの今期の活動目標とやらを報告するために生徒会長の名前が呼ばれた。
興味がないあたしは、友達と小声でお喋りをしていた。誰が好きだの、付き合っているだの、そんな小娘に有りがちな内容だ。あたしは、誰かを好きになったことがない。ので、くすぐったそうに声を潜めて笑う友達が、二年の先輩の誰々が好きなのだと言う話に合わせることができなかった。
あたしはね、あたしは・・
体育館に響く声が、落ち着く声だなとふっと気付いた。それで正面を向くと、朝礼台に彼が立っていた。
陸上部の彼は、生徒会長だった。
観察したままの長身と、肩から首のライン。それに、髪型も同じで、おまけにとても優しげな顔をしている。
「ねぇ好きな人、いないの?」と、せっついてくる友達に「いるよ」と答えていた。
好きな人が生徒会長だなんて、まるで少女漫画みたいで、誰かに自分の好きな人のことを告げる度に胸が高鳴った。
生徒会役員は、成績優秀な生徒しか推薦されない。つまり、会長になるには成績が飛び抜けて抜群であるということ。加えて、上級生の先輩達は皆、一つか二つしか歳が違わないのにも拘らず、とても背も高くて大人びている。同級生の男子達が、制服を着た小学生のガキにしか見えない。かっこよくて、頭もいい先輩なんて最高じゃん。あたしは束の間の優越感にどっぷりと浸っていた。
「決めた。あたし、告白する!」
ドキドキする片思いに飽きたからではない。ただ、遠くからずっと好きでいる自分の存在を、先輩に知ってもらいたい欲が出たのだ。折しも、クラスメートの女子達の間では告白ブームで、連日、誰々が片思い相手に告白をして、成功しただの振られただの、そんな話題が会話の中心になっていた。それに触発されて便乗した。今しかない。なんとなく、そんなことを思ったのだ。
憧れの先輩にラブレターを出そう。
今時、古風だけど、それが逆に清楚なイメージになるかもしれないし。そう思ったあたしは、意気揚揚と文具屋に行って、一番綺麗なブルーの手紙セットを購入した。少し半透明の便箋に綴った思いの丈は、我ながら初めてにしてはよく書けたと思う。現在出版されているほぼ全ての少女漫画を読み込んだ賜物だ。
翌朝、私は自信満々で、生徒会通信に乗っていた先輩のクラスと名前の下駄箱を探し出し、そこにラブレターを突っ込んで逃げ去った。友達に、実は今朝、ラブレターを出したのだと照れながら自慢することも忘れなかった。そうして、少女漫画の主人公さながらの興奮を抱きしめながら週末を過ごしたのである。
事件は週明けの月曜日に起きた。
登校すると、好奇の目が待っていた。
「見ろよ、あの子じゃね?」
「はは、マジだー」
「つか、よくやれたなー」
「あはは」
事態を把握するのに時間がかかった。上級生達が、男女問わず振り返ってまであたしを見てくるのだ。なんだかよくわからない緊張に固まりながら、教室に辿り着くと、心配そうな顔をした友達が集まってきた。
「なんか知らないけど、上級生達にラブレターのことが知れ渡ってるよ!」
クラスいちの情報通の友達からの開口一番で固まった。
うそでしょおー・・けれど、あたしはまだその時点では、ことの重大さを全然理解できていなかった。力作のラブレターを読んで先輩だけでなく、もしかしたら先輩の友達もあたしのことを意識してくれるかもしない。そんなバカな想像が頭を過ったが、普段は接点のないバスケ部の幼馴染みが珍しく近付いてきて話した内容で一転した。
その子はどうやら、愛しの先輩と蔓んでいるバスケ部の先輩と仲がいいらしく、日曜日の部活の時点で、ラブレターの送り主が誰なのかを確認されたらしい。不審に思った幼馴染みが訳を問い質したところ、あたしが送ったラブレターを先輩が友達がいる時に開封し、回し読みしたようなのだ。それも、なにかにつけて目立つ存在として有名なさわがしい先輩達に。
「生徒会役員を通じて、二年生どころか三年生にまで知れ渡ってるよ」
「え、それって、先輩本人が喋ってるってこと?」
友達があたしの疑問を代弁する。
「うん。だって、あの先輩、見た目よりチャラいもん。彼女だっているし」
そう、だったの? 知らなかった。それを知らずに告白してしまったあたしの愚かさよ。と、いうことは、先輩の友達に話題の種にされているだけでなく、先輩が付き合っている彼女関係にも敵視されているってことか。
「彼女もバスケ部の先輩達とすごく仲がいいから、こんな大胆なことできる下級生はどんなヤツだろうって、もう大変なことになってる」
「うわわわわー・・最悪じゃん」
つむじ風が、起きたのだと思った。
それも、先輩が作ったつむじ風。あの、つむじ風だ。
愚かなあたしは自ら、そのつむじ風の中に、飛び込んでいってしまったのだった。
先輩が巻き起こすつむじ風がなにでできているのかも知らず。
つむじ風に舞い踊っているものが、なんなのかもわからずに。
「おい」
友達と下校の時、頭上から笑いを含んだ声が振ってきた。
見上げると、薄笑いを貼付けた男の先輩が二人、窓から侮蔑を含んだ眼差しをこちらに向けている。あたしは慌てて目を逸らした。
どうして、先輩でもない上級生からそんな目で見られなければいけないのか、全く意味がわからなかった。
「なんだ、あのヘアバンドの色」
俯いて強張らせた体から嫌な汗がじんわりと吹き出してくるのを感じる。回転する大小の砂礫が容赦なく、あたしに打つかってくる。あたしは目を瞑る。こんな形で巻き込まれるなんて・・
「やべーウンコ色じゃん。センスわるっ」
ぶっははは、と馬鹿笑いをする先輩達。大嫌いだ!
あたしは早足で校門に向かう。
どうして、そんなことを言われなければいけないのか。そもそも、どうして、ラブレターを送った本人ではなく、周りの取り巻きからそんな屈辱的な扱いを受けなければいけないのか。おかしい。
大体、彼女がいるならいると断ればいいことではないか。それを、なにも言わずに、晒し者にするなんてどうかしてる。先輩の外見やステータスだけしか見ていなかった自分を死ぬ程恥じた。
でも、あたしは先輩に恋していただけなんだ。
なにも悪いことなんてしてないし、ましてや、あんな風に見ず知らずの先輩達に傷つけられることなんてしてない。
いくら、彼女がいたからって、知らなかったんだから関係ないし、全校生徒が知ってるなんて思わないで欲しい。
あたしは失恋というよりも、失望に近い思いだった。
先輩は、何も知らない下級生の純粋な想いを弄ぶだけでは飽き足らず、よってたかってバカにする、ただの人でなしだったのだ。
卑怯者!
先輩が起こしたつむじ風は、あの日、窓から見蕩れたつむじ風は、卑劣や嘲りや蔑みや貶めなんかの嫌な成分の砂塵が舞っていたのだ。
お気に入りのヘアバンドをゴミ箱に叩き付けたあたしは叫ぶ。
卑怯者!
正々堂々と思いを告げた相手に対するそれが礼儀か!
たった一つ歳が上なのが、そんなに偉いのか!
卑怯者!卑怯者!
けれど、どんなに叫ぼうとも、状況は変わらず、あたしは毎日登校しなければならず、そんなことで休むわけにもいかず、先輩達が飽きるまであたしは好奇の目に晒され続けなければいけない。初めて書いたラブレターのお返しがこれなのか。
先輩、あたしはずっとあなたが好きでした!
ずっと、憧れてました!
こんなクソッタレな教訓を、どうもありがとうございます!
一生、忘れませんから!
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