霊能者への依頼料金体系について

饗庭淵

顛末

「医療保険って知ってるか?」


 と、聞く男は医者でもなければ看護師でもなく、薬剤師でもなかった。要するに医療従事者に属するものではない。


「なんかこう、三割負担で済むやつだよ。……いや、話振って悪いけどいうほど俺も詳しくはなかったな。えーっと」


 話の要領が悪いが、私は黙って耳を傾けることにした。現状、頼みの綱は彼だけだからだ。


「手術。受けたことある? 俺は今年に受けたんだけどね。いや大した手術ではなくてな。腹腔鏡ってやつ。お腹に穴を……四つだったかな。一週間ちょっとで退院できたよ。ただまあ、大したことないっても手術は手術なわけ。事前の診察とかいろいろあったわけよ。採血にエコーにCTに……生理食塩水を二リットル点滴されたり、カテーテルとかも入れたかな。最初の診断の時点で多分これだって病名は出てたけど、ハッキリさせるためにはいろいろ手順を踏むみたいで。そういうのがマニュアル化されてるらしい」


 オフィスビルの一角。応接間と仕事部屋が一緒になったような部屋だ。床は畳で奥には祭壇。最低限が、窓の外は交差点だし車の喧騒は聞こえてくるし、雰囲気づくりは半端といえた。


「で、手術もさ。領収書を確認したら四万点だか五万点あるわけ。そりゃそうだよなあ、全身麻酔もして……いや全身麻酔は別計算だったか……いろいろ合わせて合計九十万円くらい? 結構な額だよな。でもま、そこで保険の出番ってわけ。高額医療費制度とかで俺の負担額は五万くらいで済んだんだったか。すげえよな。つまりあれだ、病に伏せる妹の治療費を稼ぐため悪事に走る兄貴は現代日本にはいないってわけ」


 話が見えない。座布団の上に正座を続けるのも少しつらくなる。


「……いや、さすがに話が逸れた。うん。悪いね。こう、話が下手だっていう自覚はあるんだ。なにが言いたかったっていうと、医療ってのはさ、誰もが必要とするものだから制度としてはいい感じに体系化されてると思うのよ。一方で――」


 男の目つきが変わる。その大仰な袈裟に相応しいように。


「除霊。霊能者の仕事ってのは、そういうのはどーしても弱い。医療保険みたいな除霊保険なんてのはないし、利用者も少ないし従事者も少ないから知見の蓄積がなくて体系化には程遠いのよ」


 年齢は三十代半ばか。事務所を構え、ホームページのデザインもさほど悪くはなかった。煌びやかな袈裟を羽織り、首掛けの数珠、祭壇の蝋燭には火が灯り、見慣れない仏具が並ぶ。が、いかにも努力してそれらしい雰囲気を演出している、という印象は拭えない。フローリングの床に畳を直置きした和室もどき。パーティションで仕切られた向こう側はキッチンか。出されたお茶も粉末をお湯で溶かしたもの。照明もLED。とにかく中途半端だ。


「つまり、料金に関してはほとんど俺の胸先三寸になっちまう。その点、了解して欲しい。でもまあ、それだと困るだろうから最低限のルールは設けた。

 まず、相談無料。つまり今だ。俺の話がダラダラ長いからって料金は発生しない。わざと遠回りするタクシー運転手みたいなことにはならないから安心してほしい」


 この点、相談だけなら――と入りやすい反面、そういった手口の詐欺があることも知っている。直接会って話したがるというのも警戒すべきだ。胡散臭くはあるのだが、藁でも掴みたい状況だった。


「あー、相談無料で採算とれるのかって、そういうの気になる? そうだな、結構いるよ。からかい目的でくる迷惑客とか、ただの気のせい勘違いとか。後者の場合はお医者さんを紹介することもある。この仕事を続けるうちに伝手ができちゃってね。怪奇現象っぽく見える症状に詳しいお医者さん」


 また話が逸れそうだったので私の場合はどうでしょうか――と話を切り出す。


「あんたの場合? んー、まだなんともいえんな。それらしい気配は感じられる、ような気がする、けどまだ予断はできない。そんなところだ。医療と同じでね、診断は結構慎重にやらないといけないのよ。

 で、まあ、そう。診断。霊視とかそういうの。これも重要なステップでね。除霊に関しては成功報酬にはなるんだけど、それはそれとして、少額の準備金をいただくことになってる。いわば診察代さ。と、いってもせいぜい数万。保険が効かないんだからそれくらいはかかる。これは見積もりも兼ねてる」


 彼が言葉を重ねるほど、いかに信用できるか、システムとして整理されているかを説明するほど、困ったことに胡散臭い印象は増していく。彼が本物にせよ詐欺師にせよ信用させようという努力は伝わる。「信用」とは、かくも難しい。


「そのときに、除霊成功報酬の値段も事前に通達することになる。最大で六十万円。これも上限を定めてる。高いと思うか? ふつうのお祓いとかだとだいたい五万で済むんだが、俺のはもっと専門技能だ。命の危険を伴うときだってある。これでも抑えてるんだ。たまには二百万でも貰わねえと割に合わねえなって案件もあるが、あんまり高いと思うと依頼そのものを諦めちまうかもしれないだろ。俺としては仕事がなくなるよりはマシってわけで、そう定めた。で、さらにいえば成功報酬だからな。失敗なら払わなくていい。成功した、と思ったときだけ払ってくれればいいわけだ。良心的だろ?」


 少し考える。あらかじめ具体的な金額に言及するのはたしかに良心的と言えるかもしれない。詐欺であるならすべて済んだあとで断りづらい心理状況でふっかけるのがセオリーであるはずだからだ。


「と、いうわけでまあ、いきなり金の話でいやらしいと思うだろうが、これも信用のためだ。やっぱ『詐欺じゃないか?』って疑いはそうそう拭えない。霊能者ってのが胡散臭すぎるからな。っても、どうすれば信用してもらえるのか……。あ、さっきの話で俺が医療保険の恩恵受けてるってことで事業者登録してるの伝わったんじゃないか。所得税も住民税も払ってるよ。これで信用度結構上がった?」


 少し顔に出すぎていただろうか、と省みる。疑いは完全に消えたわけではないが、ここには相談のために来たのだ。まずは、話してみないことには始まらない。


「そうだな。本題に移ろうか。あ、ちゃんと守秘義務ってのは守るから。安心して欲しい。いや、もしかしたら金に困って本名伏せて実話怪談を出版とかそういうのあるかもしれないけど、そういうときは事前に許可取るから」


 私は話しはじめる。ことの始まりは三ヶ月前。

 最初に見えたときは、さほど気にしてはいなかった。夕暮れの帰り道、ふと振り返ると、電柱の後ろに誰かがいるような――気がする。その程度だった。人気はなく静かな道だったが、誰かとすれ違うことくらい、不思議じゃない。

 思えば、そんな人影とすれ違った覚えなどないと、そのときから気にすべきだったのかもしれない。

 それから、また同じ帰り道。自分の足音だけが響く静かな道。同じようにふと振り返ると、見えた。夕暮れ、街灯が点きはじめる時間。その下に、人影のようなものが見えた。二度目でも、ただの偶然というか、なにかの見間違いか、さほど気にせず、しかし小走りにその場を去った。

 だが、同じことが三度、四度と続いた。同じ帰り道、しかし見かける場所はそのたびに違った。その人影は、見かけるたびに私の家に近づいているのである。

 不審者を疑い、勇気を持って歩み寄った。顔でも見てやろうと思ったのだ。しかし。

 その影はふっ――と、煙のように掻き消えてしまった。


「なるほどね。その話を聞くだけなら、よくある実話怪談みたいな、そういうのだな。いやうん、本人は真剣なのにこういう言い方はよくないか。ところで、これはまあ形式的にやってる確認というか、警察の事情聴取みたいなのというか。とにかく気を悪くしないで欲しいんだけど……医者への相談とかはしてみた?」


 相談済みだ。脳のMRIまで撮っている。真っ先に疑ったのが自身の異常だったからだ。だが、問題は解決していない。


「じゃあ、次にストーカーや誰かの悪戯――これだと警察の管轄かな。そのへんの心当たりは?」


 彼は私がとっくに検証済みの現実的な解釈を並べ立てる。が、不思議と腹は立たなかった。彼の真摯な態度が伝わってきたからだ。彼は本気で問題に向き合い、解決のために考えている。だからこそ、いかなる可能性についても予断を挟まずに丁寧に潰していくのだ。


「うーむ、あとは実際に現場を見てみて……ってなると、料金がかかってくるわけだけど。その前に、差し迫って重大な問題なのか、ってのもある。たとえば病気でも、ただの風邪なら医者にかかるまでもなく寝てれば治ることあるだろ。心霊被害ってのもこういう場合があって、あえて除霊が必要ないこともある。とはいえ、やっぱ怖いか。自宅まで追いつかれたらなにが起こるか……」


 彼からは「騙そう」という気配が感じられない。本当に誠実に向き合ってくれている。私はようやく、そのことを理解しはじめていた。


「時間的猶予がどのくらいあるかだな。ちょっと地図を出すから、最初に影を目撃した地点と日時、最近の地点と日時とか、大まかでいいから思い出せるかぎりプロットを――いや」


 と、彼はなにかに気づいたように言葉を切り、考え込んで黙っていた。


「……帰り道って、からだ?」


 守秘義務があるというなら、話してもよいだろう。彼は信用に値する人間だ。


「墓です」

「墓?」

「彼氏の墓です。少しの間、付き合っていたんですが」

「亡くなってしまったと」

「はい。ついカッとなって」

「え?」

「埋めました。やっぱりどうしても気になって、週一くらいの頻度で訪ねてしまうんですよね。なので日に日に近づいてくる影は、彼の霊なんじゃないかって」


 ***


 結論からいえば、彼は本物の霊能者だった。

 帰り道を調べ、塩を撒いたり、護摩だか真言だか、詳しいことはよくわからないけど、そういう儀式を経て除霊は完了した。

 あれ以来、奇妙な黒い影は見ていない。私は解放されたのだ。

 成功です。ありがとうございます――と感謝の言葉を添えて彼には何度か連絡を入れるが、しかし成功報酬は要らないと彼は突っぱねる。

 胸先三寸。彼はそういった。逆にいえば、極端に安くなることもあるのだと。

 かといって、無料というのはあまりに極端だ。

 胸騒ぎがする。嫌な予感が頭をよぎる。

 除霊は成功報酬。それを受け取らない、ということは――


 ピンポーン。

 チャイムが鳴る。誰か、訪ねてきたようだ。

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