第6話:また来てね(最終話)
今さら湯船につかる気にもなれず拓巳は浴場に戻ることなくそ脱衣場で服を着ると、疲れきった身体で受付に繋がる廊下を歩いた。
行きに見た自動販売機の前を通過して思い出す。
「そうだ、イチゴ牛乳。最初見たとき、風呂あがりに飲もうって思ってたんだ」
せっかくなので買っていこう。
本当は湯あがりのさっぱりした身で飲みたかったが今はイチゴ牛乳の甘さに癒されたい。
ガシャン。
出てきた丸瓶を取り出そうとしゃがんでいると、
「あ、お兄さーん! ちょうどいいところにいた」
「あ、あなたは番頭の……」
最初に会った番頭のお婆ちゃんがちょこちょこと小刻みに駆けてきた。
「これこれ。渡そうとして忘れちゃってたのよぉ。はい、どうぞ」
「これは……?」
渡されたのは一枚のタオルだった。
大きめサイズの厚手の生地に湯気のようなふわふわした輪郭にネズミのような耳と出っ歯がついた奇妙なキャラクターが笑っている。
マジでこれはなに……?
「『開業666万人目の来店者』プレゼント。語呂いい数字のお客様にね、記念品を渡してるの」
「ふ、不吉な数字」
「うちの非売品“
湯気っしくん。なんてユニークな名前なんだ。
「……ありがとうございます」
「なんか大変だったみたいねえ。懲りずにまた来てやってちょうだいね」
「え、どうして」
「先にあがったお客さんがお兄さんに感謝してたよ。優しい人がいて助かったって」
あのカッパたちか。
「本当にありがとねえ。そうだ、おまけあげる」
割引券まで貰ってしまった。
「こりゃあまた来ないとですね」
「ふふふ」
無邪気に渡す笑顔を見ると先程まで二度と来るかと決意してた心もゆるんでしまう。
出会った妖怪たちも別に悪い奴らじゃなかったしな。
同じ風呂に入る目的をもった銭湯仲間……みたいなものだ。
「今日のことは一生忘れられないな」
良い意味でも悪い意味でも。
銭湯を出ると外はすっかり暗くなっていた。
沈みかけた夕日の濃いオレンジと夜を告げる紫色がグラデーションになり鮮やかに妖しく広がっている。
夜空に浮かぶ無数の星……の他にもいろいろ夜空を飛んでいた。ホウキに跨がった魔女にピカピカ点滅してるのは飛行機じゃなくてユーフォーだ。
「そういやもうすぐハロウィンだっけ」
実にオカルティックな銭湯日和になったもんだ。
###
後日拓巳の家に宅配便が届いた。
送り主は不明だったがダンボールの中には大量のキュウリが入っていたため察しはついた。
奴らにうちの住所を教えたのは番頭のお婆ちゃんだろう。
あの銭湯、異世界に繋がるゲートの鍵でも持ってるんじゃないか。
「しかしこんなにキュウリいっぱい何に使えっていうんだよ」
漬け物? 冷やし中華?
「ダメだわからん」
晩酌のビール片手にキュウリの料理のレパートリーも考えるもたいして思いつかず。
「ひとっ風呂浴びてからにするか」
あれからちゃんと業者のおかげで風呂は無事に直り、拓巳の快適な風呂タイムは現在絶賛継続中だ。
「タオルタオルっと」
背中にタオルをひっさげ拓巳は風呂場へ向かう。
~♪
鼻唄をうたう拓巳の背中では、怪しい湯気のキャラクターがゆらゆらと楽しそうに揺れていた。
極楽日和 秋月流弥 @akidukiryuya
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