子持ち探偵神崎悠里の謎解き案件 ――デイトレーダー変死事件
Seika
デイトレーダー変死事件
都内の繁華街から、1駅離れるだけで、街の雰囲気ががらりと変わる。喧騒からうって変わって静かな住宅街。
その一角にある商店街を、歩く人がまばらなのは、連日続く猛暑のせいだ。
8月のうだる暑さの中、水の入ったペットボトルを手に歩く女性がいた。
歩く度に揺れる、焦げ茶色のポニーテールに、可愛い系に属した容貌をもつ、彼女の名前は、
20分前に駅で買った水は常温を過ぎてぬるま湯だ。それでも飲まねば熱中症になる。水を口に含んで飲み込むと、大きなため息。暑さに参っている訳ではない。
あかねの心中にある不満から出たため息だ。
商店街を抜け横道に進むと十字路にたどり着いた。その近くに、あかねのバイト先がある。見かけは普通の3階建てのアパートだが、2階にはあかねが助手として働いている探偵事務所があるのだ。
今日は、浮気調査をしていたのだが、調査がひと段落したところで、あかねが助手を勤める調査員に、経過報告をしてくるように言われ、事務所に帰された。報告など、事務所に帰らずとも出来るというのに。
道路に面した門から入って外階段を上れば、探偵事務所の玄関に到達する。
金属製のプレートに書かれた『
所長の名は、
あかねにとっては、憧れの女性で、無理を承知で頼み込み、アルバイトとして働けるようになったのだが、それがつい最近の話。
調査員としては半人前の為、しばらくは彼女の長男、
あかねに探偵事務所へ帰るように指示をだした心配性な男だ。猛暑の中、長い時間張り込みをしていたあかねが、体調を崩してはいけないと。
同年代ではあるが、あかねよりも調査員としての経験がある琥珀。母親である悠里からの信頼も厚い。
琥珀の指示に、不満ながらも従ったのは、悠里からの言いつけがあったからだ。琥珀は指示にはきちんと従うように、という。
仕方なく、琥珀の指示に従い途中経過を悠里に報告しに帰ってきた、というのがこれまでの経緯である。
いつかは一人前の調査員になり、悠里に信頼される部下になりたい。それが、あかねの目標だった。
貰っていた合鍵で、探偵事務所のドアを開けば、涼やかな風があかねを迎えた。優れた断熱性の壁と、行き届いた空調の賜物。
その涼しさに、ほっと息をつきながら中へ入って気づいた、玄関先に踵の潰れたビジネスシューズ。
見覚えのあるこの靴は、あかねの父親のもの。
そして、この靴が、この探偵事務所にある理由は、たった一つだけ。
あかねは靴を脱ぐと、父親の靴の隣に揃えて置くと、シューズボックスの中にあったスリッパに履き替え、玄関からすぐ近くにあるドアへと向かう。
ドアを2度叩くと、向こう側から「入っておいで」と、とても低く落ち着いた、少しだけハスキーな、女性の声。
「おかえり、暑かっただろう? 冷たい飲み物でも準備しようか」
ドアを開けた先は、応接室。2人がけのソファーが、コーヒーテーブルを挟んで配置され、日差しが入る窓は東向き。
力強い夏の太陽光が、ブラインドカーテンの隙間からでも十分な明るさを与えてくれている。この部屋も、とても涼しく過ごしやすい空調設定だ。
出迎えてくれたのは、神崎探偵事務所の所長、神崎悠里。彼女は高身長で男性の平均身長よりも高い。
ショートカットで癖のある黒髪、少し長めの前髪から覗く、エキゾチックな鳶色の瞳が、あかねを優しげに見つめている。
「いえ、途中で飲んできましたし、大丈夫です!」
正直、冷たい飲み物という申し出は魅力的だったけれど、悠里の手を煩わせたくなかったあかねは、首を横に振って断った。
絶世の美女とは、彼女のための形容詞だと言っても過言では無く、海外モデルのようなスレンダーで、子供を3人の産んだとは思えない程。そして、年齢不詳。
身につける服は黒を好み、今日は黒のタンクトップに黒のレザーパンツという出で立ちでいる。
どれをとってもあかねには憧れで、そんな彼女から視線を向けられると、いつも心が高揚する。
が、その気持ちが一気に冷める一言があかねの耳へ飛び込んできた。
「バイトにしっかり励んでるな、関心感心」
聞き馴染みのある、少ししゃがれた声の主は、あかねの父親だ。
ソファのど真ん中に、どっかりと座っていて、その前のコーヒーテーブルには、悠里が準備してくれたのだろう、アイスコーヒーが入ったグラスが置いてある。半分ほどは飲んでいたようだけれど。
「父さんは、また悠里さんに捜査協力依頼?」
あかねの父親は、警視庁捜査一課に務めている、叩き上げの刑事であり、現在45歳の警部補。
名前は、
仕事の苦労からか、多く刻まれた顔のシワのせいで、実年齢よりも老けた印象の父親だ。
秋造は、よく悠里に捜査協力を依頼をしていた。
事件の早期解決は大事な事だが、探偵としての仕事だけでなく、子育てもある悠里を頼りにしすぎじゃないかと、あかねは思う。
「今日も、アポ無しの突然だ。
応接室内にある時計を見てみれば、時間は14時30分を回ったところ。
15時までには、悠里の末娘を幼稚園にまで迎えに行かなければならないのだ。悠里が不満の声をあげるのは当然のことだろう。
「だから、
秋造は部屋のソファーにどっかりと腰をおろしたまま、開き直ったように言う。
「え、
悠里の代わりに、幼稚園へ行ったのは、秋造の相棒で年若い刑事、
「本人は大喜びで行ったし、問題は無い」
「それはそうだろうけども」
秋造の言葉に、納得は出来る。即答で頷けるくらいに。
悠里の末娘、瑠璃は間もなく5歳になる、愛くるしい女の子。将来は母親のような美女になるだろう。癖のある黒髪も、母親譲り。ただ違うのは、深い海の底のような青い瞳と、髪を肩下まで伸ばしている所か。
絵の才能があり、5歳とは思えないような絵を描く子でもある。
ちなみに、長男の琥珀も美貌と髪、更には長身と母親から受け継がれたものは多い。身長に関しては、悠里よりも高いくらいだ。
けれど、瑠璃と同じく、瞳の色が違う。とても珍しい金に近い色合いの瞳。
他者の心理を読むのが上手く、頭の回転も早い。悠里には及ばないが、それでも推理力はなかなかのもの。
更に悠里の次男、
彼の場合は、パソコンやインターネット、プログラミングといったものに、小学校4年生でありながら、並の大人では歯が立たないほどの才能を持っている。
琥珀曰く、それぞれ父親が違い、全員死別したとのこと。悠里はシングルマザーなのだ。
と、ふと思う。今は夏休み中。翡翠はどうしているのだろうか?と。
「翡翠くんは? リビングに居るんですか?」
あかねの問いに、悠里は頭を横に振った。
「翡翠も轟と一緒に瑠璃の迎えに行かせた。帰りにおやつを買いに行かせる必要が出てきたからな。
どこぞの誰か達が余計な仕事を持ってきてくれたおかげで」
悠里の恨めしそうな声に、少しだけ怯む秋造を横目に、忙しい時間帯に押しかけてきたんだから、凄まれても仕方ないよなぁと、あかねは納得。
瑠璃が帰宅後は、夕食までの間がもたないこと
もあって、おやつを食べさせなければならない。
悠里が作れる時は、いつも手作りおやつを食べさせていた。今日はそうなる予定だったのだろう。
けれど、予定が変わってしまった。
「まあまあ、捜査に協力するのは国民の義務だろ。頼むよ。」
盛大にため息を吐く悠里。
「もぅ…」
あかねもつられてため息を吐いた。
「んで、どんな事件なの?」
気を取り直し、あかねは本題に入る言葉を紡いだ。娘に仕切られるのは不満そうな秋造だったが、話を進めない訳にもいかず、事件の概要を語り始める。
「被害者は、都内に住む男性、
7月26日の14時頃、会う約束をしていた母親が、合鍵で自宅へ入った所、死体を発見した」
「遺体の状態はよろしくなかったようだな」
コーヒーテーブルの隅に置いてあったタブレットを手に取り、内容を確認しながら、悠里は秋造の対面に座った。
そのタブレット端末は、父達が悠里に捜査協力を依頼する際に持ってくるもので、捜査資料が記録されている。許可を得て持ち出したものかは、定かでは無いものだが。
あかねも悠里の隣に座ろうとしたが、父の言葉で足を止める。
「かなり腐敗が進んでいた。直接、仏さんを確認したが、なかなかな状態だったぞ」
「腐敗…」
タブレット内には、遺体の写真も入っているだろう。腐敗という言葉に、あかねは思わず身震いをした。
「被害者宅のエアコンは切れていて、ここ数日の猛暑。下手をすれば、気温30度すら越えることもあったし、なかなかの大惨事だな。
この腐敗の度合い、あかねには刺激が強すぎる」
その写真を見ているのだろうか、悠里は平然とさした様子で、タブレットに指を滑らせている。
「だろ。あかねは俺の隣に座ってろ、捜査資料は神崎だけが見ればいい」
秋造は頷きながら、ソファの中央からすこし横に移動し、あかねを自身の隣に座るよう促した。
「はーい……」
父の隣より、悠里の隣に座りたい気持ちが強かったが仕方ないと、あかねは言われた通り、秋造の隣に腰を下ろす。そして、悠里と秋造の会話に耳を傾けることにした。
「遺体に絞殺の跡があった。被害者が倒れている部屋の中にあったスマホの充電コードを利用したらしい。死亡推定時刻は、7月22日の未明から7月23日10時20分の間。
被害者宅のエアコンは、遺体のそばに落ちていたことから、犯行時に何らの要因でリモコンが被害者の体と接触して切れたのだと推測される。
スマホ家電ってやつだったが、外部ネットワークからのアクセスはなかった。死後に誰かが操作した可能性はなさそうだ。
それらの要因で、遺体が酷く腐敗していた影響で、死亡推定時刻に幅が出たが、容疑者はすぐに捜査線上にあがった」
秋造の話を聞きながら、捜査資料の入ったタブレットから目を離さない悠里。真剣な眼差しの悠里を見ると、あかねはつい見惚れてしまう。
「被害者宅の玄関にはスマートロックが装着されていて、ドアは閉じられれば、自動的に鍵がかかる。
5階建てマンションの最上階。更に、マンションの出入口と呼べる場所全てに、防犯カメラが設置されていて、死角になる場所は無い。それら考慮に入れ、死亡推定時刻に被害者宅へやってきたのは2人だけと確定させたのだな」
資料の内容を読み上げる悠里に、秋造は深く頷いた。
「ああ。そして、この事件の最有力容疑者が、その内の1人、
「死亡推定時刻に30分程、藤生は被害者宅に滞在している。犯行は可能な程度の滞在時間か」
悠里はタブレットを爪先でコツコツと叩く。相変わらず、視線はタブレットに向けられたままだ。
彼女がかなり集中している事が、傍目にもわかる。
「そうだ。しかも、藤生は被害者宅の合鍵までもっていた」
「スマホ操作が不得手で、スマートロックのシェア機能を使えず、実物を使用か……」
「ああ、スマホの中身を確認させてもらったが、通信用アプリが一つ追加された程度だ。操作も実際にやってもらったが、なんとかメッセージを送れるくらいだった。誰の目に見えて苦手だとわかるレベルだったぞ。
ちなみに、通信用アプリは、被害者が連絡用に入れたものらしい」
「え、今どきスマホ操作苦手な人って居るの?」
あかねは思わず口を挟んでしまった。自分の周りには、スマホ操作が出来ない人物が居なかったからだ。身近にいる人物、誰も彼もが当たり前のようにスマホを利用していたので、そんな人が居るのかと、驚いて言葉が出てしまった。
「新しい電子機器への苦手意識から、覚えられない、覚えるのが面倒だと、スマホ操作が不得手となる場合はあるな。
年齢層によっては、以前のガラケーに慣れすぎて、スマホが扱いづらく感じたりするらしいぞ」
悠里の言葉に、あかねは自身の視野の狭さを痛感する羽目に。
「まあ、緊張の影響や、演技の線もあるかもしれんが、……そこは、長年刑事をやってきた、俺の目を信用してくれ」
胸を張る秋造に、呆れたような視線を向けて悠里が言う。
「長年刑事をやってるんだ。私立探偵なんぞに捜査協力を依頼せずとも、事件を解決してくれないか」
しかし、秋造は全く気にした様子もなく、「それはそれ、これはこれだ」と言い切った。
「調子の良い事で……」
悠里は大きくため息を吐くと、それ以上何かを言うことは諦めたようで、再びタブレットに視線を落とした。
と、横道に逸れた会話を、軌道修正したのは秋造だ。
「被害者宅を後にした藤生が、川に何かを捨てるところを、付近に住む主婦に目撃していてな。その証言から、捨てられたであろう場所を探したところ、あっさりと被害者宅の合鍵が発見された」
手元にある仕事用のスマホで、時折、事件内容を確認しながら話を続ける秋造。そのスマホを覗き込むことも出来なくはないが、腐乱死体を見る勇気の無いあかねは、大人しく座ったままで居ることにした。
「水深は浅く、流れの緩い川に、合鍵を投げ捨てたのか…。随分と雑な仕事だな」
悠里の言う通り、雑すぎる証拠隠滅方法だ。と、そう考えた時にふと気づく。
「そういえば、なんで藤生さんって人は、被害者さん宅の鍵を預かってたの?」
資料を読めないあかねには、藤生が合鍵を持っていた理由がわからなかった。
「藤生は、過去に会社の金を横領していた事があったようでな。それを隠蔽する為に、被害者から多額の借金をしていたんだ。
被害者と藤生の関係は、最初の頃こそ、仲の良い個人トレーダー仲間だったようだが、2年前、藤生はFXで失敗し、それをどうにかしようと横領に手を出し、結局、バレそうになった事で、被害者に金を借りたわけだな。
そして、藤生の弱みを握った被害者は、その事を利用して、藤生を小間使い代わりに使い倒していた。藤生は、その事をかなり不満に思っていたようだ」
「それが動機で、被害者さんは、藤生さんに絞殺されたって事? なら、 単純明快な事件じゃん、なんで悠里さんに捜査協力頼みに来たの?」
ちょっと考えれば答えにたどり着く、簡単な事件ではないのか。
「藤生は、殺したのは自分ではない。自分が行った時には死んでいた。自分がやったのは、被害者宅にあった金目のものを盗んだだけだ。と必死に証言している。
合鍵を捨てたのは、自分が殺したと疑われたくなかった事と、盗みがバレるのが怖かったからだ、とな。嘘の証言の可能性が濃厚だが……」
そう言うと、秋造は渋い顔をして腕を組む。
「現状、動機や状況証拠は揃っているが、物的証拠がみつからない。金品を盗んだ証拠なら多少あるようだが……」
「ああ、その通りだ。藤生は、被害者宅にかなり頻繁に出入りしている。
その影響で、指紋やDNAが見つかっても、殺害の証拠になりづらいんだ。動機は十分にあるにも関わらずな」
秋造の言葉を聞きながら、悠里がタブレットの画面に指を滑らせている。
「凶器に指紋とか、DNAとかはついてなかったの?」
「それが見つからなかったんだ…」
あかねの質問にそう返すと、秋造は深いため息と共に、ガックリと肩を落とした。
一方、悠里はタブレットをテーブルの上に置くと、右手の人差し指をこめかみにトントンとリズミカルに叩き始める。それは、彼女が深く考え込んでいる時のクセだった。
「凶器の充電コードからは、被害者の指紋とDNAしか発見されていない。手袋でも使って犯行に及んだ可能性があるか?
いや、それにしては、合鍵の処理の仕方がずさんだな。突発的犯行ならば、凶器から藤生の指紋やDNAが採取されるはず。
逆に、計画的犯行ならば、合鍵の処理をもっと巧妙にするはずだ。
横領の過去がある事と、盗みを働いた事とを踏まえて考えると、藤生はあまり後先を考えずに行動する傾向がある。
ならば、凶器から藤生の痕跡が見つからないことが、あまりに不自然すぎる……」
その言葉を聞きながら、あかねも腕を組んで思案し始めた。
「つまり、藤生さんは本当に殺してなくて、盗みを働いただけってこと?」
「じゃあ、一体誰が犯人になる?
藤生が合鍵で家に入るまで、被害者宅は密室状態なんだぞ」
頭を抱える秋造。あかねも同じく訳が分からない。藤生が犯人でないのなら、いつ、誰が被害者を殺したと言うのか。
「しかも、死亡推定時刻に被害者宅を尋ねたもう一人、
悠里の言葉で、即座に容疑者候補が消えてしまった。
「だから、最有力容疑者が藤生だって話になったんだが……」
「ふむ…」
「どうだ? 何かわからないか?」
と、不意に、悠里がこめかみを叩くのをやめた。何やら思い至った事があるようで、再び、タブレットを手に取った。
「凶器に藤生氏の指紋もDNAも付着していない点が、あまりに不自然だ。しかも、検出されたのが被害者のものだけだというのもひっかかる。
殺害は計画的に行われた可能性が、かなり高い。真犯人が、自身の犯行を隠す為に、何かしらの細工をしている痕跡のように思えてならない。
それならば、他の誰かに被害者は殺害された……と、私は考える」
「藤生が来る前日に来ていた森田さんは、10分でその場から離れたんだぞ。さっきお前自身で言ってただろ、犯行は難しいってな」
「ああ、確かに10分程度の時間で、絞殺は不可能と考えるのが筋…だが……」
悠里は再びタブレットの操作し、資料に目を向けた。
それを見て、秋造も首を傾げながら自分のスマホを操作し、捜査資料を確認する。
「盛田ミナは、その前にも被害者をたずねている。この時は、時間にして40分ほど」
「確かに、7月21日の昼過ぎ、盛田さんは被害者宅を訪れてはいるが、その時、被害者は生きていたはずだ」
「その時に、被害者が殺害され、何らかの方法で死亡推定時刻をずらしていた可能性を考えたんだが……」
「どうやってずらすんだ? 犯行時点でエアコンを切ったとしても、死亡推定時刻が後ろ倒しになる事はないだろ」
「被害者宅のエアコンはスマホ家電。外からの操作で死亡推定時刻をずらす事は可能だ。が、外からの怪しい接続の形跡は見つかってない……」
と、そのタイミングで、玄関のドアが開く音と、数人の足音が聞こえた。そして、間もなく応接室のドアが開く。
「ママ、ただいまー!」
「ただいま」
「ただいま戻りましたー!」
瑠璃、翡翠、明の順で帰宅の挨拶。
「おかえり」
悠里が笑顔で答える。
「あ、おかえりなさーい。明さん、お疲れ様です」
「おお、おかえり。轟、ご苦労だったな」
あかねの存在に驚いた様子を見せた明だったが、気を取り直し「瑠璃ちゃんと買い物までいけて楽しかったですよ」と笑った。
「あかねちゃん、秋造おじちゃん、ただいまー」
瑠璃は、律儀にあかねや秋造にも挨拶をしてくれた。可愛いと、思わず頬が緩む。
それは秋造も同じだったようで、あかねの隣でにこにこと笑っている。
「瑠璃、皆はお仕事中みたいだから、俺とリビングでおやつを食べよう」
翡翠はそう言って、瑠璃を応接室から連れ出そうとした。生意気な所はあるが、気遣いが出来る子だ。
「わかった! おやつ食べるー!」
瑠璃も素直にそれに従う。子供達2人が、応接室から出ようとしたその時。悠里は翡翠を呼び止めた。
「なあ、翡翠。外部からのインターネットアクセスを消すことは可能か?」
「ん? 出来るとは思う、けど、クソめんどう。一般人には到底無理」
「…やはり、一般人には難しいか」
「あ、けど、内部ネットワークのものだったら、一般人にも出来るんじゃ? 多少の専門知識さえあればさ。ものによっちゃ、アプリで消せる場合もあるっぽいし。
ま、消したとしても、ルーターをきちんと調べれば痕跡は見つけられるだろうけどね」
翡翠の話を聞いた悠里は、タブレット内の捜査資料を再び確認し始め……そして秋造を見た。
「捜査資料内には、内部ネットワークの履歴ついて、多少は調べてはあるが、詳しく解析までしている様子がない」
悠里の指摘に、秋造も自身のスマホを見返しはじめる。
「あ……。外部ネットワークからのアクセスには目が向いたが、内部ネットワークからのアクセスにはそこまで注視していない」
家主が死んでいたのだから、内部ネットワークが使われるはずがないと、切り捨てていた盲点。
「もしも、森田ミナが真犯人だったとして、死亡推定時刻にやってきた10分の間に、エアコンの動作を止める操作を内部ネットワーク経由で行い、その形跡を消していたら?」
「翡翠の話を聞くに、できない話ではなさそうだな。もし、その形跡が見つかれば、そうなら森田ミナのアリバイが崩れる」
話についていけない明は、「え、え、犯人が森田さんって?」と、困惑するばかり。
「ともかく、一旦署に戻って調べ直しだ。いくぞ、轟!」
「はい、わかりました! 悠里さんお邪魔しました!」
秋造に一喝され、明は落ち着きを取り戻したようで。悠里に頭を下げ、バタバタと騒がしい音を立てて去ってゆく秋造の後を追って、応接室から出ていこうとした。が。
「タブレットを持って帰れ。上にバレても知らんぞ」
その言葉にハッとなった、明が悠里の差し出したタブレットを慌てて回収すると、再び頭を下げて応接室から出ていく。
間もなく、玄関のドアが開き、閉まる音が聞こえた。
幼すぎて状況が飲み込めない瑠璃は、ぽかんとした顔だ。それを察した翡翠が「とりあえず、俺は瑠璃とおやつ食べてくる」と、瑠璃の手をとる。
すると、おやつという言葉に、瑠璃が元気に反応した。
「おやつ食べる! あかねちゃんも食べよー!」
「あかねの調査報告は、おやつの後にしようか」
「はい!」
捜査の結果次第では、また悠里が頼られれないが、とりあえず今は、おやつタイムを楽しもうと、あかねは気持ちを切り替えた。
――――――
週末の繁華街のカフェは、沢山の人々で賑わっている。片隅には、カップルが一組。
その片割れは、あかねで、向かいに座る長身の男は琥珀だ。
琥珀の持つ、印象的な金眼は、サングラスの向こうに隠れている。
二人でコーヒーを飲みながら、話題に登上ったのは、例のデイトレーダーの事件だ。
「結局、犯人は盛田ミナさんだったようですね」
琥珀の言葉に、「らしいね」と、あかねは相槌をうつ。
「被害者宅の内部ネットワーク内の履歴を調べ直した際、盛田さんが被害者宅に来ていた7月23日10時頃にアクセスの形跡があったそうです。アクセス履歴の削除はしていたようですが、痕跡までは完全に消せなかったんでしょう。
扉の前でなら、内部ネットワーク用のWiFiに繋がれたようで、そこからエアコンを操作して、被害者宅の室内温度をコントロールして、死亡推定時刻をずらしたそうです」
内部ネットワークの痕跡を理由に、秋造達が盛田ミナを聴取したところ、犯行を自供。押収した彼女のスマホから、アリバイ工作の痕跡が出てきた事で、事件はあっという間に解決したそうだ。
「侮辱的な事を言われて、殺してやりたいと思った、か…」
体を売ってでも金を返せと、盛田ミナに言い放った被害者は酷いと思う。しかし、だからといって、殺害に至るという事に、あかねは理解が出来そうになかった。
そしてさらに、理解し難いことがある。
「盛田さんに、犯行計画を教えたのは誰なんだろう」
盛田ミナは、見知らぬ人物から教えられた犯行計画を実行したというのだ。
「盛田さんに届いた、手紙に書かれたQRコードをスマホで読み込んだら、犯行計画の詳細が書かれたサイトに繋がった話ですね」
「そのサイトについては、警察側で大分調べたけど、結局なんの成果もなし……。どうやって、森田さんの事を知ったかすら分からないって」
事件の直接的な犯人は見つかったが、謎の残る事件だった。
「翡翠曰く、俺レベルの天才の仕業だろう、だそうです」
「天才なんだろうけど、なんかムカつく言い草ぁ……」
ムッとした様子を見せるあかねに、琥珀が思わず苦笑い。
「でも、何者なんでしょうか。情報が少なすぎて、悠里もお手上げのようで……」
そう言って悩む仕草をする琥珀。
「情報が足りないのがねぇ。どうにか、集めたい所なんだけど……」
「その気持ちはわかりますが、その前に」
「その前に?」
「僕らは僕らの仕事に集中しましょうね、そろそろ」
「……そうね」
あかねはそう言うと、ちらりと視界の端で、楽しそうに男と会話をしている派手な女を捉えた。
浮気調査は続行中だ。
子持ち探偵神崎悠里の謎解き案件 ――デイトレーダー変死事件 Seika @seikak
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