旧跡のマクスウェル

白神天稀

旧跡のマクスウェル

「やあ。遺跡捕りの少年」


 苔に覆われた旧文明の跡を残す森。朽ちた鉄と石の壁は崩れて一部は既に大地へ還っている。木漏れ日が草花の露を照らし、風の音の間を縫って小鳥のさえずりが響いた。

 バックパックに荷物を詰める少年は声のした方へ顔を上げ、銀色で滑らかな肌を持つその神秘を目撃する。樹海の中でただ一つ、緑を纏わない人型のそれは遺跡に座したまま彼に優しい笑みを見せた。


「初めまして森の人。君の住処にお邪魔しているよ」


「へえ。ボクと会っても驚かないとはね」


「話だけは聞いた事あったから」


 村のじいさん達から昔話で聞かされていた。文明期の言葉は知らないから、僕らの世代は分かる言葉で存在だけ伝えられていると少年は語る。


「旧跡に住まう森の人。僕らの祖先が生きたの遺物の一つ。鉄を肉とし天の雷を血とする、人と似た姿の使徒」


「なるほど、キミの世代にはそう口伝されているのか」


「文明期を生きた長老たちはもう死んじゃったからね。伝わりやすさだけ求めた結果、失われた知識が多いんだ。だから無礼を働いていたら許してほしい」


「そうか、だが安心してくれ。ボクは此処を守れと命令されていないから、君が遺跡中を取り壊そうが文句一つ吐かないさ」


「そうなんだ。じゃあ君の名前は? 何のためここに?」


「ボクの名はマクスウェル。ただの人工知能……といっても分からないか。ま、やることがないだけの喋るガラクタ人形さ」


「よろしくマクスウェル。僕はルスタロト。しがない遺跡捕りだ」


 握手で交わしたマクスウェルの手には鉄の冷たさの中に遺跡捕りは僅かな温かみを感じた。人間でないとはにわかに信じられない温度を。


「せっかくのお客さんだ、歓迎の印にここを案内しよう。キミの知らないことも知りたければお教えしよう」


「なら、お言葉に甘えて」


 手を引かれてルスタロトは森の先まで目指す。案内の間、マクスウェルは百年ぶりの会話に花を咲かせる。


「ボクは普段ここらを活動範囲にしているけれど、キミはここまで奥に入ってきたことは初めてかい?」


「そうだね。あまり深い場所まで行くと迷うかもしれないし、旧跡の遺物を持ち帰るのも一苦労だから」


 遺跡捕りとは文字通り、森の旧跡から文明期に使われた道具。いわゆる遺物を採掘し、それを村の人間と物々交換することで生業としている。

 しかし遺物は当然壊れたものがほとんどであるため、基本的に遺物の修理や再利用するまでがルスタロトの仕事だ。複雑な技術のため継承が難しく、今では村の遺跡捕りは彼一人。


「遺跡ではどんなものを拾っているんだい?」


「運べる大きさのもの、気になったものは全て。氷のように砕けて鋭い透明な板、シルバーの怪しげな半球、油臭い金属の大筒。最近の収穫はそんなとこ。使えるものは誰かと交換するから、それで食料を得ている」


「そうかそうか。それはまた、面白いものを集めているね。その話だとキミの集落では、文明期の知識や社会システムも一部引き継げているのか」


「僕は長老たちとよく話していたからこれでも知っている方。ほかの連中は狩りしか知らないヤツもざらにいる」


「本来ヒトの在り方はそんなものさ。万人が聡くなんてのは傲慢な夢だよ」


 村のどの人間よりマクスウェルは知的で人間の本質を理解していると、ルスタロトは答えた。少年の好感にガラクタ人形は「ただの受け売りだ」と笑い混じりに返す。


「遺跡は好きかい? ルスタロト」


「ああ、ここ以上に好きなものははないよ。遺跡を回る興奮も、遺物を見つける楽しみも。そして落ち着くほど静かだ」


 そんな会話をしている最中、森の境界線が彼らの前に訪れる。伸びたツタと草を掻き分け、マクスウェルは少年へ光の先の光景を披露した。


「それは良かった。だったらこの景色も気に入るはずだ」


 ルスタロトの眼前で広がったのは百年の間に生まれた地盤沈下による断崖と、その下で地平線まで建ち並ぶ背の高い遺跡群だった。

 マクスウェルが『ビル』と呼称した鉄の物見やぐらは何本も、空を目指して地上から突き出していた。どこかしこもボロボロになって、根本は雨水が溜まり浸水している。森に飲み込まれかけた巨大遺跡は、村の周辺までが全てだった少年の地図を開拓させた。


「かつて人々が『大都会』と呼んだ集落だ。もう今となっては形が残っている場所もそう多くない」


「こんなに広い場所が、百年前に存在してたのか」


「ああ。それにここだけじゃない。この世界は建物もヒトも狭苦しいほど溢れていたんだ。きっとキミの想像以上に」


「そんなに人が多くいたんだね」


「そうだよ。キミの先祖たちがそれを疎ましいと思うぐらいに」


 森と村だけの閉ざされた空間にいた少年は未だ受け入れがたい広大な遺跡を咀嚼するように無言のまま眺めていた。声も呼吸も忘れて世界の大きさに震えるルスタロトの横で、マクスウェルは何かを発見する。


「お、これはレンタルバイク! 形だけでも残ってたのか」


 二枚の大きな円盤と、それを繋ぐ数本の筒と鎖。それが何なのかと尋ねる少年の声はマクスウェルの独り言で掻き消される。


「いや、ボディは錆びているがまだ乗れるぞ。チェーンやブレーキは剛強ファイバー使用の優れモノ。百年設計の広告は伊達じゃなかったのか」


 興奮した様子でマクスウェルはガチャガチャと遺物を弄る。何がどうなっているのかはさっぱりだったが、彼の手でそれが補修されていくことだけはルスタロトにも理解できた。


「ボクから。キミにプレゼントだ」


「これは?」


「ロードバイク、文明期の移動手段だ。これに乗って人間はあちこち走り回ってたんだ」


 マクスウェルに勧められルスタロトはロードバイクという装置に乗ってみたところまでは良かったものの。


「わ、あっ」


「ははっ、自転車に乗ったこともない少年でもここまで乗れるのか。流石はスーパージャイロシステムだ」


「ま、マクスウェル。これどうやって止まるんだ!」


「落ち着いて。手元の出っ張りを握れば止まるよ。ゆっくり引くんだ」


「出っ張りってこれかっ、わあぁ!?」


 力いっぱいに掛けられたブレーキで前輪はロックされ、ルスタロトは前方に放り出された。投げ出された遺跡捕りは遺物の積まれたガラクタ山に頭から埋まる。


「ほう、走ることは出来ても止まることは練習が必要なのか。意外なデータだな」


「か、観察してないで助けてくれ」


 遺物の山から引っ張り出されたあとも彼は懲りずに自転車を乗り続けた。

 しばらく走っている内にロードバイクに慣れて、スイスイと乗りこなしてルスタロトは遺物探しに精を出す。水浸しの遺跡や水底の泥から遺物採掘しながら、少年はガラクタ人形へこんな疑問を投げかける。


「マクスウェルは本当に人間じゃないのか? ほかの遺物はこんな風に話したり、自分の意思で動いたりなんてできない」


「ボクは人間を真似して作られた人形だからね。人っぽい動きや言葉を発するけれど、実際はここに意思や心は存在しない。ただ『人間だったらこうする』を常に繰り返してるだけさ」


「昔の技術は凄いね。何一つ仕組みが理解できない」


「傍から見れば人間とは変わらないだろうね。まあ深く考える必要もないよ」


 彼の言葉通りルスタロトにとってそのガラクタ人形は人と変わらない、あるいは友に等しい相手だった。遺跡を巡る中で二人に訪れる心地良い静寂がそれを物語っていた。


 そんな穏やかに心躍る時間は瞬きのように過ぎ去る。夜は水位が上がって『ビル』の根元から大木一本が沈む高さまで上昇した。

 二人はマクスウェルが『ヘリポート』と呼称していた高台まで登って腰を下ろし、星の打ち上がった夜空を見上げる。


「どうだったかな? 大都会の遺跡を巡った感想は」


「最高以外の答えがあると思う?」


「喜ばしいことだ………皮肉だよね。こんな美しい景色が生まれた理由が、人間の醜さだなんて」


「じいさん達は話したがらなかったけど、文明期には何があったんだ? どうして100年前まであった巨大は集落は遺跡に」


「さっきも言った通りさ。ヒトが増えすぎたんだ」


「増えすぎたせいでこうなったの?」


「キミ達の村でも小さな喧嘩やいざこざが起きるだろう? そのトラブルが、ヒトが増えすぎてしまったことで大きく複雑になってしまったんだ。個人や集落の中だけじゃない、考え方や生き方の違いでも争いは起きた」


「文明期でもそれは変わらなかったんだね」


「それに嫌気が差した人達がいて、彼らはそんな世界を終わらせようとしたんだ。強引にね」


「それってどんな方法?」


「ごめん、それについては言えないんだ。二度と争いが生まれないように、ボクからは話せないよう命令されている」


「そうか。それなら無理に聞かない」


「代わりに一つだけ」


「一つだけ?」


「心のないガラクタ人形がこう言うのも変かもしれないが、平和なこの世界を生きてくれルスタロト。それが先祖の作り上げた夢、キミへの贈り物なのだから」


 それはかつての命令ゆえなのか、それとも彼がこれまでに身につけたものなのか。マクスウェルの言葉とその表情には人間のような慈しみに満ちた暖かさが籠っているように遺跡捕りは思えた。


「さて、夜が更けてきたね。キミは帰ると良い。また気が向いたら会いに来てくれ」


「その必要ならないから、気にしないで。マクスウェルといることにした」


「ボクは補給方法が色々あるが、キミは違うだろう? それに帰らないと、村のヒト達が心配すると思うよ」


「それなら大丈夫」


 ルスタロトは笑顔と共に短く一言発する。


「アレ、もうそろそろ消えるから」


 次の瞬間に、太陽が少年の集落に落ちていた。夜を裂いて降臨したものの正体は朝日でなく、眠っていた爆弾による爆発だ。

 大都会遺跡からでも視認できるほどの爆炎が森の先で上がる。しばらく遅れてから地鳴りのような音が辺りを震わせた。

 マクスウェルは微笑みの表情を固めたまま、遠くの光を眺めていた。


「爆発。あれだけの規模の爆弾は凍結された筈……」


「前に拾った遺物の使い方、やっぱりあれで正しかったんだね」


 遺跡捕りは満足げに、どこか安堵したような顔を光の方角へ向けていた。彼の手に握られた錆だらけのリモコンが、無骨に修理されている様を見てマクスウェルは全てを悟る。


「戦争を経験した長老たちがいた頃は大きい争いなんて起きなかったけど、皆死んじゃってからはどうもね。最近はずっと集落の派閥争いが見苦しかったんだ」


「なるほど。それが遺跡捕りになった理由かい?」


「いいや、遺跡捕りは今も昔も好きでやってるだけ。遺物がなかったら、普通に火でも放ってただけかもね」


 淡々と語るルスタロトの声音には僅かな憤慨と蔑みの思いが乗っている。しかしその気持ちの破片は彼の溜め息と一緒に吹き消された。


「口うるさくても優しかったじいさん達の言葉を無碍にしてきた連中だ。思い出を壊すぐらいなら、眠ってもらった方が良い」


 ガラクタ人形は怒りも軽蔑もない。その行動理由を理解した時点で思考は完結する。観測者としてその事実を咀嚼するのだ。


「うん。やはり人間の行動だけは読み切れない」


 マクスウェルは静かに微笑む。あの爆発がかつて文明を滅ぼした要因の一つであると知りながら、目の前の友が先祖と同じ道を辿ろうとも、その行動を肯定する。醜くも歩みを止めない人間の在り方が彼には眩しく映るから。


「さて行こうか、マクスウェル。もっと遠くにある遺跡も、この目で見てみたい」


「ああ良いとも。案内役は任せてくれ」


 遺跡捕りとガラクタ人形は手を取り合って先の遺跡を目指した。集落を呑み込む爆発に背を向けて。

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