エピローグ

 満天の星空の下で磨き上げた剣を天にかざした。流れ星がひとつ零れて、透き通る刃に光の線が浮かぶ。プレートメイルに打ち付けて歪んでしまった切っ先は、再びメルランの手で打ちなおされて輝きを取り戻していた。

 その時に知ったことだが、彼女が森で私の剣を修繕してくれたとき、刃をそっくり別の素材と入れ替えてしまっていたらしい。確かオリカルコスだか、オリカルクムだか……そんな感じのやつだ。そういった話には疎いので、魔女としてはこれから勉強していく必要があるだろう。


 あの夜、メルランを生き返らせた私は神官長さまの独断で許しを得ることができた。代わりに与えられた条件は、栄えある教会の歴史から私の名前が削除されること。故人として、家族とは一切の接触を持たないこと。そして私が提案した通りに国から遠く離れて、魔法を使わずに慎ましやかに生きていくこと。要するに追放だ。これを守れるのならば、街を立ち去るまでのことは大目に見ようと約束をしてくださった。

 私は二つ返事で沙汰を受け入れて、メルランもまたそれに倣った。それから数日、姉さまの監視付きで秘密裏に保護されながら、私たちは旅支度を整えて国を後にしたのである。


 山をひとつ越えたあたりで、今日はここまでにしておこうと暖をとる。私がちょうど良さそうな枯れ枝を集めてくると、メルランが石を使って火を起こしてくれた。そこは魔法を使ってみろとも思ったが、この程度のことで約束を破るわけにもいかないだろう。少なくとも彼女は、森での日常生活において一切魔法に頼らない生活をしていた。

「実際のところ、君はどんな魔法が使えるんだ?」

「それ、ここで聞くのお?」

 メルランは焚火に手鍋をかざして夜食を作ってくれていた。もったりとしたミルクの香りと、まとわりつくような甘い香り。鍋の中を見なくてもメニューの察しはついた。

「それはまあ、それなりにすごいわよう。あなたの光の刃がおままごとに感じるくらいに」

「いってくれるじゃないか」

 今ここで見せてくれ、と啖呵を切りたいのをぐっと堪える。だから魔法は神官長さまとの約束で……自分が魔女になったと受け入れてみると、案外私はこの環境を楽しんでいるのかもしれない。正直、魔法には興味があるし、自分にもどれほどのことができるのかと挑戦もしてみたくなる。

「メルランはそれでいいのかもしれないな。君が魔法を使うところを想像できない」

 彼女が魔女だから興味を持ったのではなく、魔女に見えなかったから興味を持った。私の出発点はそこだったから、きっとそれがあるべき姿なのだ。

「それで、当てもなく山を越えてみたけどこれからどうするのお?」

 メルランがもっともな疑問を浮かべる。私は剣を鞘に納めると、出立の時に貰った地図を広げて焚火にかざした。

「とりあえず海でも目指してみようか。それから海岸沿いに旅をして、行きついた国や街で消耗品を補給しよう」

「海、いいわねえ。ずっと森の中にいたから、見るのは久しぶりかも」

「そうやって旅の基盤ができたら、ひとつやりたいことがある」

 私は服の上から胸の十字傷をそっとなぞった。

「世界中でメルランのような、本物の魔女を探そう。ひとりきりの彼女たちに、今の私なら手を差し伸べられる」

「それ、ちょっと訂正してほしいわあ。私じゃなくて私たち……ね。ふたりでひとつの命なのだもの」

 賢者の石を手放した私がなぜ生きているのか、実際のところメルランでもよく分からないそうだ。一説では、石は身体から離れても効力を発揮していて、私の命はまだ目に見えない何かで繋がっているそう。要するに石が身体から離れていても、壊れずに存在さえしていれば、私の命も尽きることがないのだろうということだ。

 問題は、私の命の源である賢者の石が、同様にメルランの命の源にもなっているということだ。つまり、ひとつの石でふたつの命を支えている。この状況はメルランにとっても初めてのことなので、どういった影響があるのか、利点はあるのか、逆に欠点は……なんにせよ研究のし甲斐があると目を輝かせていた。この好奇心お化けの第三皇女め。

 そしてその石は今、彼女の胸の中にあるわけだから、私は彼女から目を離すわけにはいかない。いや……言い方が悪い。私は彼女を護り続けなければならない。自らの命と彼女の命を護るために。それは心から望むところだった。

「でも、つまりこれで私、本当にあなたの純潔を貰っちゃったのねえ……ごちそうさま?」

「そっ、それは……なんか誤解を孕む表現じゃないか?」

 でも言った。私自身がそう言った。完全にその時の空気というか、これだって感じで舞い上がって、はっきりめっきりと口にした。

「何度でも言うが、私は男を受け入れたことはないし、今後そうするつもりもない! 膜は無くても身も心も清らかなる処女! セーフ! ノーカン! 私の信仰に偽りなし!」

「じゃあ、女同士ならどうなるの?」

「うん? えーっとそれは……どうなんだろう。どうなんだ」

 考えたこともなかった。教義では処女であることと、肉欲に溺れないことが聖職者の絶対の条件であって、別にそういった行為そのもの……とりわけ同性に関する言及は存在していない。それはもしかして、教えの裏道というものなのか。

「いやいやいや、そんな主の目を盗んで物陰で致すようなこと……というか、いついかなる時でも主は見守っておられるんだからな!」

「抜け道作って覗き見るだなんて、物好きな神様なのねえ」

「私と共に過ごすのなら、主を馬鹿にするのは許さないぞ!」

 頭がゆで上がったみたいに熱くなって、私はそれを冷ますように頬を何度かはたく。身体がどくどく脈打つように熱い。うん、私は確かに生きている。

「そもそもだ。私はその……聖職者としてそういうのを遠ざけて生きてきたから、異性だろうが同性だろうが、想像の域を超えることはできない」

「私はあるけどお」

「え?」

 思わず真顔で聞き返す。なんだかこの感覚、ひどく懐かしい。

「異性関係が?」

「それは、別に……皇女のころに婚約者くらいはいたけれど」

「えっ……じゃあ同性?」

「千年も生きてれば何でも試してみるものよう」

 私は座ったまま、意味もなく後ずさった。それなりの覚悟を持って一緒にいることを選んだが、それはまた、なんというか、別の話ではないだろうか。

 いや、やっぱり同じことか?

 想像がぐるぐると頭の中をめまぐるしく駆け巡る中で、別に良いかもな……と思う自分がいたような気がした。

「そんなことより、はい、ご飯にしましょう」

「あ、ああ。そうだな。腹も減ったことだし」

 メルランが食事をよそった器を差し出すので、溢さないように両手で受け取る。なんだか……というか絶対に煙に巻かれたような気がする。この力関係は、そのうち何とかしなければならない。

「それじゃあ、いただきます」

 私はスプーンを手に、ミルクひたひたのパンを口に運ぶ。噛みしめたそばから突き抜けるような甘味が脳天を突き抜けて、私はごくりと一息で飲み込んだ。

 うん、うまい。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

君に永遠の純潔を捧ぐ 咲樂 @369sakura39

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ