12節 奇跡
メルランの身体から力が抜けて、傷口から剣がずるりと抜け落ちる。私は血に濡れたそれを放り捨てると、崩れ落ちる彼女を抱き止めた。
石の力を失ったのか、傷口は一向に塞がる気配がない。ぼたぼたと、湯水のように血が溢れ出ては足元に真っ赤な池を作っていった。
「どうして出て来た!? これは決闘だぞ!」
この場合は裁く者と裁かれる者。殺す者と殺される者。名誉ではなく存亡をかけた決闘裁判の行方は、両者いずれかの死によって終結する。
「無謀すぎる……じゃなかった、無法すぎる!」
「あらあ……忘れたの? 私は魔女だから……ルール無用の存在なのよう」
「それでも勝手が過ぎる!」
それじゃあ、私が何のためにこうしているのか分からないじゃないか。君を生かそうとして近づいて、君を生かそうとして火に炙られて、君を生かそうとして姉さまと決闘をして――
「それで君を救えないなら、あの崖の下、新たに賜ったこの生には何の意味もなかった!」
「……意味はあるわ」
メルランの指先が私の頬に触れる。ひやりと、冷えたロザリオを押しあてたような感触だった。
「私の願いは満たされた。友達の手の中で看取られるなんて、今まででいちばん幸せな時間だったわ……それがあなたで、私は嬉しい」
「これからもっと、いろんな時間があったんだ! 千年以上の孤独なんて大したことなかったと思えるくらいに、多くの経験をするはずだったんだ!」
「それも素敵な未来だったかもしれないけれど……あなたがずっと、心に傷を負い続けるほうが嫌だったから。あなたはこんなにも優しいから、きっとお姉さんの事を忘れられない。家族なんてどうでもよくなった私と違って、愛を知るあなたは――」
頬から彼女の手が離れる。いや、力を失って落ちたと言った方が正しい。私は咄嗟にその手を掬い上げて、胸元に抱きかかえた。
「ああ……もう……これは、どうしたらいい!? どうしたら君を救える!? 教えてくれ! 魔女なんだろ!」
「私はとっくに救われてるわあ。今夜……あなたが扉越しに会いに来てくれた時に、とっくに……」
その瞳から輝きが消えていく。彼女の体中の熱が胸に集まっていって、それからパッと……花火のように消えてなくなったように思えた。それが最期の命の輝き。千年を生きた魔女の、最期の瞬間。
「生きろよ! そして私を生かした責任を取れ! 私の人生を引っ掻き回した責任を取れ!」
溢れる涙がぱたぱたと彼女の頬に落ちる。身体が熱い。目頭が熱い。胸が熱い。こんなにも熱いのに、彼女の身体は蝋人形のように冷たく無機質だ。
私はそんなメルランをゆっくり地面に横たえると、放り投げた剣を手に取る。指先が傷つくのも無視して刃を握りしめて、その切っ先を自らの胸元へ構えた。
「シーリア……何をするつもりだ」
姉さまが手を伸ばす。私はそれを視線だけで制して、もう一度、足元のメルランを見下ろした。
「約束したんだ。私が必ず君を救う」
切っ先を胸に打ち付ける。プレートメイルに刃が突き立ち、ガツンと鈍い音が響いた。たった一撃では堅牢な鎧を貫くことはできず、二度三度と打ち付ける。
ガツン。
ガツン。
ガツン。
鎧の表面に僅かにほころびが生まれる。
打ち付けたところから鋼が歪み、薄く伸び、少しずつ亀裂が生まれる。
ガツン。
ガツン。
ガツン。
薄暗い部屋の中に、鉄を打ち付ける音だけが響く。
誰もそれを止める者はいない。
誰にも止めさせるつもりもない。
ガツン。
ガツン。
ザクン――
刃が鎧を貫通して、その下の胸元に突き刺さった。私は傷口をぐりぐりと押し広げるように剣を揺らすと、ゆっくりと引き抜いて再び足元に放った。鎧の亀裂に両手の指をねじ込み、ギリギリと力任せに、引きちぎるように隙間を広げていく。
押し広げた隙間から、胸の傷口へ指を突き入れる。鍛錬で鍛え上げた胸板をかき分けて、そこにある固い結晶を手の中に握り込んだ。
「ああああああああああああああ!!!!」
力任せに結晶を――賢者の石を体内から引き抜く。絡みついた体組織をぶちぶちと引きちぎり、その命の雫を頭上高く掲げる。
熱かった。私の命は熱く燃えていた。熱とはつまり人が生きている証だ。だから、彼女に命の熱さを思い出させる。私のこの手で。
「君が勝手に奪って、そして私に返したものだ。だから今度は私の意思で君に送ろう――」
――君に私の純潔を捧げる。
握りしめた賢者の石を、メルランの胸へと押し込む。私が深く穿った傷口のおかげか、握りしめた拳ごと容易に身体の中へと受け入れられた。
石をあるべき場所……心臓の位置に捉えて、ぐっと力強く握りしめる。どうするのが正解かなんて分からなかったが、そのまま繰り返し、何度も、何度も、鼓動を促すように石を握りしめた。
「もはや人の成すべき所業ではない……」
神官長さまが腰を抜かしてへたり込んだのが分かった。それでも一向に構わない。無法の存在にならなければ魔女に――魔法を扱えないのだと言うのなら、私は喜んで道を外れよう。
それでも私の願いは変わらない。幼きころに主より……そして神官長さまから賜った助け合いと博愛の心は、私の中で生き続けている。
あの雨の日、私の命を救ってくれたのは私のエゴだ。なら今ここで彼女を救いたいと願うのは私自身のエゴだ。
私も笑顔で人を包み込む人間になりたい。そして同様に、包み込んだあまねく人々に笑顔でいて欲しい。
それが私の信仰なのだから。
光が溢れた。
賢者の石から放たれたひと筋の光が、メルランの胸の内を飛び出して一直線に天高く解き放たれた。
それは張りつめていた暗雲を吹き飛ばして、あたたかな光が大地へと降り注ぐ。日光か、はたまた月光か。ここが地下で、洞窟の中だということはもはや意に介すことではなかった。
確かに光は降り注ぎ、その中心に私たちふたりが寄りそっていたのだ。
「シーリア……あなたは……」
メルランの眼が虚ろに開いて、ぽつりとか細い声が零れ落ちた。私は突き入れた手をゆっくりと、できるだけ痛みがないように注意して引き抜くと、濡れた指先で彼女の頬をなぞった。
もう言葉はいらなかった。視線を交せば通じ合う。私の願い。彼女の願い。私はそれを許し、彼女もまたそれを許す。許し合うことがきっと、私たちの関係の第一歩だ。
光の中でふたりの笑顔が重なり合う。それは望んでやまなかった、私の思い描く未来の光景。
「あれが魔法……なのか」
姉さまが、呆けたような表情で口にした。それを受けた神官長さまは、祈りを捧げるように手を合わせながら語った。
「いいえ……古の先人は、より相応しい言葉で呼んでいました」
奇跡――と。
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