チャーハン係のジン

しぇもんご

チャーハン係のジン

 大きめの厨房を中心に、それを囲むようにカウンター席を設えたこの店はラーメン屋である。

 ラーメン屋なのだが、チャーハンがうまい。もちろんラーメンもうまい。

 だが、チャーハンがうまい。

 ラーメン屋なのに、チャーハンだけ注文する客がそこそこいる程度にチャーハンがうまい。


 客から丸見えのこの厨房では五〜六人の従業員が忙しなく働いている。超人気店ではないが、そこそこ人気店だ。その中で一人だけ持ち場を離れない男がいる。白髪混じりの頭を丸めた無愛想な男、チャーハン係のジンだ。三十年、持ち場を離れずチャーハンだけを作り続ける不器用な男だ。

 

 卍に似た正体不明の記号と龍が描かれた八角形の皿。チャーハンの皿といえば龍だ。ジンは考える、もしその皿に龍がいなければ、それはピラフではないかと。だがジンが作るのはチャーハンだ。だからその皿には龍が三匹踊る。


 そこに熱々のチャーハンがこんもりと乗せられる。こんもりチャーハンが完璧な半円を描くこと、それこそが至高と考える店もある。当然だ。初太刀であの美しい半円を崩す瞬間にしか味わえない快感は確かにあるのだから。だが、ジンのチャーハンは違う。半円の端が少し崩れて龍を僅かに隠す。なぜか。


 パラパラだからだ。


 米一粒一粒がパラパラで、そしてキラキラと輝いてる。油だ。すべての米を平等に優しく包み込んでいるのだ。


 だが、ジンのチャーハンに真の平等はない。卵だ。ふわっふわの卵というパートナーを見つけた米は別格だ。見るからに幸せそうだ。そして熱々だ。


 そこに俺も混ぜてくれと存在を主張するやんちゃくれがいる。チャーシューだ。ジンのチャーハンには柔らかコロコロチャーシューだ。適当に切っているから、たまに大きな塊があって嬉しくなる。表面をさっと焼いた香ばしい匂いもたまらない。


 待て待て、香ばしさの正体はお前だけじゃないだろう、そんな苦言を呈す皮肉屋がいる。ネギだ。ペシャンコになって少しだけ焦げたネギがいいアクセントになって食欲をそそるのだ。このネギが、ぴとっとコロコロチャーシューに張りついていると尚よしだ。


 それをプラスチックのレンゲでごっそりすくって、はふはふ言いながら食べるのが最高にうまいのだ。毎日はいらないけど週に一度くらいは食べたくなる。そして食べた後の水がまたうまい。ジンのチャーハンはそんな感じだ。


 

 だがある日、ジンは消えてしまった。


 

 そう、異世界転移だ。


 

***

 


「ここは……ぬるっとしてねぇなぁ」


 真っ白な空間で目を覚ましたジンは、床がぬるっとしていないことに不安を覚える。若い頃はどんな靴を履いてもなぜか感じるあのぬるっと感が許せなかった。だが今ではあのぬるっと感がなければ、まともに鍋を振ることができないとさえ思っていた。


「目が覚めましたか? 私は女神です。早速ですが、あなたは選ばれたのです。例のアレです。この展開も定番どころか、もはや古いと聞きますし、ちゃっちゃといきましょう。異世界転移特典は何にしますか?」


 ジンの目の前で美しい女性が捲し立てる。


「……あんた、人じゃねぇのか?」


 

「違いますね」



「……じゃあ、チャーハンか?」



「……違いますね」



「……じゃあ、ピラフか」


 

 ジンはその正体を知って落胆する。


 

「混乱してきました。最初に言いましたが、私は女神です。ピラフではありません。私をピラフと決めつけ、落胆するのはやめてください」


 

 その言葉はジンの心に希望を灯す。


 

「……じゃあ、やっぱりチャーハンじゃねぇか」


 女神は思う、なんだコイツはと。そして考える、一刻も早くコイツを異世界に送りたい、そのためにどうすればいいのかを。


「わかりました。チャーハンでいきましょう。一旦、私はチャーハンということにします。その上であなたは何を望みますか? 何でも構いません。強力なスキルでも、武器でも、異性にモテたいとかでもいいですよ?」



 ジンは考える。



 たっぷり考える。

 


「……チャーハンに何かを望むってのは、おかしくねぇか? むしろチャーハンってのは……望まれるもの、なんじゃねぇか?」


 女神は思う。うざいと。女神として生まれて初めてである、チャーハンを名乗ったのは。その上で正論で殴られたのだ、いくつか世界を滅ぼしても今なら許されるはずである。


「わかりました。落ち着きましょう、あなたも、私も。こういうケースも無くはないのです。なので、知識を与えます。異世界転生および転移、そういうジャンルの知識です」


 女神の指先から光の玉が現れ、それがジンの頭に吸い込まれる。


「ぐはっ! なんなんだ、この違反者講習みたいな映像は……」


 それは数々のトラック事故の歴史。崖から落ちるバスなんかもある。事故というのは愚か者と愚か者が出会った時に起こるんだ、大昔に教習所で言われたその言葉を思い出し、ジンは身を引き締める。


「……違います。いえ、交通安全は大切です。ですが私が見せたかったのはそこではありません。その後です。みなさん、何かしらの特典をもらって次の人生を謳歌してらっしゃるでしょ? それをあなたにもしてもらいたいのです、わかりますか? ていうか、わかってお願い」



 女神が、懇願する。



「……なにもわからねぇ」



「……わかりました。もうこちらで決めます。そうですね、お玉にしましょう。あなたがチャーハンを作るときに使っていたお玉、あれにしこたまスキルをつけます、お玉だけに。どうですか?」


 

「ま、待ってくれ! アレは……お玉だったのか?」


 

「……違うんですか?」


 

「お玉ってのはもっとこう……汁を掬うもんじゃねぇのか?」


 

 女神は思う。どうでもいいと。何でもいいから早くしてくれと。


 

「わかりました。チャーハン混ぜ器でいきましょう。一旦アレをチャーハン混ぜ器と呼称します。その上でアレ、チャーハン混ぜ器に強力なスキルを付与します。どんなスキルがいいですか? 空間収納とか鑑定とかがオススメです。良いじゃないですか、チャーハン混ぜ器TUEEEは、たぶんまだ誰もやってませんよ」


 

 ジンは考える。



 たっぷり考える。


 

「……やっぱアレは、お玉……だったのかもしれねえなぁ」


 

 三十年もの間、一緒に過ごしてきた相棒の正体。それさえわかっていなかったことにジンは落ち込む。だが同時に思う、だからなんなのだと。アレに対する想いは、そして絆は、本物だったじゃないかと。


 

「やめてください。勝手に盛り上がらないでください。そういうのホント不要です。ていうか話、聞いて? 何でもいいから何か望んでよ! こっちも仕事なの!」


 

 女神から神々しさが失われる。


 

「……なんでもいいのか?」


 

「……なんでもいいわよ」



 ジンは考える。


 

 たっぷり考える。


 

 三十年立ち続けた厨房のあの場所のことを。

 


「……じゃあ、店の奴らと客から、俺の記憶を消してくれねえか?」


 

「一応、理由を聞くわ」


 

「ずっとあそこに立ってたからな。急にいなくなったら、気になって飯に集中できないんじゃねえかと思ってな」


 

「じゃあ、ダメよ」


 

「なんでだよ、なんでもいいっつったじゃねえかよ」

 


「ダメよ。それをしたら、きっと味が変わってしまうわ」


 

「……変わるわけねぇだろ。チャーハンなんか、誰が作っても一緒だっての」



 

 特別な作り方なんてしていない。




 材料もレシピも一緒。




 ただ、そこにジンがいないだけ。




 味が変わるわけがない。




「変わるのよ」


 

「……わからねぇな」


 

「わかったら人間なんてしてないわよ」


 

 女神は、何もない空間からパイプ椅子を取り出し、ため息をつきながらそこに座る。ドレスの脇のポケットに手をつっこむも、禁煙中だったことを思い出し、小さく舌打ちする。

 


「前の世界を変えるのはなし。そうじゃなければ何でもいいわよ」


 

 ジンは考える。

 


「…………これから行く世界にチャーハンはないんだろ?」


 

「ないわね」


 

「じゃあ、最後にもう一回チャーハンを作らせてくれ」


 

「…………それでいいの?」


 

「なんでもいいんだろ?」


 

 女神は小さくため息をつくと、パチンと指をならす。何もない空間に厨房が現れる。大きめの厨房を囲むようにカウンター席を設えた小さな店。

 

 ジンは店の奥のコンロの前に立つと、床を蹴って何かを確かめる。

 

「もうちっと床をぬるっとさせてくれねえか?」

 

「なんのこだわりよ」

 

 女神はカウンター席に座り、頬杖をつきながら、もう一度めんどくさそうに指をならす。

 

「おぉ、これだ。おっし、お客さん何にする?」

 

 ジンが少しだけ上機嫌な声で女神の注文を聞く。

 

「……チャーハンしか作れないんでしょ?」

 

「あぁ、今日は俺だけだからな、チャーハンしか出せねぇ」

 

「……なんで聞いたのよ」



 

 シャン、シャン、シャン。



 

 ご飯を炒める小気味のいい音が厨房に響く。


 

 ジュワー。


 

 熱々の中華鍋に卵が投入されクツクツと音を立てる。


 

 シャン、シャン、シャン。


 

 右手で中華鍋を振り、左手に持つ大きめのお玉で蓋をするように優しく混ぜる。中華鍋の中でご飯と卵が舞う。

 

 チャーシューとネギの香ばしい匂いがカウンター席まで届く。

 

 火を止め、絶妙の力加減で鍋を振り、お玉にチャーハンを移す。米一粒たりとも落とさない、ジンの得意技だ。

 最後にそのお玉をくるっと返して龍が描かれた皿に盛る。端が崩れて、龍が一匹隠れる。


「できたぞ、取りに来てくれ」

 

「なんで私が運ばなきゃいけないのよ」

 

「ここから動きたくねえんだよ」

 

 女神は文句を言いながらも、厨房に入りチャーハンを運ぶ。帰りにセルフの水をくむのも忘れない。


 

「いただきます」


 

 ……かん……かん………かん……


 

 皿とプラスチックのレンゲがぶつかる音だけが小さく響く。


 

「普通だろ?」


 

 ジンがほんの少しだけ笑みを浮かべて問う。


 

「……普通ね」

 


 無表情の女神が答える。


 

「ほんとはスープがつくんだ。スープっつってもラーメンの汁なんだけどな。チャーハンしか頼まねえ客も結構いてな、そういう客にはラーメンの汁をちょこっとだけサービスでつけるんだよ」

 


「……」



「店長が、俺のチャーハンはラーメンの汁と食うのが一番うまいって言ってくれてな」

 

 

「……そう」


 

 女神が関心無さそうに返事をする。


 

 カタン。



 空になった皿にレンゲが置かれる。


 

「……そろそろ時間みてえだな」


 

「心を読まないでくれる? そういうのは私の役割なの。テンプレ、様式美、そういうのさっきから全部無視してんのよ、あなた!」

 

 女神が声を荒げる。

 

「ここに立って客の顔見てたら、大体わかんだよ」


「あっそ。じゃあ私が今何考えてるか当ててみなさいよ」


「知らねえけど、不満そうだな」

 

 ガタン。


 女神がカウンターを叩いて勢いよく立ち上がる。

 

「そうよ! 不満よ! スープ出しなさいよ! 気になるじゃない!!」


 

「……作れねえっつってんだろ」


 

「わかってるわよ! だからあなたには罰を与える。女神に未完成の食事を出した罰よ。向こうでちゃんと完成した食事を作りなさい! それでそれを私に献上するの! いい!?」


「……チャーハンないんだろ?」


「ないわよ! 異世界チャーハンでも異世界ピラフでもなんでもいいわよ! ちゃんとあなたが納得するものを作りなさい!」

 

 ジンは女神の目を見て、ほんの少しだけ笑顔を見せる。

 

「……わかったよ。そんときは、ちゃんと金払ってくれよ」


 その言葉を最後にジンの姿は消えた。

 

 なんの特典もチートも持たずに、ジンはジンのまま旅立った。

 

 がらんどうの厨房の前で、女神はカウンターに座りなおして水を飲む。


 

「……水、おいしいわね」


 

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チャーハン係のジン しぇもんご @shemoshemo1118

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