●理想と現実の境

 ●理想と現実の境


 魔物、という生き物について私が知っていることと言えば、ゲームや漫画などの中に出てくるオークやコボルト、ゴブリンなどという、どれも凡そ共通した見た目の、実際には存在しない生物である。私の元居た世界の誰に聞いても、ほぼ全ての人間が同意するだろう。

 けれども、このレオネール大陸という場所には実際にそういった生物が存在しているという。

 こちらの世界での魔物というのは、私が認識しているものを少し違っていて、知能に関わらず、人類やそれと共存している種族たちとは相容れない、主に敵対する種族や動物の総称であるのだという。

 そもそも人間や、人間と共存可能な種族が暮らす街の中には存在せず、彼らと出会いたければ街を出るしかない。


 この街には東西南北に検問所が存在している。

 まずは、港に面した南の検問所。こちらは港に入る商船の荷物の検疫や船乗りたちの入国審査に加えて、海洋からの魔物の侵入の阻止を担うため、街で最も衛兵の数が多い。犬も歩けば衛兵に当たる、とは言わないが、ぐるりとその場で一回りすれば必ず複数名の衛兵が目に入るだろう。

 次は、住宅街や商人ギルドのある西の検問所。こちらもやはり、陸路で荷物が行き来する場所であるために、港と比べて若干人数は少ないものの、やはり衛兵が多く、賑わっている。

 そして、王宮のある北の検問所。王宮に勤める貴族たちの邸宅や、それに関連した建物が多く、また、当然王宮が存在しているために、対人対魔物に対する警備の厳しさは王国随一であろうか。王宮所属の王国騎士団が主に警備に当たっており、日々、不審者が侵入しないか、街の外から魔物が侵入しないか、徹底的に目を光らせている。

 最後に、東の検問所だ。

 街の東区には大神殿があり、その周囲には学校や病院などの公共施設が多く存在している。輸出輸入品の出入りがあるわけではなく、神殿の加護なのか比較的魔物の目撃例の少ない土地に面しているためか、神殿所属の神殿騎士と衛兵が警備をしているものの、他の3か所の検問所と比べると圧倒的に穏やかな門であった。


 私が衛兵の一人、ドリーと知り合ったのも、その東の検問所であった。

 ドラゴンが実在していたというのは聞いていたし、魔物という存在が実在しているのも現実だ、という理解だけはあったものの、元の世界には未確認生物などという眉唾物の話はあっても、実際の魔物を見た事のない私には実感がなかった。其れゆえの無鉄砲だったと、振り返ってこれを記している今ならば言えるのだが、未知を実際に見てみたいのが人間というもの。

 無謀にも門から出ようとした私を、全力で踏みとどまらせたのが、ドリー、正式名をフリードリッヒという男であった。

 齢は当時で39だと言っていたから、これを記している今はもう40をとうに過ぎているだろう。

 元の世界で言うところのラテン系の造形をした男で、緩くウェーブのかかった黒い短髪に、アーモンド色の瞳、薄い唇、長身でなかなかに精悍な見目をしていた。


「いや、あの時はマジで頭おかしいのかと思ったぞ」


 いつも通りにナギに提出するレポートのネタを集めようと家を出た私は、通りがかった屋台で手頃な手土産をいくつか確保すると、その足で東門を警備しているはずのドリーの元へ来ていた。

 警備と言っても、門の外は魔物たちが自由に動き回っているフィールドである。私が思うほど気軽に外へ出られるような世界でもないためか、人の出入りが南門や西門と比べて圧倒的に少ない。それ故に、急に駐屯所に訪れたところで、手土産さえ掲げて見せれば無下にされることもなかった。

 この日も、門の様子が見渡せる窓のついた屯所内で、ドリーをはじめとした衛兵たちと簡単なテーブルを囲んでいた。板に4本の角材を打ち付けただけの、少々不安定で簡素なテーブルの上には、私が先ほど仕入れてきた簡単なスナックや果物の詰め合わせが無造作に広げられている。

 仕事中ということもあって、さすがにコップに注がれているのは水や茶であったけれども。


「魔物の討伐に出ていく冒険者なら、この東門でも見かけるけどな。まさか、そんな軽装丸腰で魔物見物に出て行こうとするアホは、後にも先にもお前しか記憶にねえわ」


 結果的にドリーたち衛兵に力づくで止められ、挙句の果てには自殺願望でもあるのかと身の上まで心配された一件であったが、思い返せば彼らにとっても良い酒の肴、笑い話である。当時を知る他の衛兵たちが苦笑いしながら頷くのを、愛想笑いで受け流す。

 私にとっては無知の招いたとんでもない黒歴史ではあるが、それがあったからこそ、今、ここの衛兵たちとつながりができたのだと開き直れば、存外悪いことでもないように思えた。


「最近は辺境で魔物化する奇病も流行っているっていうし、そろそろこの東門も警備に加えて検疫が厳しくなるかもな」

「ルシアン様のお陰で情勢はかなり落ち着いたけど、まだ魔竜の影響は残っているのかもなぁ」

「聞いた話じゃ、魔物化の病は狼人種ライカンスロープに多いらしいぞ」


 私がドリーを訪ねると、自然と騎士や衛兵達が集まって和やかな談笑が始まるのだが、今日は物騒な単語が混じっているようだ。

 魔物化とはどういう事なのかと聞いてみれば、酷く攻撃的になり、周囲に危害を加え始める病とのこと。私が想像するような、物理的に身体的外見が変わるファンタジーのようなものではなく、聞いた限りではどことなく、元の世界にあった狂犬病にも似ていた。

 水を忌避する、という訳ではないようだが。


「伝染るって話は聞かないが、隣国じゃ一般人が襲われて死人も出たらしい」

「ま、この街にはルシアン様がいて下さるから心配はないけどな」


 ことある事に英雄ルシアンの名を出しては、まるで彼が頼りだと言わんばかりの衛兵達。

 自身を讃えるオベリスクを、複雑な瞳で見上げていた青年を思い出す。立場上、絶対的な信頼を寄せられるのは無理もないが、その肩に勝手な期待を投げ寄越されるのは如何なものなのだろう。


「バカ言ってんじゃねえよ、国を守ってんのは俺たちだろ」


 一瞬、心を読まれたのかとヒヤリとした。

 見れば、ドリーが年下の同僚達の背を豪快に平手打ちにしている。

 場の空気を悪くしないよう配慮はしているが、彼の目は誇りに燃えていた。そういう男だから、私は気持ち良く友人関係を続けているのかもしれない。

 ここにルシアンが居たら、どんな顔をするのだろう。

 そんなことを思いながら、ふと門外の街道に目を移す。そこに、違和感が佇んでいた。

 黒髪の青年が一人、ゆっくりと東門へ近付いてくる。背後で揺れているのは荷物かと思ったが、どうやら髪と同色の動物の尾であるようだ。

 両手には何も持たず、やや前かがみで両腕をだらりと前に垂らし、若干左右に身を揺すりながら歩いているのがわかる。


「おい……あれ」


 私の様子に気付いた衛兵の一人が、仲間たちの視線を門外へ誘った。刹那、空気がピンと張り詰める。

 彼らが各々武器を握りしめる、革や金属のこすれる音に、私の心臓もきゅっと握りしめられたような気がした。


「お前はここに居ろ。何かあっても絶対に表に出るんじゃねえぞ」


 門外の青年から目線を外すことなく、ドリーが低く抑えた声で私へ告げた。返事をしようとしたが、喉を絞められたように声が出ない。浅く何度も頷いて、私は壁を背に、部屋の隅へと身を寄せた。


「そこで止まれ!」


 先に出て行った衛兵の声が大きく響く。金属音を引き連れて忙しなく乱れる足音は、ドリーたちだろう。そしてもう一つ、ざくり、ざくりと、ゆっくり規則正しく近付いてくる異様な足音。警告にも立ち止まることのないそれが大きくなるにつれて、私の鼓動も早く大きくなっていく。

 人間というのは不思議なもので、恐ろしい反面、何が起きているのか把握したいという欲求が膨らむ。荒くなる呼吸を必死に殺しながら、ゆっくりと窓の向こうを覗き見た。

 その途端。


「おい止まれ!!」

「駄目だ、コイツは……!」

「うわあああ!!!」


 怒声が入り乱れ、悲鳴が上がる。激しい金属音が響き渡り、言葉とも唸り声ともつかない音が土煙と共に容赦なく窓へ吹き寄せる。

 砂塵のせいで何が起こっているのか詳細は知れないが、急な異常事態に完全にパニックに陥った私は、隠れることも忘れ、茫然と窓の外の混乱を眺め続けた。


「止めろ、中に入れるな!!」


 知った声音と警笛が耳を劈いた次の瞬間、生暖かいものが視界を覆う。

 反射的に拭った手が鮮やかな赤に染まっているのを確認すると、私の記憶は途絶えた……

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西洋薄雪草は瑠璃に咲く 花城羽鷺 @tohky

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