●ヴェルドーネのオベリスク2

 ●ヴェルドーネのオベリスク 2


 この世界には、古来よりドラゴンという知的で強大な力を持つ種族が存在していた。

 レオネール大陸よりも更に北の大地にある広大な樹海に、数百の個体が暮らしていたという。近隣に人間やその他種族が暮らす街や村も点在していたが、彼らは互いを助け合いながら平和に共存していた。

 均衡が崩れたのは、天候不順による食料不足で引き起った飢饉が原因であったという。

 ドラゴンはその強大な力で人間をはじめとする他種族の領地を脅かし、食料を奪い、じわじわと勢力を拡大していった。

 共存していたはずの隣人の暴挙に、人間達はやむを得ず戦いを挑む。

 これが、最終的に数百年にも渡って続く、人間とドラゴンの戦争である。


 強大な種族と比べれば貧弱な人間達ではあったが、各国が協力し合い、一頭、また一頭と、ドラゴンは討伐されていった。

 人間側の犠牲も多かったが、やがてドラゴンは一頭を残して地上から姿を消した。

 しかし、最後に残った一頭は圧倒的な強さを誇り、討伐に向かった人間達はことごとく命を落とす。

 魔竜とも魔王とも恐れられたドラゴンと、それを討伐せんとする人間側との戦いは膠着状態に陥り、その後、数百年の時が流れた。

 そして今から約20年ほど前、ヴェルドーネ王国から一人の戦士が少数精鋭を率いてドラゴン討伐へと旅立つ。

 凍れる数百年の時を動かしたのは、その戦士と仲間たちであった。


「彼が旅立ってから4年後、つまり今から16年前、最後のドラゴンが討伐されたんだ。帰還した彼の功績を讃えて王侯貴族が建てたのが、このオベリスクだよ」


 ヴェルドーネ王国を二分するように流れる大運河にかけられた巨大な橋、その中央に建つ純白のオベリスクを、私は青年の説明を聞きながら見上げていた。

 太陽は頂上をやや過ぎてはいるが、未だ注ぐ明るい日差しがオベリスクを輝かせている。

 まるで御伽噺でも聞いているような気分だが、決着がついたのがほんの16年前だということが驚きだ。つまりは、それまで本当にドラゴンという生き物が実在していたのだ。

 実感があるのかと聞かれれば、全く、と答えるしかないが。

 ただ一点、疑問に思うことがあった。

 いくら争っていたとはいえ、絶滅させる必要はあったのか。

 たった一頭でも生きていたら、人類のほうが絶滅させられるほどに脅威だったのか。

 膠着状態が続く数百年の間に、人間の世界は発展し豊かになっていたはずだ。それなのに、どうして。


「戦士はね、真実が知りたかったんだよ。数百年の間、討伐隊を退けるだけで自分から仕掛けてくることはなかったドラゴンが、一体何を考えていたのか。人間達はどうして彼らを絶滅させるまで攻撃をやめなかったのか……」


 だから、命がけの旅に出た。

 当時の戦績を思えば、命を落とす未来しか見えなかっただろうに。それでも、その戦士は一歩を踏み出した。自らの意志で。

 戦うどころか自分の身を守る術すらろくに知らない私には、到底、真似できそうにない。この国の、人類の英雄となったその人物は、旅の果てに何を見て、何を知ったのだろう。どんな思いで最後のドラゴンを屠ったのだろう。

 ここへ来るまでは遠い異世界の御伽噺、程度の認識だったが、こうして話を聞きながら実在するオベリスクを見上げると、不思議と感慨深いものがあった。

 英雄となった戦士は、求めた真実を得ることができたのだろうか。


「英雄という存在を、君はどう思う?」


 うっかりと思考の海に揺蕩いそうになる私に、青年が紅の瞳を向けた。

 そこに他意があるのかどうかはわからない。どう、と問われたところで、元の世界にも存在する偉人も含めて、論じるには私の知識が浅すぎる気がした。

 まして、つい先ほどまで、ドラゴンなんてフィクション、ファンタジー、としか思っていなかった私が、この国や人類にとっての英雄を軽率に語れるはずもない。

 もしもそんな私が思うままに語っても構わないのであれば、少なくとも、人々の誇り、心の支え、希望、夢を与える存在なのだろう。元の世界では、なにも武力だけに限らず、スポーツなどでも輝かしい結果を残した人間を英雄と呼ぶことがある。

 個人的に定義するならば、誰もが踏破できなかった、または殆どの人間が諦めてしまうような頂きに到達した者が得る称号、呼び名、だろうか。


「なるほど。そうだねぇ、君の意見にも一理あるのかな」


 その言い回しから、青年と私とでは意見が違うようではあったが、こちらを否定するでも持論をぶつけてくるでもなく、彼は静かにオベリスクを囲う花壇の花々に視線を落とした。

 何ゆえの問いであったのか聞いてみたい気もしたが、不意に真っ直ぐ向けられた微笑に、無意識に言葉を飲み込む。


「ドラゴンの話は初耳だったようだけれど、この国で生活していくにしても、国外に出るにしても、知っておいて損はない。大神殿の図書室にも資料が残っているし、あそこの神官やっているギルベルト・エフラーというのが詳しいから、暇があったら大神殿を訪ねてみると良い」


 彼の出した場所と人名を手帳に書き留め、礼を告げる。

 ふと見上げれば、空が青から赤へと彩を変え始めていた。別の場所もまた機会があれば案内してくれるという彼の申し出をありがたく受け取って初めて、名を聞くのを忘れていたことを思い出した。


「ルシアン・ベルウッド。北区の外れに住んでいるから、もし何か困ったことがあったら遠慮なくおいで」


 親切な彼の名を脳裏に反芻しつつ、その長身が人込みへ消えていくのを見送る。

 まだ聞いてみたいことはあったが、レポートを書くには十分な情報を得ることができた。

 今一度、茜の空を背にそびえるオベリスクを見上げる。艶やかな純白が空の茜に染まって、一瞬、不吉な色にも見える。戦に関係しているから、という先入観だろうか。

 ゆっくりとオベリスクの周囲を回ってみれば、裏に文字が刻まれているのを見つけ、何の気なしに目で追ってみる。

 その瞬間、私は手にしていたメモ帳とペンを取り落としかけた。

 刻まれていたのは、英雄の名。

 それは間違いなく、こう書かれていた。


 ――ルシアン・ベルウッド――

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